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『チャイルド・プレイ』のティファニーが好き(シリーズ4、5作目ネタバレ感想)

ひとつ前の記事で『チャイルド・プレイ』シリーズとチャッキーに関してスーパーざっくりながら書いたので、今回はいよいよ私の好きな“もう一体の殺人人形”ティファニーについて思い入れを書いていこうかな。

ティファニーの登場はシリーズ4作目
『チャイルド・プレイ チャッキーの花嫁(原題:BRIDE OF CHUCKY)』
から。

前作『3』までの流れでは、殺人人形チャッキーを人間がラストで退治しても次作でまた復活、退治してもまた復活……という事が繰り返されている(驚いたのはチャッキーの残骸を溶かして新しい人形に成型しなおしても魂が宿っている、というシステム。スピリチュアルなパワーは溶解→再成型にも問題なく耐えうるらしい。まあ十字架を溶かして悪魔殺しの弾丸を作る『コンスタンティン』とかでもそうか。納得)。

『3』のラストでも遊園地で人形の肉体がバラバラになりチャッキーの魂は再び実体を失いさまよう事となっていた。
4作目は、このバラバラになったチャッキーの残骸を、チャッキーの生前の恋人であるティファニー(人間の女性)が警察から盗み出し、縫合して修復する事からスタートする。


■『チャイルド・プレイ チャッキーの花嫁』のティファニー

もう開始直後から、ティファニーの狂気と可愛らしさが分かりやすく表現されている。
計画に利用した人間をあっさり殺す殺人鬼としての顔を見せつつ、ティファニーに迫る押しかけ彼氏?にも
「チャッキーより素敵な男はいない」
と言い放つ一途っぷり(この時点でチャッキーが死んでからかなり経過しているのに身持ちの固さよ……)。

ティファニーによる降霊術でチャッキーの魂は再び修復された人形に宿り、チャッキーは手早く押しかけ彼氏を殺害。
殺人の天才たる愛しのチャッキー蘇生に喜んだり、それでも彼の結婚願望のなさにヘソを曲げたりと、乙女全開のティファニー(ここまでにティファニーとチャッキーは既に二人を殺してるのにそんな事はお構い無し)。
そして入浴中、フランケンシュタインの映画を観て涙を流すティファニー。
殺人鬼に惚れており自身も殺人鬼である事を除けば、もう普通にめちゃくちゃ可愛いのである。

と、チャッキーは隙を見てティファニーを殺し、降霊術により彼女の魂を女性の人形に憑依させた。
二人は揃って人間の肉体を得ようと、チャッキーの墓にある「ダンバラの心臓」という魔導具を目指す事に。
そしてある若いカップル(と二人の駆け落ち支援者の親友)に目をつける……

これが4作目『チャッキーの花嫁』のあらすじ。
チャッキーの相棒に相応しいぶっ飛んだ女殺人鬼が登場したと思いきや、簡単に人を殺す以外、ティファニーは驚くほど乙女なのだ。
前述のようにチャッキーに一途で、復活に一喜一憂したり、映画を観て泣いたり。
しかもその恋愛体質と優しさは自分の恋だけにとどまらず、人間の若者の恋を応援したり、見守ったり。

そして遂に、墓に向かう道中でしばいた小悪党の泥棒カップルから奪った指輪でプロポーズしてくれたチャッキーに、ティファニーは喜びの涙を流す。
成就するティファニーの恋……人形の身でも彼女の目からは涙がこぼれるのだったーー

「涙が出るって事はつまり……」

人形なのに涙が出る、もしかしたら“他の機能”も生きてる可能性が……?

いや突然の発想(某芸人さん風に)!!

ここで全ての『チャイルド・プレイ』ファンをカオスの渦に巻き込んだであろう、例のシーン。
私も
「ちょっ……何を見せられようとしているんだ……これは人形が出て殺す恐ろしいホラームービーのはずだろうが(笑)!」
と一瞬置いてきぼりになりかけた。

……そんなこんなで愛を交わしたチャッキーとティファニーだが、いざ若者カップルの肉体を奪おうとなった時、ティファニーは土壇場で戸惑いを見せる。

駆け落ちの末やっと結ばれた若者達の幸せ。それを死人である自分達が奪うなんて……、と。
チャッキーはティファニーのてのひら返しにキレ、そこに人間達の機転で一気に窮地に立たされ退治されてしまう。

騒ぎの現場に駆けつけた警官がふと見ると、苦しむティファニーの残骸……そこには、恐ろしい形相をした“人形の赤ん坊”が産み落とされていた……!

