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そこでしか語られない言葉を書き留め、相互相違理解の対話の一助となりたい



マザーハウスさん主催の「東北の未来つくるnight」で、グラレコにチャレンジさせていただきました。
ファシリテーターは、マザーハウスの副社長の山崎さん、ゲストはヘラルボニーの松田さんという、なんて豪華!そして100名を超えるのお客様!


とにかく、マザーハウスの山崎さんと松田さんとの掛け合いの中で語られる話が本当に痺れる。
私が全体的なメッセージとして受け取ったこと(今の私に響いたこと)は、一見両極と思われる視点や行動や立ち位置。その、どちらかではなくどちらも同じくらい大事で、同じくらい熱量を注ぐことが大事。そして、常にそれを意識して事業を行なっていくことが大事。

ミクロの視点とマクロの視点
ローカルとスケール感
目の前の仕事と長期的なビジョン
社会的目的と経済的目的

これは、○○と△△で括られるのではなく、○○だからこそ△△、なのかもしれないなぁとも。


さて、グラレコチャレンジの結果は、「伸びしろだらけやー」でした。そもそもメモとして綺麗にわかりやすく話を残すグラレコには惹かれない。何を描き残すべきか。最初、そこに迷いがあり、うまく描けない。その後、いつものように感覚を研ぎ澄まして、何を語りたいのか、何が語られたがっているか、に集中して描いていく。

出来上がりとしては伸び代だらけだけど、頑張った!


改めて感じたことは、私がこう言った対談、対話の場で書き残したいのは、「この場だからこそ語られたこと」語り手の「想いや感情が乗っていたこと」なのだ、ということ。

一方で「自分」というフィルターを通してしまうので、自分のアンテナに引っかからないものは、取り落としてしまうことの難しさも。
今回も翌日一緒に参加した仲間と何を感じたか、を話すことで、「あー!そのワード!大事だよね、でもスルーしてしまっていた、私」がいくつもあった。悔しい……



でも一方で、私、というフィルターを通すことの意義も感じる。私が描いているけど、ある人は書いていないこと。ある人にとっては大事だけれど私にはスルーしたこと。

これが、絵という記録があることで、明確になる。だから、その記録を元に、そこから対話が始まり、「あ、あなたはそこに心が動いたのね!なるほど!」「私はここなんだけど、どう?」とお互いの理解を知り、それぞれの、こだわりや価値観を知るようなことにつながることこそ、本来のグラレコ(グラファシ)の使われ方なんだろうな、と改めて感じたし、私がやりたいのは記録、絵の先のそこの対話や、相互理解、いや、相違理解、なのだと改めて感じたのでした。

これからも精進していきます!
なにかグラフィックによって対話を深めたいなどの機会があればぜひお声がけください^ ^

この場をくださったマザーハウスのみなさん、見守ってくれたPalletのみんな、ありがとうございました!

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