【台湾で働く】約4年弱の台湾現地採用会社員生活を振り返って。
こんにちは。台湾台北市より、まゆーです。
前回今年の初めに投稿した記事より早くも2ヶ月近くの時が流れ、
ついに決めていたことを実行する時がやってきました。
そう、約4年弱務めてきた会社を退職したのです。
↓退職を決めた時の心境は、前回の記事(以下)参照。
30歳を超えて未経験からのチャレンジだった在職中は、
過去勤めてきた先とは比べ物にならないくらい、葛藤したことも多々ありました。
正直、1億回はとうに超える勢い(は言い過ぎかもですがw)で辞めることと葛藤した時間もありましたが、
最終的にここまで働き続けてこられたのは、関わってくれた"人"が圧倒的に居心地良い人たちばかりだったから。
そんな職場へのお礼のような気持ち、そしてこれから【台湾現地採用会社員】として働く機会が出てくる方に向けて、
そして自分の反省と思い出ログも兼ねて、一筆残しておこうと思います。
内定に結びつくまでの流れ
当時の私の状況・なぜ台湾就職を考えたか
就職活動を行う少し前からの時系列をざっくりと書き並べると、以下の通り。
台湾就職を考えたきっかけをざっくりまとめると、
あたりが挙げられる。
*どこから聞いたのか忘れた"台湾人男子論"は、結局のところ人による、と住み出してからは感じている(笑)
ビザは何で渡航?
前項の通り、観光ビザ。
2018年の渡台当時の台湾訪問歴は、以下過去3度。
振り返ると意外とざっくり台湾島をぐるり訪問できていたようだが、今回住むことになった台北の街はあまり詳しく知らずにいた。
"訪問先"ではなく、"生活環境"として自分に合うのか、
そして滞在する上で仕事は見つかる環境なのか、
を長期滞在開始するまでにある程度自分の目で知っておきたかった。
当時いわゆるギリホリ(台湾ワーキングホリデーができる年齢上限ギリギリ)可能だった年齢だったので、
半年〜1年ほど滞在するならば、ワーホリを使うこともできたが、
ワーホリで渡台し得られる仕事のイメージがあまり良くなったのもあった(単刀直入に時給が低い仕事が多く、働きながら貯蓄もする必要あった私には難しい選択肢+最も職数が多いと言われていた飲食店で働くのは過去アルバイト&オーストラリアワーホリでの経験から苦手、あまり明るい将来を描けなかった)。
であれば、入国から90日間滞在可能な観光ビザで、一度現地の生活・就労状況、実際に生活している日本人の方にお話し伺いに向かうのが最適でないか、
その上でワーホリを利用するなら、観光ビザで偵察後必要に応じてでよいのでは、
との考えに至った次第でした。
台北で就職活動
2018年4月、前々職の京都武家屋敷での仕事を終え、だらけるのが怖く1週間しないうちにさっさと渡台。
*過去ずっと、環境を変える時はなるべく間を開けないように気をつけてきた。2016年に何もしなくて良い時間を1ヶ月ほど経験したが、それ以上は無理だと感じていたのも後押し(セカンドワーホリ渡豪前だったので語学学習、現地情報収集などやるべきことはあったが、なかなか自分を律するのは難しかった…)。
▼渡台前にやったこと
▼渡台後にやったこと
渡台前は、とにかく日本に居ながら集められる情報を集めた。
ウェブをググって台湾在住ブロガー・Cocoさん(@cocointw)など、今もちょこちょこウェブ上でお世話になるブロガーさんを知ったのもこの頃だったなあ。
幸い当時の勤め先にも台湾人の方がお客様としてやってくることもあったので、そういった方からお話を伺ったり、
大阪中心に開かれていた日台交流会に飛び込んでみたり、といったことをしていた。
*この日台交流会(お花見)で出会った日本人の方々には、台湾渡航後もしばらくお世話になった。彼らの正体はマルチ系ビジネスの伝道者たち(笑)だったが、
渡台1〜2週間目は彼らのチラシ配り&撮影イベントお手伝いを通じて、他に仕事に繋がりそうな情報を持つ人にも出会えないか、機会を伺っていた。
そこから出会った台湾人の友人(現在は日本で就労中)には今に至るまで、大変お世話になっている。
渡台後は、シェアハウスにいた皆へのヒアリング→そこから洗い出された訪問先へ突撃、
現地の言語交換会やその会場で出会った人たち、オーストラリアワーホリ時に出会い台湾に戻ってきている台湾人知人少々、街のカフェでたまたま声かけてきてくれた人など
とにかく会って話を聞ける方には会わせてもらい、アルバイトや仕事の機会を探っていた。