で、『チャッキーの花嫁』は終わり。
ティファニーは絶命し(正しくは、人形の体から魂が離れ)ながらも、チャッキーと自分、人形と人形の愛の結晶を出産していたのだ。
この4作目を観た時点で、殺人鬼でありながらそれに不釣り合いな程愛情深く、どこか非情になりきれなかったティファニーのキャラクターが私は大好きになった。

全くブレない殺人大好きのチャッキーの凶悪さに反して、彼のカリスマ性に惹かれながらも人間としての情を捨てきれない、その良心や女心至上主義になってしまうキュートさがたまらなく可愛い。
「ぶっ飛び天才悪の男・彼に夢中な恋愛脳のイカれ女」というカップルだと、似たような所でジョーカー&ハーレイ・クイン(DC)が思い出される。
チャッキーとティファニーの殺人鬼カップルも関係性は彼らに似ていつつも、何かにつけて足を引っ張るティファニーの“悪になりきれない良心”というのが、サイコな悪役として振り切れたジョーカー&ハーレイには無い不安定な火種でありティファニーの最大の魅力(でありチャッキーの悩みの種)なのだ。

■『チャイルド・プレイ チャッキーの種』のティファニーと私のお気に入りポイント感想

お待たせしました、この二人の間に産まれた子供のその後から始まるのがシリーズ5作目『チャイルド・プレイ チャッキーの種(原題:SEED OF CHUCKY)』

とある、何かメタラーみてえな腹話術師(本当にメタラー的)のもとに一体の子供の人形がいた。
この人形は生きており、腹話術はインチキ。腹話術師は墓場で拾ったこの不思議な人形に命令し喋らせてお金を稼いでいる。
人形は、ハエも殺せない心優しい子供だった。
「それなのに僕は時々、自分が人間を殺す、とても恐ろしい夢をみるんだ……」
人形は“シットフェイス”と呼ばれていた。細面で色白の中性的な、ちょっとしょぼくれたような顔立ち。
腕にはMade in Japanの刻印があるから、僕は日本から来た人形だ、と思っている。
(ちなみにこのMade in Japanの刻印が映る度、ザ・風流みたいな謎の和服SEが流れます)

天涯孤独と思っていたシットフェイスはある日、テレビで今や都市伝説と化した
「殺人人形チャッキーとその花嫁人形」
をモチーフにした映画のロケの様子を観る。
完全再現されたチャッキー人形の腕には「Made in Japan」の刻印が……。

「僕の両親だ!」
確信したシットフェイスはいてもたってもいられず、腹話術師のもとを逃げ出しチャッキー人形のロケ現場へ向かうと、持っていたダンバラの心臓を掲げて降霊術の呪文を唱えた。

レプリカの人形に宿るチャッキー、ティファニーの魂。人形親子がここに再会する。
Made in Japanのシットフェイスは
「お父さん、お母さん」
と礼儀正しく日本語で挨拶するのだった。

※ここからは『チャッキーの種』の個人的お気に入りポイントをネタバレ有で紹介!

①父母となったチャッキーとティファニー、そのスタンスの違いが面白い

「ひでえツラだな!ブサイクの家系を煮詰めましたって感じだぜ!親の顔が見てえ!」
みたいにゲラゲラ笑うチャッキーに、例の腕のMade in Japan(遺伝すんの!?)を見せて息子だと名乗り出た、しょぼくれ顔の人形シットフェイス。
これが我が子だと知って卒倒するチャッキーに対して、ティファニーはやはり一瞬で母としての愛情が全開になったようで、
「スゥィートフェイスちゃん」
などと呼び抱きしめ慈愛を向ける。
そんなハートフルな再会も束の間、撮影スタッフが近づいてくると、チャッキーとティファニーは手際よくその人間を手にかけ首を切断した。

