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古畑のラスボス・天馬先生を褒め称える会

推しが演じた推し。古畑任三郎VS金田一耕助のドリームマッチ。
※以下、古畑任三郎FINAL第1夜「今、甦る死」のすべてをネタバレしています。あと、石坂金田一シリーズにもちょっと触れています。


説明不要、というか説明したら(倒叙なのに)ネタバレになってしまう史上最凶の犯人、天馬恭介(演-石坂浩二)。春峯堂さんは古畑さんに推理を誤らせたが、天馬先生は「まさに完全犯罪」と言わしめた。つまりラスボス。

倒叙を引っくり返す

古畑シリーズといえば倒叙なので、普通にいけば冒頭で大吉を殺した音弥がメイン犯人ということになる。古畑さんのもとに音弥が怪しいという証拠が続々と集まってくる。古畑さんは確信を抱く。勝ち確である。さあいけ!推理を突きつけろ!となったところで音弥は唐突に死ぬ。しかも直前の音弥と天馬先生とのやりとりを聞いている視聴者は音弥が自殺するつもりではなく、死なない程度に怪我をして被害者を装う気満々だったことを知っている。しかし彼は死んでいる。今までの前提がすべて崩された混乱の中、そこで初めてすべての黒幕たる天馬先生が真犯人として姿を現す。このカタルシス。

うまいなと思うのは、FINALの前のスペシャル「すべて閣下の仕業」で犯人が自殺するエンドを見せていることである。あれを見ていたら「自殺パターンもあるよな……」とそりゃ思う。狙ったのだろうか。

シリーズを特徴づけた「倒叙」という前提そのものを隠れみのに使い、途中でそれを引っくり返す。これはFINALでなければできない技だろう。途中でやってしまうと「すべて閣下の仕業」の自殺パターンのように「そういうパターンもある」と記憶させてしまう。「古畑=倒叙」という前提が十分浸透したところで最後の最後にこれを繰り出す。ーシリーズにつき一回しか使えないであろう大技。

しかしよく見ると「予め犯人の犯行を見せる」という前提はそんなに崩されていないことがわかる。通夜の席で音弥に言ったこと、自由研究ノートを見つけさせたこと、そして「次の被害者になる」という行動を誘導する言葉、すべてがある意味天馬先生の「犯行」だからである。

「この私は一体、なんの罪で罰せられるんだね?」

真の完全犯罪はそもそも犯罪として露見していない犯罪、という話がある。確かにひとたび犯罪として世に出てしまえばそれこそ古畑任三郎みたいな刑事がいつまでも付きまとってきてネチネチネチネチいつかボロを出すまで質問攻めにされたりする。こうなると完全さを守り切るのはかなり難しい。立案・実行時は完璧にしか見えなかった計画も後からよく見ると穴があった、みたいなことは犯罪に限らずよくある話である。だから完全犯罪の第一歩はまず犯罪そのものを隠し通して捜査をそもそもさせないようにするということになる。だが、行為として暴かれてもなお完全犯罪といえるものがごく稀にある。それが天馬先生が音弥にやってのけたことである。ノートの火薬の量が書きかえられていた、先生自身も音弥をコントロールしたことを否認はしていない。しかし彼の「犯行」だと明らかになっても、誰も先生を罪に問うことはできない。殺人教唆とは行為者が唆されたことを認識した上で成立する。この場合、音弥はそもそも教唆されたこと自体を認識していないので成立しない。法律によって犯罪が規定されている以上、法律に触れていないこの行為は「犯罪」ではない。行為は露見しているのに裁けないため罪にならない、これもひとつの完全犯罪の形である。

超知能犯が気にしていたたったひとつのこと

こうして彼は一切手を汚さず、「3」を「8」に書き換えるだけで邪魔な人間を2人もこの世から消し去ってみせた。あの古畑任三郎をして「これほど完璧な殺人の計画を私は知らない」と言わしめるほどの鮮やかな手腕ではあったが、15年前の殺人はそうではなかった。最終的にこの事件が天馬先生を裁くことになるのだが、こちらを暴かれた彼は自分が逮捕されることよりもっと気にしているものがあった。

