映画『サユリ』…近年最高のホラーエンタメ!(ネタバレ有感想・考察の長文)
7,8月と事前記事を書くくらいホラーが、特に日本含むアジアンホラーが熱かった2024年の夏。
個人的に最も楽しみにしていた作品がJホラーだった
という事、更には
この夏のベストホラーがJホラーであった
事は、近年のホラー映画体験ではもはや奇跡的だった。
Jホラー低迷期の今起こったこの奇跡は、現時点で私にとって “この監督というだけで無条件に絶対に観に行く唯一の邦画監督” である白石晃士監督の新作『サユリ』がもたらしてくれたものだ。
今回は、話題沸騰で上映館も増えつつある映画『サユリ』についての個人的感想を、公開から日も経ったのでいよいよネタバレ有りで書いていく。
ちなみに押切蓮介氏による原作は未読・白石監督の過去作はほぼ全て鑑賞済という「いちホラー映画好き」の個人的感想なのでご了承下さい。
また、私が民俗学をかじっている事含め性的な内容を含み「ここ楽しかったよね!」 にとどまらない若干民俗学的な長話もしてしまいます。
ですので、ネタバレ含め閲覧はご自身の判断で。(簡単な冒頭のあらすじ紹介・おさらいの後、警告文を挟んで上記内容のネタバレ有り感想となります)
◆あらすじ
念願のマイホームとして三階建ての中古一軒家を手に入れ、引っ越してきた7人家族の神木家。
仲の良い両親と姉、まだ幼い弟、穏やかな祖父、少し認知症の兆しの見える祖母らとともに新生活をスタートさせた則雄少年。
学校では変わり者の女子生徒と親しくなり、家では広く見晴らしのいい部屋を満喫しつつも、やがて家に、家族に不穏な違和感を覚え始め……?
※以下、映画の展開や登場人物に触れての感想となります。ネタバレ注意!!
◇空間と音とスピード、白石風味を活かしたホラーエンタメ
まずこの映画、3階建ての家屋をはじめとした、構図を使った画の怖さ・面白さが凄い。
部屋から別の部屋が見える空間の重なりの間に見えるものであったり、部屋から見下ろす庭で祖父が何やらしている遠巻きに伝わる不穏さ、吹き抜けから繋がる空間。
特に私のお気に入りは、3階から1階までをゆっくりとした足取りで降りていった則雄から一転、そこに吹き抜けを急に落下してくる弟、というあのシーンだ。
暗い画面の中でもシルエットと緩急と音が突きつけてくる、ジワジワから急激まで緊張の緩められない恐怖と最悪の無惨さ。
また、部屋の入り口の陰からサユリの手だけが出ていて、やたら離れた上の方から少女サユリの顔だけが現れるあのシーンも。
腕の位置と顔の大きさからは人間として説明のつかない異様さに、思わず“八尺様”のような異形のオバケなのかと身構えてしまった。
これらの、ホラーとしてしっかり怖い展開、緊迫感ある恐怖表現の中で、ばあちゃんの覚醒で一転する雰囲気はいわずもがな、以降破天荒太極拳ロックババアと化したばあちゃんと則雄のハチャメチャさが際立ち、笑いと頼もしさで楽しませてくれるギャップも素敵。太陽を背に鍛錬する太極拳シーンは拳法映画の精神性さえ思わせる。
いかにもな霊能者をローキックでザコ扱い、という白石節の鉄板かつ監督の作品初見の人にはビックリなオモシロも名シーンだった!
この霊能者の名前が「りゅうげん」だったり、あの世的な属性を持つものは触手・ミミズ状の外観をしていたりと、他の白石監督作品との関連を思わせちょっとドキッとするのもファンには嬉しかったポイントだろう。
◇「幽霊もの」のイメージをぶち壊す!怪異特権クラッシャー・白石監督パワー炸裂!