心優しいシットフェイスにとって、殺しは悪い事。
「パパとママは何故殺しをするの?ヤクザ?ニンジャ?」
などと純粋なMade in Japan発想で問いかける。

そんなシットフェイスに、ティファニーは
「女の子だもの、怖かったわよね」
と言うが、チャッキーは
「男の子だろ?」
と。
服を脱がせてみると何もついておらず、ティファニーはやはり女の子だと言い、しかしチャッキーは成長期が来てないだけだと言い張る。

そして、両親の考えの違いは我が子の性別だけではない。
チャッキーは
「立派な殺人鬼の男グレン
として、
ティファニーは
「殺しなんてしない優しい女グレンダ
として育てたいと、教育方針まで正反対。

しかもティファニーの親としての自覚は物凄く、かつてイケてる殺人鬼として愛したはずのチャッキーに対して
「いい親にならなきゃ!私達殺しはもう止めましょう」
などと提案してしまう。これにはチャッキーも(当たり前に)渋い顔。

そして私達観衆も思うのである。
「人形が出て殺すホラームービーのはず……だよね?」
と。

②我が子大事のティファニーにちょっとぞんざいにされるチャッキーパパの哀愁

親子揃って人間の体に憑依しようと企むティファニーは、微妙な役ばかりでくすぶっている女優のジェニファー・ティリー(女優さん本人役。ちなみにティファニーの声優さん)に憑依したいと考え、チャッキーの魂はジェニファーの枕営業の相手の男の体に、そして我が子の魂を憑依させる為に子供の肉体も用意すべく、チャッキーの精子を使ってジェニファーを妊娠(人工受精)させ、一家揃って人間の肉体を得ようと画策。
“ジェニファーが聖母マリアの役欲しさに枕営業しようとしたら、人工受精により、行為無き妊娠(マリアと同じ)をさせられる”というメチャクチャなブラック展開。ヤバすぎる。

ティファニーはチャッキーに己の精子の採取を命じるが、その時の塩対応がもう、可愛い(笑)。
シットフェイスが現れてからというもの、ティファニーは完全に我が子優先の母の顔。
「昔はあんなにラブラブだったのに、子供生まれてから冷たいなあ……」
と一抹の寂しさを感じてしまう世の新米パパさんの哀愁を、まさかあの天下無敵の殺人人形チャッキーから感じる日が来ようとは(笑)!

殺しはダメよ。精子は一人で採って。
『チャイルド・プレイ』シリーズの主人公が、ベタ惚れされていた実の妻から今やこの仕打ち。
しつこくも、また私達は思うのである。
「恐怖の殺人人形が出て殺すホラームービーのはず……だよね?」
と。

③チャッキーらしくティファニーらしい殺人人形のアイデンティティの分かれ、そして二人の決別

ダメと思っても元々がクレイジーな殺人鬼ゆえ殺しを繰り返してしまうティファニー。
彼女はそんな自分の事を
「殺人依存症」
と重く捉え、何と電話で依存症脱却カウンセリングを受け始める。

反してチャッキーは殺人の手を止めず、更には人間の肉体を得る事すら不要だという結論に至る。
人間の肉体など老化したり病気になったり不便なものだと。
「俺は、殺人人形のチャッキー様だ!」
チャッキーは“人形の殺人鬼”である事に確固たるアイデンティティを見出す。
このシーンは4、5作目謎のエロコミカル描写に戸惑っていた往年のチャッキーファンにも鳥肌モノだったのではないだろうか。

前作からも度々ケンカをしては仲直りをしていたチャッキーとティファニーだったが、今回は違った。
“母”になったティファニーは、我が子の為に遂にチャッキーと決別する。
「貴方を理解出来ない。別れてこの子を育てる」
これにはチャッキー、勿論大激怒。
「俺から離れる?許さねえ!」
と、ティファニーの裏切り(前作でも人間に憑依すると共同作戦を立てておきながら土壇場でティファニーが情にほだされて拒否され、今作でも殺人をやめろだ何だ命令されて、チャッキーのフラストレーションはきっとかなりのもの)に手をあげ、自らティファニーを破壊してしまう。