→日本語塾での日本語教師職は、この時に会った台湾人知人の紹介で面接につながった。
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現地滞在先探しはかなりラッキーだった。
ちょうど渡台1週間ほど前に、過去2014年の台北アルバイト時に知り合い、時々会ったり連絡とっていた台湾人友人がその頃始めたシェアハウスへの滞在を誘ってくれたのである。
台湾生活開始後、色々591(台湾の物件探しサイト)やFacebookグループなどを使用し家探ししてきたのに、一向に引越し先決まらずにきた私(たち)wなので、このタイミングで彼が誘ってくれたのは本当に有り難かった。
*結果、今に至るまで同じシェアハウス暮らしを続けている。
*この家滞在決まるまで、元々は現地バックパッカーで滞在開始→シェアハウスか短期滞在可能な家への移動、をゆるっと考えていた。
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転職エージェントへの問い合わせは、就職といえば=リクルートエージェント!のほぼ一択思いつきで問い合わせ(実際はもちろんもっと色々あります……過去2017年日本帰国時も少しリクルートエージェントさん通じて転職活動していたため)。
リクルートさんはRGFというグローバル就職ブランドを持ち、いくつかの国でRGFによる転職支援サービスを展開されている。
台湾は以前RGFの進出を目論まれたが、現地競合が強い土地で、現在は提携会社への紹介で対応されている。
私の渡台前当時紹介いただいたのが伯樂(Bó Lè / 伯樂亞太管理顧問有限公司)さん。2022年2月現在もいらっしゃる日本人担当者さんには大変お世話になり、
渡台前に事前にSkype面接+渡台後一番に訪問し面接の上、台湾就職事情を色々教えてもらった(そして今も時々、ご飯や散歩ご一緒させてもらっているよい相談相手に)。
あいにく、伯樂さんはヘッドハンティング中心の人材会社さんのため、特別長けた能力を持たない私は直接の紹介には至らずでしたが、
他のエージェント情報も教えてもらえたので、その中からいくつか応募することとなった。
最終的に問い合わせ・求人票をいただいたのは3社 - Persol Taiwan、Pasona、愛司(echoas Taiwan)。
そのうち、実際に応募したのはPasona経由で2先のみ。
*前職の求人票を出してくれたのはPasona。
*当時は知らないまま就職活動終えたけど、今ならReeracoenにも応募していただろう。実際前職もReeracoenとPasonaに求人出していたらしいので、結局どちらか経由で前職にたどり着いたのかもしれないが。
人材会社は、各会社で比較というより、担当者ベースで大きく対応もご縁も変わるように思う。
当時最もお世話になり、熱量たっぷりのPasona担当者さん(実際お話伺うとかなりパワフルな方だった。現在他のアジアの国でご活躍中と聞く。)の元に新規で入ってきた求人が前職。
「未経験x中国語能力皆無(英語は会話可能+少しビジネス利用してきたレベル)x日本語ネイティブ」というそこそこ難解な求職条件にもかかわらず、「まゆーさん、これどう!!?」とゴリ押しすぐ連絡してくれたおかげで、今がある。
求人があった業界はもちろん決して多くはなく、IT(Webマーケティング系)とコールセンターが主だった。
コールセンターは就職後の未来が不明瞭で、労働拘束時間が長いところが多かった(例)8AM-8PMなど。しかも昼夜シフト制で不安定)こともあり、
人材会社からの紹介案件では、未経験で新しいことを知ることできそうなIT系のみ応募した。
内定をもらった2社(前職、日本語塾)はそれぞれ最終面接で課題が出され、
前者はEコマースに関するお題を取り上げ(分からないなりに調べて)3C分析しスライド形式でプレゼンするもの、
後者は模擬授業を行うことだった。
最終的に前者にしたのは、2つの理由から。
・退職するまで変わらなかった”人”に関する興味から。一緒に働くことで面白いこと、面白い人たちに出会えそう、と思った。何より老闆(CEO)の人当たりにとても好印象を持ったから。
・日本語教師職だと、どうしても給与が低くなってしまう(キャリアを積み上げれば色んな働き方ができるかとは思いますが、当時はその先が見えていなかった)&養成講座在籍時に人一倍教壇に立つのに苦労したので、自分には向いてなさそう、と思った。
入社に必要だった手続き・書類類
