書くことがマインドフルネス効果につながる意識をひらく
いしかわゆきさんの講座を拝聴して1週間。心に残ったのは、まず、書くことで生まれるメリットがあるということ。
ところで、全く別の経緯で呼吸の効果を調べる必要があり、ある記事を読んでいたら、マインドフルネス効果が謳われる中で、ジャーナリングについての一節がでてきた。
■ジャーナリングとは
ここに示される内容は、モーニング・ノート、モーニングページを書く効果についてジュリア・キャメロン氏が提唱されている話と、ほぼ同じだと気づき、久しぶりに紐解いてみる。
ジャーナリングとモーニング・ページを書く行為との共通点
■モーニング・ページを書くとは(実践編)
初めに、モーニング・ページを書くとはどんなことか? について、より実践的に、丁寧に内容を紹介されている方がいらっしゃるので、以下の記事をご紹介させていただきます。(こちらを読むとやる気が湧いてまいります)
本記事では、別の観点で、「新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。」の冒頭でモーニング・ページについて定義・紹介されている箇所を辿り、仕組みや方法論を確認していく。
そしてジャーナリングとの共通点を確認した後、脳内機能の整理、「ビジネスパーソンのためのクリエイティブ入門」で触れられている内容との関連性を見ていくこととする。
■モーニング・ページを書くとは(仕組み・方法論の確認編)
(本書冒頭内容)
つまり、モーニング・ページは、起床後すぐに行うジャーナリングということであり、裏を返せば、「朝に限らず書く行為の中で、モーニング・ページの実践と同様の効果を目指していけるものが、ジャーナリングだ」ということになる。
次に、モーニング・ページの効果について、前提認識として論理脳とアーティスト脳の分類がでてきたので、足元整理した後、最近別途読んでいた「ビジネスパーソンのためのクリエイティブ入門」の内容と関連させて、合わせて図示してみる。
□「新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。」での整理+ジャーナリング
今のところ見えているものについての粗スケッチだが、恐らく、大元の「書く」という行為には(よく使われる左脳・右脳の各役割を譬えとしてイメージした場合)、左脳領域も右脳領域も両方同時に使われるという特徴がある。(非言語領域の意識から直接表現に向かう絵画や音楽、舞踊などと比較すれば)
ジュリアン・キャメロン氏は、こうした「書く」行為における前提を暗黙裡に踏まえた上で、モーニング・ページの習慣により「書く」際、生まれる効果として、右脳領域側の担当する意識を引き出せることと、描いているようだ。そしてその右脳領域を、彼女は「アーティスト脳」と呼ぶ。
左脳・右脳とはあくまで譬えとしての表現であり、「ビジネスパーソンのためのクリエイティブ入門」の中で著者・原野守弘氏は、左脳・右脳と同種の対比構造を、「大脳新皮質」と「大脳辺縁系」という形で説明している。
便宜的にスケッチすると以下のようになる。
□「ビジネスパーソンのためのクリエイティブ入門」内の仕組みと“書く”行為の合体版
整理してみると、
右脳…大脳辺縁系:言語で表し得ない意識・感情
「アーティスト脳」「大脳辺縁系の自分」
を通して“書く”行為として、モーニング・ページの実践やジャーナリングが世の中で紹介されていることがわかってくる。
マインドフルネス効果とは、大脳辺縁系の「アーティスト脳」に触れること
ここで、導入でテーマとして触れているマインドフルネス効果について、整理してみたい。冒頭の紹介記事によると、
また、そもそもの「マインドフルネス」なる語の由来については、
と、このように説明されている。原語の確認や仏教上の解釈の裏どりなど現時点で割愛するので、あくまで見取り図としての記載だが、この部分
ここで言われていることは、言い換えると、自我意識や我執を手放すことと同意とも取れないか。
そしてその際の「自我」とは、脳の役割分担図から考えると、大脳新皮質により意識される自分・自我我(=論理脳・言語(ロゴス)により意識される自分)だと、ざっくり当てはめてみることも、部分的には可能かもしれない。(苦しみには五感による肉体的反応のケースも当然考えられるので、一部と想定)
としてみると、マインドフルネス効果とは、前掲のベン図内の、青い円の部分を意識から手放し、ピンク色の円領域に直接触れてゆく営みとも、捉えられそうだ。
□「ビジネスパーソンのためのクリエイティブ入門」内の仕組みと“書く”行為+マインドフルネス効果イメージ合体版
それはあるいは、ピンク色の「大脳辺縁系の自分」「アーティスト脳」の自分の意識を、ひらいていく行為とも、表現してみてもよいかもしれない。
“書く”瞬間に自我を手放せるかどうか
私自身は、書く行為の中に生きることには、苦しみと、一方で解き放たれる心地よさが伴うなど、快・不快両方の感情が生じるものだと思っている。
言語外のチャンネルのみをひらいて、絵を描くように、音を奏でるように、全身を舞の仕草に委ねるようには、営為として全うできない部分が多少なりともあるのだ。
非言語領域の「アーティスト脳」「大脳辺縁系の自分」だけを100%にして“書く”ことは、行為として成り立たない。
“書く”とは、そもそも言語を扱い、行われるものだから。
“書く”時、どうしても、論理脳・言語(ロゴス)チャンネルでの情報処理がどこかで必要とされる。
一方で、それは勿論、書いた先に届けたい相手や、書く場所(メディア)等による面もあり、状況によって担当させる脳の領域はケースバイケースで選べるものなのではないかと、今回改めて思えてきている。
もし、完全なマインドフルネス効果を求めて、“書く”行為を進めたい場合は、例として示してきたように、モーニング・ページやジャーナリングといった形で、書けばいい。
降りてくる感覚をそのまま表す場合、生まれてくる言葉は、ロゴス側のチャンネルは通過しないものなのだろう。…?どうなのだろう。
言霊といった言葉などは、どんなチャンネルで生まれるものなのか。
状況によって担当させる脳の領域というあたりを、四象限で表せる気がしてきた。
次回、試しに描いてみたい。
今夜はここでひとやすみいたします。
(見直しきれていないので、少しづつ修正していきます)