個人的・反朝時間の充実
最近の朝は最高である。やる気がないわけではないが、別にやる気があるわけでもない。「朝か」と目覚めて身支度をして、ぼーっとコーヒーを飲んで時間になったら仕事をしたり、家のことをやり始めたりする。希望に満ち溢れるわけでもなく、憂鬱なわけではない淡々とした朝。私はこういう朝を求めている。
思えば20代の頃は、朝時間の充実こそが人生の充実のために必要なもの、朝は頭がスッキリしているから諸々の効率がよい、知的生産こそ朝にやるべきだという思いに囚われていた気がする。それは別に自分がやってみて「朝のほうが生産性が上がるなぁ」と思ったわけではなく、私が新卒だった頃世間に朝活ブームが到来し「朝のほうが生産性が上がる」と至るところで見たからだ。
基本的に素直で真面目な私は「こりゃイカン、即刻長年の夜メインの生活習慣を改めねばならぬ、朝の時間を制するものが人生を制す」ぐらいの気持ちになった。そして幼稚園時代から続く夜型生活を改善しようと試みた。
しかしチットモうまくいかない。頑張って朝早く起きたところで気分は悪いし体調も悪いし、頭もなんだかぼんやりする。
「好きなこと・やりたいことを朝にまわすことで早起きのモチベーションを上げる」という提案ももちろん試みてみたが、22時にやりたいことを諦め23時前に寝て、朝5時過ぎにに起きて昨夜22時にやりたかったことを同じテンションでできるか? というと、なにかが違う。22時に感じた衝動とは別物になっていて、あったはずのモチベーションもどこかへ消えている。
「もしかしたら自分は、うまくやれば人とは違う『何者』かになれるのではないか」という幻想を抱いていた若い頃の私は、朝型生活に転換もできず時間を無為にしている気がして、自分にひどくがっかりした。
しかし30代も後半に差し掛かった今なら思う。朝型生活ができないからといって私の人生に大して支障はない。
そりゃ私にだって時間を惜しんで必死で努力したこともあったし、これからの人生必死で努力せねばならないときが訪れるかもしれない。でもそれは訪れた時に考えればいいことであって、朝型生活を”するため”に好きなことを翌朝に回したり寝たくないのに寝る暇はない。
そしてそもそも、私はあまりやる気がない。たくさん寝ようが朝日を浴びてスッキリ目覚めようが、朝は特にやる気がない。
繰り返しになるが、かつての私は
朝時間の充実=朝からハツラツ、「今日はなにをしようかしらん?」とやる気に満ち溢れている
だと思っていて、だから私は何者にもなれていないのだ、もっとやる気に満ち溢れた生活になれば人生変わるのかもしれない! と結構本気で考えていた。が、よくよく考えるとやる気がある状態は平素やる気がない私にとってはステータス異常なので、異様に疲れる。私は淡々とした日々を過ごしたいし、そんな日々を愛している。
だから別に、やる気満々で希望に満ち溢れた朝とか朝時間の充実とか、私の人生に別に必要ないのだった。何者になれなくても今のところ人生満ち足りてるし、やる気がなくても変化が訪れるときは否応なく訪れる。
よって今は、予定に合わせて起きなければいけない時間か、無理なく目覚められる時間に起きている。子どもができたりしたらこんな生活は続けられなそうだが、それはできたときに考えることにして今はこの穏やかな起床を満喫するのだ。
私は朝時間を愛している、しかしそれは朝時間が充実しているからではない。
※ちなみにヘッダー画像はハンブルク行った時時差ボケして早朝に撮ったものです