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情報量が多すぎる大江健三郎の小説

大江健三郎の小説を読み始めた。

私は松田優作主演の映画『家族ゲーム』が好きだ。

機能不全な家族のもとに風変わりな家庭教師として松田優作がやってきて、思春期のひ弱な中学生をぶん殴って精神を叩き直し、難関高校に入学させる話だ。

シュールな会話とやり取りが淡々と描かれ、
最後の有名なシーンの演出もとても好きで、
度々見返す作品。


父親役の伊丹十三は、この映画のあとに監督デビューを果たす。

伊丹十三作品も子どもの頃に見て、心惹かれた。

ヤクザがもてはやされる任侠映画には、興味がないけれど、伊丹作品のように一般市民と戦う敵として描かれるのは、好きだった。

伊丹十三のことを調べていたら、
大江健三郎と親友で親戚だと知り、驚いた。

有名な話ではあるが、私はその当時は子どもだったので、その辺の人間関係は無関心だったから、
大人になって知り、

大江健三郎には知的障害のある子どもがいたことも分かった。

そして、大江作品の中盤からそのことが作品のテーマとなり、作家としての幅を広げたという評価も知る。


ずっと本棚に眠ったまま、
積読された大江作品を読むことにした。

マンガ『A子さんの恋人』で、A君という翻訳家で、A子ちゃんのニューヨークでの恋人が、

大江健三郎の『空の怪物アグイー』を、
人生の大切な節目として翻訳するシーンが出てくる。

それもあり、アグイーはいつか読まねばと思っていた。


『個人的な体験』
『飼育』
『空の怪物アグイー』

は、読み終えた。

そして、伊丹十三の死を描いたとされる

『取り替え子』

を読んでいるけれど、なかなか進まない!

大江健三郎をモデルとした、
主人公、国際的作家の長江古義人の半生と

伊丹十三をモデルにした映画監督、吾郎の半生。

それぞれが、実話にリンクしていることと、
大江作品でよくある仕掛けの<自作引用>が多様されていて、

1段落読むたびに、スマホで調べなければ
何の話をしているのかさっぱりわからない。

「ご存知」という体で話が進む。

さらに複雑なのは、大江健三郎作品が、
政治的なテーマを扱っていること。

伊丹十三自身も、社会派な内容のために、
右翼や反社から危害を加えられ、

言論封鎖するように脅される事件が起きている。

大江健三郎の方も、『政治少年死す』という、
60年間書籍化が封印された作品があり、

過去の作品から左翼右翼から脅迫されるなど、
令和から考えると信じられない過激な政治団体から標的にされている。


このあたりの時代の空気感が、
平成育ちの私からするとちょっとわからない。

政治への期待は死んだものとして、
選挙すら行かない人たちに囲まれている時代。

一方で、自分の人生をかけて政治に対しての信念を持つ昭和の若者。


情報量が多すぎて、小説を小説として読めずにいる。

その上、作中では<アレ>と呼ばれる、
2人の人生に影を落とす何かが起きている。

作中では明記されていないが、
いくつかの論文や考察を読むに、

丁寧に読めば書いてある、とのこと。


本編への考察に入るには、
周辺情報を理解しなければいけない。


こんな作品、あんまりない。

歴史小説に近いのかもしれない。


作家はもちろんだが、
これに感想を伝える担当編集者のすごさ思うと、

私にはできないな……と尊敬しかない。


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