やさしいひとばかりが涙を流すこの世界
やさしいひとばかりが
やさしさ
純粋さ
まっすぐさ
共感性
それらがある人ばかりが涙を流すこの世界。
そんなふうに思う時が時々ある。
やさしいひとばかりが
振り回され
やさしいひとばかりが
暴力的な言葉をぶつけられ
やさしいひとばかりが
涙を流す。
やさしい人ばかりが
人を信じれなくなる。
そんな人に出会うたびに
そんな涙に出会うたびに
わたしの胸は締め付けられる。
わたしはたぶん
そんなやさしいひとたちに
囲まれて生きてきた。
わたしはたぶん
そんなやさしいひとたちを
ぶっ刺して生きてきた。
どちらの立場も、生きてきた。
いろんな「やさしさ」があっていい
やさしさってなんなのだろう。
少し前のわたしは、
謎の潔癖さがあったので
相手を傷つけないようにと言葉を変えたり
オブラートに包むことは、優しさではない
って思ってた。
それは、保身。
自分の身を守るためでしかない。
自分の言葉に
悲しんで
傷ついてる相手の様子に
自分の胸を痛ませないように
罪悪感で押しつぶされないようにと、
自分の身を守るための優しさであって
相手のための優しさではないって
そう思ってた。
いつか突き刺すのなら
ぐずぐずと抉るよりは、
一発で気持ちよくぶっ刺すこと
それが真の優しさだと。
そう思ってた。
でも最近は、変わってきた。
いろんな、優しさがあっていいんだって
思えるようになってきた。
スカッとぶっ刺す優しさがあってもいい
オブラートに形を変える優しさがあってもいい
そもそも、
優しいって、
憂いている(悲しんでいる)ひとの
そばにいる、人
って意味だから。
その人の
憂いに、
想いを寄せられるなら
寄り添うことができるなら
表現方法はなんだっていい
その人なりの伝え方があって
その人なりの優しさがあって
その人なりの愛がある。
大切なのは、
自分にとっての〈優しさ〉を
自分にとっての〈愛〉を
押し付けないこと。
「そんなの優しさじゃない」
「そんなの愛じゃない」
って言わないこと。
「それがあなたの優しさなんだね」
「それがあなたの愛なんだねって」
受け取ること。
やさしい人の胸はほんとうに傷んでるのだ。
見ててわかる。
わたしのまわりにはそういう人が多い。
そんなふうに相手の目線に立つこと
そんな当たり前に大事なことを実感している。
それでもそのこころを、
やさしい人にとって
共感性の高い人にとって
この世界は時に
あまりにも粗雑で
あまりにも暴力的で
あまりにも刺々しい
心を閉ざすこともあるだろう
もう人を信じれなくなることもあるだろう
突然当て逃げされたような
突然事故に遭わされたような
そんな心のショックを感じたことのある人もいるだろう
この世界の不条理に
この世界の理不尽さに
悲しみも憎しみもあるだろう
それでも、
その純粋で無垢なこころを
繊細で傷つきやすいそのこころを
どうか、そのままで、とわたしは願ってしまう
二度と傷つかないようにと
蓋をして、固く閉ざしてしまいたくなる。
それでも、
あなたのそのこころよ、
どうかそのままでいて、と。
それは何よりも尊く
何よりも、美しいのだと。
わたしがそのこころ、抱きしめるから
どうかそのままでいて、と
そんな想いが溢れてくる。
ぶつけるひともまた、
やさしいひとたちに
当て逃げをするような
やさしいひとたちを
ぶっ刺すような
そんな人たちもまた
わたしは抱きしめたい。
ぶっ刺すしかないような
ぶつけるしかないような
そんな余裕のない
切羽詰まったこころなのだから、
誰かを傷つけるひともまた、傷ついているひとなのだと、
わたしは身をもって知っているから。
傷つけてしまうひとも
傷ついてしまったひとも
どちらも抱きしめたい。
わたしはそんなふうに思っている。
やさしいひとばかりが、
と、冒頭で言ったけれど、
悪者をつくりたいわけじゃない
憎しみからは何も生まれない。
赦しあうことでしか
相手の背景に
相手の根っこに
目を向けることでしか
溶けないものがある。
今日はそんなお話でした。
とってもよろこびます♡