▼準備物(就労ビザ発給用)
観光ビザ入国後発給の就労ビザのケースで、おそらく日本(または台湾国外)に居ながら発給してもらうケースよりも簡単だった模様。
必要物は以下、前職までの「在籍証明書」「パスポート」「大学卒業証書原本」のみでよく、「犯罪経歴証明書(無犯罪証明書)」「健康診断」といったものは不要だった。
実際に働いてみた感想
会社について
・日系アドテク企業(東京を本社とし、台湾支社は海外グループ会社の子会社の立ち位置)
・台湾支社は「日系クライアントを対象とするチーム」と「現地台湾ローカルクライアントを対象とするチーム」に分かれていた(2022年2月現在。私が入社した2018年時点では1チーム制、週次MTGや当時の直の上長や先輩同僚たちとのやりとりは、チームが別れるまで英語で行ってもらっていた。)
・在籍期間中、一貫して携わった職務はWEB広告運用の仕事(Facebook、LINEタイムライン、Google検索結果で出てくるWeb広告などを効率よく配信し、商品購入等を促す仕事)
・アドテクサービスを生むのが本来の会社のお役目なので、常に新しいサービス開発を行っている(大方日本本社で開発、追って海外展開のパターン)
・業界柄サービス展開・変化が早く、1年あれば新しいことを行っていることが多かった。
メリット
・アドテクノロジーの最先端の情報が日常的に入ってくる - 興味がある方であれば、常にアドテク・IT周りの、最新技術を知り勉強になる機会が多い。
・WEBマーケティングに関する知識を身に付けられる - 特にWEB広告、KOL/KOC(インフルエンサー施策)、チャットボット施策などを通じたマーケティング施策の最適化に関する方法を実践の中で知ることができる。
・結果を出せれば、過程は問われない - "Dance First""Play Different"を常にモットーとされ、失敗はどんどんすることを推進されていた。失敗しても責められるようなことはなく、次どんどん挑戦へと軸を持っていかれる流れとなった
・社風が比較的自由 - (IT企業に多そう)服装・髪型かなり自由。上司たちも半パン・半袖スニーカー出勤が通常。月1日分自宅勤務選択可能。プチフレックスタイム(例)10:00-10:30の間に出勤)
・いわゆるPC一台あればできる仕事に近い。身内や自分に何かあった時の対応は臨機応変に行いやすい(有給休暇、病気休暇、生理休暇など各種休暇は台湾現地法律に基づく)
・台湾カレンダーで時々ある土曜日出勤をしなくてよかった(台湾ローカルチーム含め、あまり土曜日に動くクライアントが少ないため。連絡あった場合のみ自宅対応すればOK)
・コロナ禍で他業界の業務が縮小する中、ある程度影響はあったものの大きくは落ち込むことなく、新規案件も入ってきた
・年1回のボーナス(旧正月前の月末)に加え、4半期ごとに目標数値達成率に基づきインセンティブボーナスがもらえる(稼げないと微々たるものでしたが。笑)
・日本人 - 駐在組(3名)と現地採用組(私のみ)の距離は遠くなく、台湾人メンバー含め、皆比較的対等に接し相談できる環境だった
・上司は少し年下〜40歳くらいまで3名、同僚は基本20代がほとんど、と若い組織。新卒で入社し10歳以上離れた同僚でも対等に話ができて、日本で働くような上下の気遣いは殆どなかった。自分も気持ち若く働けた(笑)
デメリット
・大きくチーム内を分けると、フロント(新規営業/Account Executive(AE))と既存営業&運用担当(Account Manager(AM))に分かれるが、AM担当だと365日動き続ける広告をずっと気にして調整し続けないといけなくなる=調整が頻繁に必要だったり、予算が大きな案件を抱えたりすると、土日祝も仕事のことが気になりオンオフつけにくくなる。
・原則土日祝休みの企業が多いが、クライアントによっては土日・夜間関係なく連絡残してくる先もある(それでも上司同僚たちが365日対応するチームだったので、なるべく自分も合わせて対応せざるを得なかった)。
・急な対応が突然忙しい中飛び込んでくることが多め。本来やりたいタスクがどんどん後回しになってしまうことも少なからず。
・AEにより新規案件が増えてもAMのキャパが追い付かず、残業時間がどんどん伸びる傾向だった(特に直近半年)。
・AEも新規・既存先改善提案でかなり追われており、夜中まで働くメンバーもいた(AMはそこまで働いているメンバーいなかったはず・・?)
