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やっと、「深呼吸」ができた

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私が住むこのまちには、商店街がある。

正式には、商店街のような通りがある。

決して人で賑わう程の大きな通りではないし、戸越銀座商店街のように大きなゲートはない。
全蓋(ぜんがい)式アーケードと呼ぶような屋根の付いた吉祥寺サンロード商店街でもない。

小さい、けれど古くからのお店が立ち並ぶ、その地域住民にとっては立派な商店街である。

お茶屋、焼き鳥屋、蕎麦屋。
古本屋、クリーニング店、美容室。

どれも年数が経っている、このまちのお父さん、お母さん、と呼ぶことのできる方々が経営しているお店が多くある。

その中に、ご夫婦で個人経営をされているグローサリーショップがある。
野菜と果物をメインで取り扱っていて、店頭にも陳列されている為に、そのお店の前を通るだけでも何がいくらで販売されているかが分かる。
段ボールに手書きで商品名と値段が書かれており、デジタル化が進む一方であるこの時代、そういった人間味のあるお店は惹かれてしまう。

そのご夫婦は60代、70代ぐらいだろうか。主にご主人が店頭に立つ印象がある。
あまり多くは喋らない、押し売りもしない、店頭にいないこともある。
そんなご主人は高身長で少し強面、寡黙めな人に見えていた。
それでも恐い人ではない、むしろ優しい人である確信はあった。

私自身は普段、買い出しはどの街にもあるようなスーパーやドラッグストアで済ませている。

しかし近所にある為に、そのグローサリーショップの前を通る頻度も高く、いつも気になっていた。しかも何年も。気になってはいたものの、なぜかずっと、行けずにいた。

私の実家は昔、自営業の飲食店であった。
だからかと言うのもおかしい気はするが、一番近くの大人たちが働く姿とその裏側を、子供ながらに見ていた。
お店が暇な時は、お店のテーブルに宿題を広げて、お客さんが沢山来たら裏へ戻る。

カウンターに父や母の知り合いが来た時には「〇〇さん来たよ」と知らされて、カウンターまで会いに行き、ちゃっかり膝の上に座らせてもらいながら、コーラやジンジャーエールを飲む。
大人たちの会話を理解していたのか、いや理解出来なくとも、その場の雰囲気が私は好きだった。

手が空いては知り合いと話しに来る父と母、注文が入ればまたキッチンへ戻っていく父、そんな光景は私にとっての日常であった。

休みの日でもお店で使う調理器具や雑貨を見に行ったし、毎週定休日の夜は家族全員でデパートで買い物、外食、祖母の家、がお決まりコース。
外食時には父と母がお店の中を最初から最後まで見ていて、この時間にキッチンは何人で回してホールは何人必要か、とか、あの人が店主だな、とか、この食器はここがカッコいいな、探してみるか、とか。

完全に職業病である。
そのおかげで娘である私は30歳になった今でも外食時にお店のあらゆるものを観察してしまう癖がついてしまった。これは飲食店に限った話ではない。

お店が閉まっている間だって半分以上はお店の事に費やしていた、そんな働く大人たちを私は間近で見ていた。

また、幼い頃、父や母に連れられて親戚の個人経営のスーパーを良く利用していた。
行く度にいつも親戚のおばさんが売り場から一つお菓子を選んできてくれて、持って帰りなとタダでくれた。

それから、数ヶ月に一度ぐらいであっただろうか、父が私を市場に連れて行ってくれた。
幼かったので記憶も所々しか残っていないが、早朝で寒い中、魚の匂い、父が私を「うちの3番目です」と紹介していたことは鮮明に覚えている。

そう言うわけで、うちの飲食店で出す材料は父が信頼を置いている人たちから購入していたのを、私は知っていた。

これらは私が”働く大人たち”を気にするようになった理由のほんの一部である。
しかし間違いなくルーツである。

こういった過去の記憶を持つ私は、特に個人経営のお店には自然と想いが溢れてきてしまうのだ。

話を戻すと、この気になっているグローサリーショップが気になっていたのにはもう一つ大きな理由がある。

値段の安さと状態の良さである。

他のスーパーでは同じものは決してこの値段では買えない。
こんなにも状態の良い野菜や果物はスーパーで探しても出会えない。
コスパの良さが不安になるぐらいであった。
ただ全てではないが産地も表記してくれているものがあるから安心材料もあった。

ご近所の常連さん、なのかお知り合いなのか、お客さまがいらっしゃっているところも見たことはあった。
ご主人や奥様がお客さまと話しているところも、「今日これ入ったよ」なんて会話も聞こえてきていた。

そういったシーンを知っていたから、経営しているご夫婦の人柄もなんとなく掴んではいた。

それなのになぜだろう。

なぜだか分からないが、何年も行く勇気が出なかった。

気になるけれど入りにくいお店というのはきっと誰しもがあると思う。
それがチェーン店ではなく個人経営であればある程、最初の一歩までに時間がかかるお店というのは、ある。

