映画『風が吹くとき』 ……リバイバル上映を記念し、今後も不朽の名作であり続ける事を祈って
※10年近く前に観た時も、先日サブスクに来た時再度観た時にも更に衝撃を受けており、8月のリバイバル上映に先立ってお友達と再鑑賞した時の記録。Filmarks投稿文に加筆修正
※以下、映画『風が吹くとき』の内容・展開に触れる箇所があります。
ネタバレ有感想としてご注意下さい。
『スノーマン』のレイモンド・ブリッグスとデヴィッド・ボウイが製作に携わったアニメーション。
ポスターヴィジュアルのイラスト通り、絵本のように素朴でシンプルな描画で、
「日本の被爆後まもなく、イギリスに核が落とされるifの世界」を描く。
子供が独立し、二人で暮らすジェームズとヒルダ。
男は家長として誇り高き国民として困難に対処し、女は男に従い守られながら家を切り盛りする……“当時の当たり前”の価値観と知識、そして先の戦争での生存経験の中で、国家の言う通りに行動し、知らず知らずのうち核に蝕まれながらも生活を続けようとする(生きようとする、ではない事に注目)老夫婦。
実写と素朴なアニメーションの「切り替え」だけでなく「同居」をも駆使した、リアリティの強調箇所、逆にアニメーションの絵柄で描写されるからこそ質感の強い箇所の融合がとにかく印象的。
現代人からすれば、夫ジェームズは「楽天的で政府盲信」、妻ヒルダは「呑気」、いずれも「無知」に見えるだろう。
しかし二人な前述の当時の価値観と知識と経験の中で「最善」を尽くしているだけだ。
ジェームズは入手可能な最新の情報を調べて戦争に備え、ヒルダはそんな夫を信じ従った。
最善そして“当たり前”に生きようとしただけだ。
なのでジェームズが「楽天的だ」という見かたはそもそも無意識に現代人の上から目線によったズレたものである。
それどころか、繰り返しになるがジェームズは(自分の環境と現状での)全ての備えを徹底し最善を尽くそうとする用心深い性格であり、その上で、遠く離れた我が子にさえ警告を行い心配できる性格であるとじゅうぶん読み取れるはずだ(このシーン、若い世代より、老いたジェームズの方が明らかに最新の情報収集に努力し、危機感を持っている事にも注目)。
だからこそ、ジェームズの
「大丈夫だよ」
という言葉が盲信やでまかせより、自分に言い聞かせ妻を不安にさせない、心遣いとして心に刺さる。
カードゲーム草創期のスターターパックと基本セットで最善の手札を揃えようとしていた人間を数十年後の強さインフレ拡張パック世代が
「勝てるわけない」「弱い」「無知」
と馬鹿にするのが見当違いであるように(更にここ数年で、コロナ禍下での現代人もそんな“昔”の人々と同じだったと強く認識もした)、私は劇中の夫婦やそれこそ長寿の為に水銀を飲んでいたような昔の人間を現代人の観点で上から否定する事はしない。
しかしまた「現代人だからこその観点と価値観で観て」考え、語りつぐべき作品であると思っている。
先程は理解度に関して否定的なニュアンスで書いてしまった点ではあるが、ジェームズやヒルダを「思考停止」「楽天的」「危険な国家盲信」と見る“事ができる”人々が増えた事こそ、現代日本人のリテラシーや危機意識・情報意識がそれだけ良い方へ進んだ(進む事が出来る国家体制が築かれた)という事でもあるのだな、と素直に思えているのだ。
“死の陰の谷を歩むとも”に本来続く言葉が遮られ別に締め括られるラスト、今を生きる我々の胸を強く重たく締めつける。