台湾暮らしをしていると、結構な割合で
日本だとそれなりに多くの方が当たり前のように食べているものを”食べない”方に出会う。
(台湾義家族とのご飯時間での台湾人パートナーとの会話より)
(元勤務先のランチタイムにて)
義家族、職場、友人、誰かとの交流の場など、食卓の席につくとこんな会話が生まれることがある。
自然と繰り広げられる会話たちだが、
日本の日常でよく出てくる”好き嫌い””アレルギー等由来”で【食べられない】という理由ではなく、
そもそも何かしらの理由で【食べない】という人が多いのだ。
食べない理由で分かりやすいのは、家庭で信仰されている宗教由来のもの(仏教や儒教など)。
これは他国でもヒンドゥー教やイスラム教など
もっと戒律が厳しい宗教の影響で食べないものがある人が多い国もあるので
なんとなく感覚的にも分かりやすい。
でも、
”習慣”が理由
と言われると、途端に日本生まれ日本育ちな私にはちょっと理解が追いつきにくくなる。
どうしても、今日まで生きてきた中で、
一度や二度でも、食べない食べ物を口にしたことないの?など聞くが、
などと、あまりスッキリはしない回答が、
何度聞いても返ってくる。
“一度は食べてみる”という行動は生まれないということか、どちらかというとやっぱり家庭の誰かの宗教由来の影響の中で育ったからか。
ただ、パートナーの場合、
お義母さん家系の方は全く食べなくても、同じく身近なお義父さんは食べてるの目の前で見て育ってきているのに
そこは影響を受けないのが不思議。。
***
そんな日常を何年かかけて送ってきた今日この頃で思うこと。
「食べない」を無理に理解しなくて良いのでは?
ということ。
逆に私を含む一定の日本人は
“理解できない”状況にいると落ち着かない人多すぎるのか?
と思うきっかけにするようにしている。
目の前にある出てくる食べ物は、なんとなく
”食べなきゃもったいない”
”美味しいと思える可能性が少しでもあるならば食べてみなきゃ”
って半無意識的に思考してしまうところもあるが、
食べる/食べない、の選択肢がもっと自由なものでもあっても良いのかも、と。
*参考:4年ほど前のWeb記事より。
台湾生活の中で、牛肉食べない方やベジタリアンである方の割合体感について、少し冒頭触れられている。
私の日常もこんな感じ。
台湾生活されている方や
台湾の皆さんとよく交流がある皆さんの周りでは、どうでしょうか?
では、またー!