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台湾生活で出会う“食べない”感覚の不思議。

台湾暮らしをしていると、結構な割合で
日本だとそれなりに多くの方が当たり前のように食べているものを”食べない”方に出会う。



(台湾義家族とのご飯時間での台湾人パートナーとの会話より)

パートナー🙋‍♂️:今日はちょっと豪華なご飯だね!

私🙍‍♀️:ここのレストランはビュッフェ式やから、みんな好きなもの好きなだけ食べれるなぁ〜。皆何食べるんかしら?

🙎‍♂️:僕とお母さん、弟は吃素(台湾ベジタリアン)だし肉魚は食べないし、それ以外なものだね〜!お父さんは肉魚は食べるけど、牛肉は食べないね。道端で売っている香腸とかは好きそうだけど。

🙍‍♀️:ビュッフェはその辺自由に各々調整できるし便利やんね〜!

🙎‍♂️:まゆーも知ってる通り、僕は成分的には牛肉とかが混ざるカレーとかは、肉の固体を取り除けば食べられるし、どちらかというと”フレキシタリアン”寄りかな?
お母さんと弟はそのあたりもっと厳しいし食べないね。

🙍‍♀️:お義母さん家庭の宗教(仏教&儒教が合わさったような?宗教)由来で、お義父さん以外は食べないって言ってたもんね。
同じ家庭で育ってきた兄弟でも、その辺り違いが出るんやね。

🙎‍♂️:そうだね〜。知らないうちにそうなった気がする。

🙍‍♀️:🙎‍♂️は日本の私の友達の結婚式きてくれた時、ベジタリアン料理の用意で色々結婚式プランナーさんとのやりとり大変だったけど、結論”オボベジタリアン”ですね!って先方、一方的にめっちゃ調べて納得されてたやんね😅

🙍‍♂️:そうだったね。あのやりとりだけで、結婚式の主人公でもない一ゲストなのに、なんで一ヶ月も確認に時間かかったんだろうね…食べられないもの、食べないものは避けて食べるだけなのにね。日本大変!


(元勤務先のランチタイムにて)

🙍‍♀️:(テーブルに運ばれてきたご飯を見て)今日は海鮮がメインのお店ですねー!美味しそう!そこの牛肉入っている炒め物も気になります!

同僚A👱‍♀️:ねー!まゆーは何食べれる?

🙍‍♀️:私は今日のメニューならなんでも食べられそうです!あ、辛いものだけ苦手なので食べられないです。

👱‍♀️:了解!B、C、Dさんはどう?

同僚B👩‍🦰:あー、私は海鮮食べないので海鮮含んでないもの食べるねー!

同僚C👨‍🦱:僕は牛肉食べない。それ以外は可能です!

同僚D👱‍♂️:私は吃素(ベジタリアン)で海鮮も肉類も食べないので、野菜類ご飯ものなど食べれるものを食べますね。

👱‍♀️:了解ですー!丸テーブルで好きなだけ好きなもの食べれるし、好きなように食べて〜!

🙋‍♀️:BさんCさん、ちょっと聞いていいですか?2人とも海鮮や肉類が苦手だから食べないんですか?

👩‍🦰:私は(海鮮は)家族の習慣で食べないので、小さい頃から食べてないですね。

👨‍🦱:僕も(牛肉は)そうですね。なんというのか、食べるものの対象でない感じで育ってきたのかなと。

🙋‍♀️:習慣的な理由なんですね。ちなみに、よくご家庭の宗教が理由で食べない(禁忌な食べ物、神聖な動物として食べないなど)って方に出会う時がありますが、2人もそうですか?

👩‍🦰:私の家はどうだろう、特に宗教が理由で食べてはいけない、はなかったかな?習慣?

👨‍🦱:私の家は宗教なのかな?あまり詳しく聞いてないけど、牛は神聖なものだから食べては行けない、って言われたことある気がします。

👨:私がベジタリアン食なのは、両親それぞれの家庭の宗教由来ですね。なので自然とベジタリアンになりました。


先日台東で食べた、美味しい素食餐廳/ベジタリアンレストランでの食卓より
こちらも台北にある全て素食/ベジタリアンごはん。



義家族、職場、友人、誰かとの交流の場など、食卓の席につくとこんな会話が生まれることがある。

自然と繰り広げられる会話たちだが、
日本の日常でよく出てくる”好き嫌い””アレルギー等由来”で【食べられない】という理由ではなく、
そもそも何かしらの理由で【食べない】という人が多いのだ。


食べない理由で分かりやすいのは、家庭で信仰されている宗教由来のもの(仏教や儒教など)。
これは他国でもヒンドゥー教やイスラム教など
もっと戒律が厳しい宗教の影響で食べないものがある人が多い国もあるので
なんとなく感覚的にも分かりやすい。


でも、

”習慣”が理由

と言われると、途端に日本生まれ日本育ちな私にはちょっと理解が追いつきにくくなる。

どうしても、今日まで生きてきた中で、
一度や二度でも、食べない食べ物を口にしたことないの?など聞くが、

🙆‍♂️:自ら口にはしないかな。僕は食べないものだから。
育った家のお母さんがベジタリアンで、食べさせてくれる食べ物を主に選んできた人だから、やっぱりその影響を受けた習慣で食べなくなったかな?

などと、あまりスッキリはしない回答が、
何度聞いても返ってくる。
“一度は食べてみる”という行動は生まれないということか、どちらかというとやっぱり家庭の誰かの宗教由来の影響の中で育ったからか。

ただ、パートナーの場合、
お義母さん家系の方は全く食べなくても、同じく身近なお義父さんは食べてるの目の前で見て育ってきているのに
そこは影響を受けないのが不思議。。


***


そんな日常を何年かかけて送ってきた今日この頃で思うこと。


「食べない」を無理に理解しなくて良いのでは?
ということ。


逆に私を含む一定の日本人は
“理解できない”状況にいると落ち着かない人多すぎるのか?
と思うきっかけにするようにしている。

目の前にある出てくる食べ物は、なんとなく

”食べなきゃもったいない”
”美味しいと思える可能性が少しでもあるならば食べてみなきゃ”

って半無意識的に思考してしまうところもあるが、
食べる/食べない、の選択肢がもっと自由なものでもあっても良いのかも、と。


*参考:4年ほど前のWeb記事より。
台湾生活の中で、牛肉食べない方やベジタリアンである方の割合体感について、少し冒頭触れられている。
私の日常もこんな感じ。


台湾生活されている方や
台湾の皆さんとよく交流がある皆さんの周りでは、どうでしょうか?


では、またー!

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