③シットフェイスーー“グレン”と“グレンダ”ーーに向けるティファニーの無条件の愛

体を破壊されたティファニーは、嘆く我が子に告げる。
「あなたが男の子でも女の子でも構わない。いい子でいてね。パパとママみたいになっちゃダメよ」
ここに、殺人人形・かつて殺人鬼に惚れ自身もいくつもの命を手にかけてきたティファニーに芽生えた本当の母性と後悔、我が子への無条件の愛が集約されている。

……ちょっとセクシュアルな話になるので不快な人はここまでにして読むのを止めて欲しいんだけど、チャッキーとティファニーが子供につけた「グレン」「グレンダ」という名前は、いわゆるトランスヴェスタイト(異性の格好をするのが好きなセクシュアリティ)を描いた映画『グレンとグレンダ』が元ネタと思われる、という考察をいくつか目にした。

実は、シットフェイスの中には
「心優しい弱虫のおもらし少年グレン」

「殺人を好む性悪な少女グレンダ」
の二つの人格が宿っている。

チャッキーとティファニー夫妻の理想とは育てたい性格とその性別がちぐはぐ(チャッキーは殺人鬼の少年、ティファニーは優しい少女として育てたい)であり、シットフェイス自身もその事に揺れ動き、自分の気持ちを無視して教育方針を決めようとする両親にやるせなさを見せてきた。

最期の時、ティファニーは我が子に言うのだ。
男の子でも女の子でも構わない、と。
たとえば、人は自分の子が性同一性障害や複数の性別の多重人格である、という事実に直面した時、それを認められるだろうか。
血を分けた我が子が“ひととちがう”特性を持っていると分かったとき、肯定し、愛してあげられるだろうか。

残酷な狂気の殺人鬼であるティファニーはしかし、母親として真っ直ぐにシットフェイスの内面と向き合い、受け入れた。
このシーンは個人的に、本当に本当に印象深くて忘れられない。

多様性を認めようという風潮が高まり、何かにつけて多様性を配慮しないと差別だと見なされるくらいの敏感な空気のある昨今。

ミニシアターモノ的な“男性カップルと養子のハートフル映画”だとか、キャラクター設定に性的少数者である「意味合い」よりも「トッピング」を付加して多様性を描ききったとばかりにコンプライアンスに対応するディズ◯ーやアメコミ原作改変等で、確かに多様性を世の中に訴えようとする努力は多く見られるが、マイノリティ当事者(私は心と体の性認識は一致しているのでグレンやグレンダと同じ特性ではないけれど)の私からすればこれらは
“多様性啓蒙用の人工の多様性ショー”
に感じられる。
勿論人の心を打ち、子供に多様性を浸透させるような教育の効果はある。反面、マジョリティ(多数派)の方々が「多様性のごり押し」と感じるのが多分これに相当するんだと思う。
凄くラフな言葉で言ってしまえば
「それ用の映画、それ用の設定」
という感じだ(繰り返すがこれは悪いものではないし、救われてる人や変えられたマジョリティの価値観もたくさんあると思う)。

2000年1桁代、大好きなチャッキーの、ティファニーも出てくる続編見てはしゃごうかな!と思いこの映画を観た私は、ティファニーの遺言のシーンにとてつもない衝撃を受けた。

恩着せがましくもない。
押しつけがましくもない。
取ってつけた説教臭さや、鼻につく取りあえずの偽善的な意識の高さもない。
そんな映画の、そんなティファニーの遺言。

当時まだLGBTQに寛容だと声を大にして宣言するのは、当事者以外は、二次元で耐性があるとの自負を根拠にしている一部のBL・GL愛好家くらいしか私の周りにはいなかった。そしてそこまで公に“多様性”という言葉は聞かれなかった記憶がある。

そんな時代、啓蒙の色などこれっぽっちもないホラー映画の画面の中で。
心の性別の定まらない子供に、ティファニーは愛情たっぷりに、さらっとこの言葉を告げた。
殺人鬼のキャラクターが。
(私はいわゆるLGBTQの人々にこのティファニーのシーンを見て欲しくて『チャッキーの種』を観て!5作目から観ても楽しめるから!とすすめてきたがほぼスルーされてきた。セクマイ界隈マジでおすすめ)