何を置いているのか、単価はいくらぐらいなのか、どんな方が経営していて、どんなお客さまが足を運ぶのか。

そういった不安要素が、このグローサリーショップにはひとつもない。
というよりも、足を踏み入れる為の材料は全て揃っている。

お店の前を通る度に並ばれた野菜や果物を見て、値段を見て。
立ち止まって買い物をするシミュレーションを何度もした。

それでもずっと、勇気が出ないまま、何年も通り過ぎた。


ここからは昨日の話である。

昨日もそのグローサリーショップの前を通った。
行きと帰りの両方。

行きももちろんお店を見ながら通った。

そして帰り、そのお店を通る時、ご主人がちょうど在庫管理のような作業を店頭でされていた。
そこを一度通過しようとした。お店を見ながら。

そこには販売され始めたばかりのみかんが並んでいた。
熊本県産の小さなみかんがいくつも入って300円。

大好きなみかんと、値段の安さと、産地と、色の鮮やかさと、良い具合のサイズ感と、状態の良さ。今ちょうど風邪を引いている私にとってはまさに欲している食べ物でもあった。
そんな魅力的な情報たちが数秒の間に一気に入ってきた。

その情報たちを整理しているうちに、気付けばいつも通り勇気が出ない私は10m程過ぎてしまっていた。
が、初めて、進み続けるのをやめた。
考えた。
あんなにも魅力的なみかんとの出会いを手放していいのか。
考えた。

今なら行ける気がする。

そうして私は引き返した。
ご主人が店頭で作業をしているお店に、ずっと行きたいと思っていた場所に、ついに、来た。
店頭に並んだみかんの前で足を止め、どれも美味しそうなみかんを見比べながら、どれにしようかを悩んでいた。

すると悩んでいた私の後ろをご主人が通過した。
サラッと通過しながら、ご主人が私が見ていたみかんを指差して、「それうまいよ。」と言った。

絶妙に良い距離感を保って声を掛けてくれたご主人のイケメンな対応に、一瞬で心を奪われた。

私も、「今一度通り過ぎたんですけど美味しそうだったので戻ってきました。」と伝えた。

引き続きどれにしようかと悩む私に、「これなんか良いんじゃない?」と選んでくれたので、それを持ってお会計に向かった。

帰り際には、「うん、食べてみたけど甘かったから良いと思うよ。たまに酸っぱいのに当たるかもしれないけどね。」と言葉をかけてくれた。

なんだか泣きそうになった。

お店を出てから家に着くまで、購入したみかんを持っていたバッグには入れずに、ずっとただ片手で持って眺めていた。

美味しそうなみかんが安く買えたことも嬉しかった。
それ以上に、やっと、やっと、深呼吸ができる気がした。

何かを限界突破したような気持ちだった。
何年も何年も勇気が出なかったお店。でも行きたかったお店。

そんな自分に対して、(え、なんで?)とか、(いやいや、行ったらええやん。)などと心の中で冷静に突っ込む自分も何年もいた。それでも勇気が出なかった。


この街に住んで何年も経つ。
このグローサリーショップ以外にも、気になるけど行くことのできていないお店は他にもある。
地元の高校生が夕方になると買いに行くコロッケが美味しそうなお肉屋さん。
お弁当も販売している中華屋さん。年配のご夫婦が経営しているお蕎麦屋さん。

なぜだろう。勇気が出ない。
個人経営だからと言って、会話は絶対条件ではない。
「コロッケ一つください。」、「チンジャオロースください。」、「秋野菜の温かいお蕎麦ください。」、これだけなのに。

初対面の人に自分からぐいぐい話しかけることはしないが、人と話すことは好きだし、話しかけてもらったら楽しく話すし、人見知りではない人間だと思っている。

カフェも、回転寿司も、カラオケも一人で行けるのに。

このグローサリーショップには行ったこともなければ、そのご夫婦の知り合いでもないのだが、どうしてもこのお店では、黙って商品を選んで黙ってお会計に持っていって黙って帰ることはしたくなかった。
ただ話しかける勇気もなかった。

一日経った今でもこの気持ちがなんなのかは分からないままであるが、私が勇気を出さなくても、今回のようにご主人が声を掛けてくれる。

緊張したままでも良いのかもしれない。

これからは野菜や果物を買いに行ける気がしている。

ちなみに購入したみかんは帰ってすぐに一つ食べたが、ご主人の言う通り甘かった。

みかんはみかんでも、そこに詰まった、と言うよりも勝手に詰めたエピソードが一緒に付いていると、みかんひとつも大事に食べることが出来る。
それもまた嬉しかったりする。

誰しも、似たような感覚を持っているのではないだろうか。

お店でなくても、ずっと、ずっと気になっていること。気になっている世界。
その世界を知った時の自分がどうなるかが気になる。という感覚。

私は今日、あの美味しそうなみかんのおかげで、乗り越える、一歩を踏み出す勇気が持てた。

私自身、このグローサリーショップに行かないまま、いつかこのまちを離れることになるなどとならなくて良かったという安心感も今はある。

行けて良かった。

やっと、「深呼吸」ができた。

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