・数ある広告媒体の中でも、重要度高いFacebook広告は大分ヤンチャ!!!(謎な理由で急に広告アカウント&広告マネージャー停止→配信停止し復旧作業の繰り返し、が不定期に起こり、振り回される時期もあった。業界あるある)。
・AMとしての仕事から発展(=AEになる、営業面や広告バナーデザイン等クリエイティブ面でよりできるようになることを増やす、など)させないと、ずっとAMで細かい広告調整に追われる日々から抜け出せず、キャリアの拡大発展をイメージし辛くなり悶々としやすくなる。
・1日デスクワークでなかなかイスとPCから離れられる時間を作りにくく、体力落ちやすい(タバコ組除く)。頭が疲れやすく、仕事外の時間他のことやりたくても疲れて手付かず、、なことが多かった。
・勤務時間:10AM - 7PMがベース(残業すると8PM回ることも)で夜ご飯の準備に時間を充てにくい(同業界だとこの時間帯に働く会社が少なくなさそう)。
・数値分析が多く、数字苦手な人間(=私)はなかなか理解速度追いつくのに苦労する。算数レベルの計算ができれば可能と言われていたが、元々数学公式などは全て●▲×など記号に置き換えないと理解できなかったくらいの理解力の乏しさもあり、人一倍理解に時間をかけながら、日々慣れていく他なかった。
・ビジネス柄、どうしても自分の好きでない、この世に広めたいとは思えない商材を取り扱う必要も出てきてしまう(例)鼻の毛穴、薄毛、ダイエット、など、汚い画像を取り扱うバナー広告なども含むコンプレックス商材)。
まとめ
元々2年ほど働く間に、他の働き方も模索しつつ、ある程度お金溜まったら本来なら一番に持ってくるべき所ぶっ飛ばした中国語学習の時間も確保していこう、とぼんやり思っていた中、
そのための時間確保はなかなか叶わず、人一倍不器用で理解力も低い私は日々格闘することも多かった(そのため、今回は最終的に一旦中国語に集中する時間を確保する選択をとった。結婚ビザに切り替えられたのも大きなきっかけではありますが)。
そんな中、先日まで約4年弱もの間、未経験業界で継続し働いてこれたのは、一緒に働かせてもらった上司・同僚のおかげ。
仕事への興味度合いで言うと、過去のBtoCの仕事(銀行窓口、留学コーディネーター、インバウンドなど、法人でなく個人のお客様を直接幸せにできる仕事)の方が「何のために仕事をしているのか」を描きやすく、やりがいも感じやすかったが、
一緒に働く人の凄さや彼らから学べる分量にフォーカスすれば、今回が圧倒的だった。
特に私を拾ってくれた老闆(CEO)には、仕事面はもちろん、生活面でも台日間送金、税金問題などなどその時その時発生した問題の解決、家探しなど、
多方面に渡って私の台湾生活を支えてくれた大恩人。今後もどこかで繋がっていきたいと思わせてくれる方だった。
仕事をする限り、どんな仕事でもメリットデメリット様々なものが出てくるのは当たり前だとは思うが、
今回の就職でバタバタしながらも学べたことは、今後の私の人生において、大切な経験値の一つとなることは間違い無い。
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ここまで、ざーっと就職活動〜実際の勤務を経ての感想を書き並べてきましたが、
これから台湾現地就職を中心に、何か変化・新たな挑戦を起こされる方にとって、小さな情報の一つとして少しでもお役立ちできる部分があれば、幸いです。
では、また〜!