シットフェイスは、自分のありのままをーーシットフェイス自身も受け入れる事の難しいもう一つの人格さえもーー受け入れてくれた母親を看取り、
「ありがとう、お母さん」
と涙ながらに日本語で伝えた。

④ティファニーの“遺志”と、弱虫少年グレンの奮起

自分を愛してくれた母親・ティファニーを殺されたシットフェイスは、Made in Japan仕込みのスピリットからか、突如空手のような徒手空拳で勇敢に父親・チャッキーに立ち向かう。
そして遂に武器をとり、チャッキーを傷つけた。

その行動に、残酷な殺人鬼である少女グレンダの人格が目覚めたのかとニヤリとするチャッキー。だが、
「僕だよ!お父さん!」
シットフェイスは、弱虫の少年グレンのまま、母の仇をとるべくチャッキーと戦っていたのだ。
これは熱くなる素敵展開!!
チャッキーの体をバラバラにし、泣き崩れるグレン。
女優ジェニファーは、そんな彼を優しく抱きしめて慰めてあげるのだった……

やがて時は経ち……
女優ジェニファーは二人の子供と楽しく暮らしている。
家政婦はジェニファーに言う。
「グレンは良い子です、けれどグレンダは、下品で乱暴な悪い子です」
女の子のグレンダに怯え、ジェニファーの元を去ろうとする家政婦を、ジェニファーはいきなり衝動的に殺害した。

そう。ティファニーの降霊術は成功していた。
ジェニファーがチャッキーの精子による人工受精で産んだ男女の双子にはシットフェイスに宿っていたグレンとグレンダそれぞれの魂が、チャッキーに破壊される直前でティファニーが点滴に毒を入れ意識を失わせた女優ジェニファーにはティファニーの魂が宿り、今は人間の親子として幸せに暮らしている。

“ティファニーの中の人(声優)の中の人にティファニーがなる”という驚きの演出でこの映画は幕を閉じるのだ。うーんシュール。

ラスト、幸せなティファニー一家に差出人不明のプレゼントが届く。嬉しそうに開封したグレンだったが、その中身はかつて自分が切断し倒したはずの、父親・チャッキー人形の片腕だった……!

これで『チャッキーの種』はエンディングとなる。

■まだまだ続くチャッキーワールド!ティファニーも続投してるよ!

この後シリーズは6、7作目と続き、4と5の作風だった人形達のお下劣ギャグ寄りコメディから一転、シリアスなホラーに戻っていく。

人間の肉体を手に入れたティファニーも何だかんだでチャッキーに関わる形でちょこっと続投(でも姓がチャッキーのレイ姓ではなく旧姓のヴァレンタインを名乗っているので、チャッキーとは我が子を巡ったあの時実質的に離婚している様子)。

個人的に7は正直、いや『チャイルド・プレイ』だけでなく貞子にも俊雄君にも言える事なんだけど、シリーズ続いてきて最終手段とばかりに人◯戦術よオイ!!
グレムリンが1からやってることやぞ(涙)!!
(まあ、貞子さんは体質と願望の事があるので多少納得できますが)

「どこから観ても面白い」
「殺人鬼なのにどこかキュートで魅力的」
な『チャイルド・プレイ』そしてチャッキーとティファニーの事を長々マシンガントークして来たけれど、一応念を押しておくと、私はこの『チャッキーの種』を、多様性アピール映画だ!とか、ハートフルな母子愛の映画だ!としてその触れ込みで推すつもりは一切無い。
(そのシーンが優しくて好きだよ私はお気に入りだよ、というだけで)

『チャイルド・プレイ』及びチャッキー達の魅力は、小難しくてコンプラを意識しまくるような説教臭さやメッセージ性とは程遠い、手放しでのめり込めるハラハラドキドキのスリラーや、あっけらかんとしてナンセンスな人形達の掛け合い、人形と人とのコミカルかつ血生臭い命のやり取りにこそあるからだ。
何より主人公チャッキーなら言うだろう。
「意識の高え説教やメッセージなんて糞食らえだ!この映画は、恐怖の人形チャッキー様の殺人ショーだぜ!!」
って。

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