映画『ソウX』がシリーズで一番好きな『ソウ』だった話(ネタバレ無し感想・考察)
※オチやストーリーライン(何がどうなるか)、起承転結内容のネタバレはありませんが、見出しごとに
「私の感想文のみ」
「映画の構造(ややシーン演出に触れる)に対しての感想」
に別れます。
誰かの好き嫌いや賛否含め何も情報入れたくないよって方は、勿論何も読まずにブラウザを閉じて下さい。
観てきたらまた会おうぜ!!
■『ソウ』が帰ってきた!またかよ!……いや、今回はわりと心から「おかえり」!!
(感想文のみ、シリーズ過去の作風にやや言及)
『ゲ◯戦記』の女性キャラが予告編の一言で出してきた価値観を、毎度激ムズ激痛ゲームで思い知らせる事でおなじみ『SAW』(以下『ソウ』)最新作。
しかしシリーズを観ていなくても本作のみに起承転結があり、歴代でも残虐度の高い『ソウ6』の監督によるかなりのショックシーンは味わえる。
勿論『ソウ』の文脈・音楽・犯行動機・キャラクターを知るシリーズファンなら小道具一つまで愛着を刺激されるのだが、
「シリーズの中でも後半はな〜」
「ソウが好きだったのは3までくらいかな〜」
という少なくない層にも、いやその層にこそしっかりオススメできる。
私も『ソウ』シリーズの事は「一生のお願い」を何回も使ってくるしどんどん度を超えてくる友達、みたいに思ってるからな、分かるよ(笑)。
ジェームズ・ワン監督による“発明”とさえ呼んで差し支えないアイデアで、低予算制作をものともしない強大なインパクトを映画史に叩きつけた第一作『ソウ』。
好評を博し、物語は『ソウ2』『3』と進むが、この時点で一作目のソリッドシチュエーションサスペンスから、第一作の犯人個人と彼の犯行によりフォーカスした物語に毛色が変わっている。
『4』を境に更に新章といった感じで、それまでにもあった説教性みたいなもへの必然的同情を喋り出すというか、犯人の中での正当性を更に遡って言及する。
めちゃくちゃ口うるさくてリンチ三昧の学級委員長の物語だったとして、悪行や思想を描いていたのが、親や生い立ちの話までし始めたような感じだ。
で、シリーズとともに増していく説教ネタバレの人間性と反比例するように、作中人々を苦しめる“仕掛け”は残虐さ悪趣味さを増していった。
しかも仕掛けから“逃げ道”や“達成”を見出す事に大きな意味があったはずが、突破不可能と定められたものとかも出てきたりしている。
説教+見世物グロテスク、というアンバランスなシリーズと化していった印象を、多くの『ソウ』視聴者が持っていたはずだ。
シリーズ一本筋が通っているのは「警察の無能ぶり」のみ。
『FINAL』を出してからもなんやかんや続くし、この間なんて『オールリセット』とか言って来たから
「もう主要キャラも物語も一段落してるけど、別の形で残虐大喜利を続けたいんだろうな」
くらいに思っていたわけだが、今回のシリーズ最新作『ソウX』、個人的には、シリーズ最新作としてあまりにも正統であり、記念すべき10作目に相応しすぎる名作だった。
初代が確立し多くのファンが魅了されたシリーズ初期の象徴的なあれこれを、より知名度が上がりグロテスク映画として存在を知らしめたシリーズ後半の悪趣味さ・残虐さであざやかに見せつける。
『ソウ』シリーズ前半で脱落したかつてのファンや、グロテスク・ゴア映画がお好きな人はぜひ劇場へ!
……とはいえ残虐描写は『ソウ』初期とか『テリファー』とかが観れる人でもちょっとキツイかも知れないので、不安な方は体調のいい時に鑑賞をオススメします。
……決して最後まで席を立つな。
被験者は、まだ――
□説教は健在、だが並走する思惑や価値観を「最前で見る」事が物語に没入させる!(映像内容含む構造への言及あり)
冒頭。
闘病生活にある一人の老人。
彼の見つめる先には
“苦しんでいる人の目を盗み、怪しい動きをする、手癖の悪い(英語圏では指癖の悪い・sticky fingerと呼ぶ)”男がいた。
老人は逡巡する――
シリーズを遡り、序盤中盤をまたぐ、シリーズの象徴といえる一人の男の物語。
シリーズ通して叫ばれてきた価値観・犯行理由に、シリーズ途中から更にバックボーン語りが始まったせいで辟易してしまった人も少なくないとは思うが、本作ではその
「シリーズ根幹にある、犯行を行わせる感情」
と、観客が常に並走できるため鼻につくノイズが無い。
つまり、残酷な目に遭わなければならなくなった被験者を「こいつらなら仕方ない」と蔑む気持ちや、犯人側に「やっちゃっていいよ」と思える気持ちを持ちながら観られる。
――つまり、我々観客もゲームを最前列で見ることができるのだ。
シリーズを追ってきた人ならば、この言葉に聞き覚えがあるだろう。
人体破壊アイデアから特殊メイク、“被験者”のバックボーンに至るまでかなり良く、舞台となる土地柄を取り入れた描写やデザインが多かったのも『ソウ』として新感覚で良い。
殺傷の残虐さ、簡単に言うと体への直接ダメージや傷といった「痛そうさ」にとどまらず、たとえば
“ただし不純物は除く”
みたいなワンクッション挟む見せ方にも、派手な見せゴアに全力を注ぐスプラッタには無い懇切丁寧さを感じられて素晴らしい。
刑具は象徴たる“SAW”から、新たなる◯◯◯◯sawへ……。
偶然かも知れないが、今回
「ある立ち位置におり、ある運命を背負う」
者達がすべてキリスト教関連の名前(のモジリ含む)だった事も個人的にかなり暗示的に見え、余韻を残した。
“生贄”と聞くと
「野蛮人ゆえの人命軽視」
というイメージを抱く人が多いかも知れないが、それは真逆である。
多くの文化圏において、人命が重く尊いものだからこそ差し出し、だからこそ与えられるものも相応に重く尊いものだ、という考え方なのだ。
かつて、ある地では間近で祭壇を流れる儀式の血と生贄の痛みが、人々に「命の重さ」を知らしめ、享受できる恵みの「生」に感謝を捧げ平伏した。
命を軽んじる者の指が流血と痛みから生を拾い上げた時「ゲーム」は「儀式」となり、その者は彼にひれ伏す。
残虐な儀式に感謝を捧げ、その志を継ぐ程に。
(本作から観た人は、シリーズが気になったらまず『〜1』『2』『3』までを順番に観ていくと、パズルのピースがはまるはず🧩)
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