15年前の話の後、先生は古畑さんに「さっきの言葉は嘘ではないと言って欲しいな」と頼む。まるで完璧な絵の隅に小さな汚点を見つけてしまったみたいに、せっかく古畑さんに褒めてもらえたのに15年前の雑な殺人でそれがなかったことになってしまわないか不安だったのだろう。先生の念を押すような「これほど完璧な殺人の計画を……?」に古畑さんは笑って「私は知らない」と返す。先生ははほっとしたような表情を見せ、古畑さんが続けて言った「しかし、それでも犯人は捕まる」に頷いてみせてからぷっと吹き出す。
この時先生の頭には自分が捕まることも音弥のことも兄弟の父のこともなかった。ただ自分の認めた名探偵である古畑さんにどう評価されるかを気にしていたのだろう。それほど彼は自分の知性に自信があり、知性を認めてもらいたい気持ちが強い。インテリジェントサイコである。

きっと先生は負けるにしても美しく負かされたかったのだろう。納得がいっていなかったのは自分が捕まることではなく、反則スレスレの別件逮捕というあまり美しくない幕引きに対してだ。しかし先生にとっては知的遊戯のようなものでも、警察官である古畑さんにとっては現実の犯罪であり美しい解決方法とはほど遠くてもとにかく犯人を逮捕できればそれで勝ちなのだ。その2人のスタンスの違いが「私としてはあまり納得のいく結末ではないな」「私としては十分です」というセリフに表れている。

裏表の激しさと石坂浩二の「さりげなさ」

春峯堂さんが恐ろしかったのは残忍な方法で2人も殺しておきながら一貫して上品で穏やかでゆったりしていたからだった。天馬先生もそうだ。2人ともエレガントサイコパスだ。加えて2人とも複数殺している。もっとも先生が直接手を下したのは1人だが、凶器に銃や刀を使うか人を使うかの違いであって結果は同じ。

天馬先生はヤバい人である。自由研究で人を殺す方法を堂々と発表し大人になってそれをニコニコしながら実行する音弥も十分ヤバいが、黒幕の方がヤバすぎるせいで霞んでいる。
先生はそのヤバさを無害そうな見た目で包んでいる。ぱっと見彼は優しい田舎の先生にしか見えない。服もいい。シャツにニットベストにジャケット。ブラウン系が似合う。パーソナルカラー秋だな。マフラーも(私の推し犯人はあの巻き方しがち)。フォルムがもこもこしていて可愛い。極めつけが資料館を掃除していた時の割烹着。あれを着ている人間は絶対に殺人者には見えない。このような外見のなかに彼は極めて冷酷で狡猾な本性を隠し続けた。すべてが自分の思い通りに進んでいることに常人なら多少テンションが上がったりニヤニヤしたりしそうなものなのにそんな雰囲気をおくびにも出さなかった。計画を完遂するその時まで「ネチネチした刑事の追及から教え子を守ろうとする素朴で心優しい恩師」を演じきったのだ。

個人的に石坂浩二は「さりげない」の上手さがたまらなく魅力的な人だと思っていて、その魅力は特に穏やかな顔でとんでもないことを言うシーンで炸裂する。「白い巨塔」の東教授が財前に世間話をするようなさりげなさで「君の査問をすることが決まってね」と言うシーンも、「相棒」の甲斐峯秋が外国のスパイに情報を流し追いつめられて自殺した人間のことを「惨めな国賊」呼ばわりするシーンも、不必要な重みを加えずさらりと言うことによって背中に錐を差し込まれたような冷ややかさが増す。

この「さりげなさ」が天馬先生をただの殺人者より遥かに怖い存在に押し上げている。教え子をマインドコントロールして先生の邪魔になる人間を殺させるという計画の話なのに彼は淡々と穏やかに古畑さんとやりとりをする。「それにだね、君の推理が正しいとして……」で指をピッとやるところなどまるで生徒の解法の細かな欠点を指摘する先生のような気軽さである。この人が教育者であることを嫌でも思い出させてくる。完全な犯罪を成し通げた最強の犯人としてのポジションとの間にギャップがある。それは彼が計画そのもの、大吉や音弥の命もなんとも思っていないことをまざまざと見せつけてくるものでもある。

先生はあえて自分の望みとは逆のことを言って逆の逆、つまり自分の望む方向に音弥を誘導した。教え子の特性を完璧に把握し最大限に活かすという意味では良い教師と言えなくもない。活かし方が最悪だが。「くれぐれも大人の解決をね」というのは音弥に大吉を殺して欲しいということであり、表面上は唆すどころかむしろ音弥を止めているようにさえ見せかけている。「そんなにムキになってかばったら古畑さんますます疑っちゃうよ~」すら作戦通りなのすごい。さりげなく古畑さんの疑いが音弥ひとりに集中するように固めておいて音弥の前では彼をかばうフリをし、自分の味方は先生だけだと思い込ませますます依存させて自ら死ぬように誘導した。見事と言う他ない。

彼は結局何を守りたかったのか?

音弥は敬愛する天馬先生のためにレジャーランド建設に反対するようになった。ところが先生の方はというと、古畑さんから「音弥さんは死ななくてもよかったんじゃないですか?」と聞かれて「彼は人の意見に非常に左右されやすい。それは今は私の言いなりだがね、会社の連中に責められたらどう転ぶかわかったもんじゃない」と事もなげに答えている。自分を慕って信じてくれた教え子のことすら彼は信じられず、危険予防のために排除したのだ。

しかし人を人とも思わず、教え子も駒として使い捨てた冷酷な先生の数少ない綻びのひとつが15年前の殺人の証拠となる3万年前の鏃を残しておいたことだった。自分の身を守ろうという気持ちよりも貴重な石器を処分したくないという気持ちの方が大きかったのだ。鏃を捨てられなかったことで初めて彼に血の通った人間らしさが表れる。彼は教え子のことを愛しているフリをしながら愛していない男だったが、遺跡のことはまぎれもなく愛していた。

全3回のうち2回目の殺人・大吉殺し(正確に言うと大吉殺させ)について、「裏山の自然を守るためレジャーランド建設を阻止したかったから」といううわべの動機は古畑さんに「先生、嘘はいけません」と見破られたようにあくまでも建前で、本当は「開発の手が入ると記念碑の下に死体を埋めたことがバレるから」だが、ではすべての根本となったその15年前の1回目の殺人はなんのためだったかというとそれはやはり村の自然を守るためだった。しかも人を2人もこの世から消すのにあれほど鮮やかな手腕を発揮できる超知能犯の先生が鏃で心臓を突くというバイオレントな殺し方に走っている。よほど我を失ってしまったのだろう。つまりそれほど本当に自然を愛していた。2回目、3回目の殺人は保身のためだったが、最初の殺人は自分ではないものを守るためだった。このあたり先生は優先順位が極端なだけで自分しか愛してない人ではないんだということが証明されている。人間として心から何かが決定的に欠落してはいるが、欠落と「そもそも何もない」の間には大きな差がある。

おまけ:金田一オマージュ

ゲスト:石坂浩二ということで全体的に金田一オマージュが散りばめられているのだが、「偶然のアシストがある」も似てるかもしれない。たまたま雪が降って音弥がこの殺人は後押しされていると思い込んだところ。獄門島ではたまたま復員詐欺師が現れたまたま釣鐘が戻ってきて犯人たちはそれを運命だと思い込んだ。雪が降るのは本陣っぽい。いや石坂金田一は本陣やってない。それを言ったら悪霊島(レジャーランド建設の元ネタ)もやってないけど。

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