こと日本の怪談、特に幽霊ものの文脈として中世以前から定まり(=怖がられ)続けてきた「お決まり」を幾つか上げてみよう。
例外はあるが、だいたいの日本人が「幽霊もののお決まり」としてこういった認識を自然と持っているはずだ。
そして ⑤の供養エンドセオリーを無視したのが『リング』、 ②を無視した怪力ゴアと⑤の効かない幽霊を併せて打ち出したのが『呪怨』である。
これら二作はショッキングな“掟破り”により幽霊像を刷新・「幽霊もの」に風穴を空けた名作だが、 まさかまさかの「③物理攻撃不可 の掟破り」を大々的に映像作品で行ったのがほかでもない、本作の白石晃士監督だ。
『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』というシリーズにて、金のために超常現象を撮影しようとする怖いもの知らずの暴力人間・工藤というキャラクターが、金属バットと罰当たりメンタルでオバケと渡り合おうとするトンデモぶりは、まだ観たことのない人にもネタ的に有名だろう。
『サユリ』においてもこの「物理が幽霊に対抗しうる」事、その根底に霊をも怖れない「罰当たりメンタル」が流れている事が大いに共通する。
「生きている人間の攻撃は効かないよ~。勝ちたいのなら超能力や呪文を持って来な~イッヒッヒ」
という怪異側の一方的な強さと優位性、いわば幽霊特権をぶち壊す事、それでいて尚ホラーとしての怖さ面白さを生み出し保持する。この白石監督の天才的発明と画期的改革の功績と流れとテイストを、本作は存分に継承している。
更に『サユリ』は③物理攻撃不可 だけでなく、
①幽霊の容姿は男女、子供問わず青白かったり幸薄げでか細い
②物理的な力で攻撃せず呪いや言葉、超常現象で人間に害をなす
の2つの枠組みも軽々と乗り越えている。
サンドウィッチマンさんのコントで「幽霊役のバイトが全員太っていて怖くない」というのがあったが、太った体型の幽霊でしっかり怖く、後述するがその容姿も、呪いではなく直々に手を下す時の物理的殺傷にも、本作の幽霊「サユリ」ならではの怖さと意味がしっかりと練り込まれている。
それでいて本作の個性はこの、幽霊もののセオリーぶっ壊しだけではない。
私が観ていて自然と受け入れながらも後になってハッとしたのは、
④幽霊は生前の因果によってその場に現れる
⑤生者側による超常の方法(祓い・呪文等)で打倒する以外にも、同情・事実認知・供養で幽霊を退けられる
は踏襲する形であった事。
ここは日本人の持っている「幽霊ストーリーの出自や落とし所」に寄り添っていて、多くの人にとって変な抵抗感無く飲み込みやすかった明朗さだと思っている。
◇「元気はつらつ!」効果は抜群だ!
劇中、現れたサユリの霊を見、ばあちゃんが則雄に対し
「笑える言葉をぶつけてやれ!うんと下品なやつがいい」
と指示を放ち、則雄が例の決め台詞をぶちかますシーン。
おそらくシアターには驚きの笑いと若干のドン引きが走るであろうあの台詞だが、私は観客として前者でありクスッと来つつも妙に納得させられてしまっていた。何なら、ばあちゃん以上に「よっしゃよっしゃ」と手応えを感じほくそ笑んでいた。
何故なら、私が則雄なら確実に似たような事を言っていたからだ(笑)。
この作品の大きなテーマ、幽霊対策の理屈として
「生命力で死者の障気に立ち向かう」
というのがある。
たくさん食べて寝て健康を維持する、部屋をきれいにし、通学等の日常生活をしっかり送る、といった心身の維持の他、体内の気(生命エネルギー)を太極拳で練り混ぜて全身に満たす、というのもそれだ。
私は身内が重い鬱病になった看病経験があるので「寝食・清潔・規則的生活」といったばあちゃんの作戦が如何に生命力を要し維持する行動であるかが理解できる。
心身が弱ってしまうと人はまずこの3つに綻びが現れる(し、この3つが出来なくなってしまう程苦しく大変なのが心の病である)のだ。
太極拳は、そうして養った生命力をバランス良く体に満たすバフであり攻撃戦法となる。
この心身の鍛え方にくわえて、白井監督作品の特色である前述の「罰当たり怖いものなしメンタル」がばあちゃんと則雄の気魄を底上げする。
『となりのトトロ』でも父親が姉妹に
「笑うとオバケは逃げちゃうよ」
と言うシーンがあるが、本作のメンタリティはそれ以上に泥臭く強烈だ。
「うんと下品な事がいいぞ」と、くだらないギャグで、サユリの呪いの逆境を笑いとばす精神力を見せてやるべく指示したばあちゃんに答え、則雄が口にした例の台詞、というか単語(笑)。
これは、ばあちゃんの考えた「理不尽な窮地を笑いとばす精神力」以上に、むちゃくちゃ理にかなっている発言だった(のかも知れない)、と思わずにはいられなかった人も少なくないはずだ。
文化人類学的に言える事だが、世界的に、そして日本は特に色濃く、性器信仰というものがある。
信仰、というとスケールがでかく聞こえるが、性器を生命力の源として「神秘的・神聖なもの」端的に言えば「縁起もの」や「魔除け」として考え扱う文化の事だ。
(気になる人は、かなまら祭、花園神社の鳥居、にたり貝、清少納言の秘物の工芸品……あたりを検索してみてね。但し自己責任で)
私がもし則雄の立場で、生命力でサユリに立ち向かう理屈を叩き込まれた状態であの場におり「笑える事を言え!下品なのがいい!」と言われたら、迷わず同じ単語の下らないフレーズを叫ぶだろう。
生命力✕愉快さ✕下品 を兼ね備えた、こんなにも超絶合理的な魔除けの言葉は無いからだ!!!!
……だからこそ、クライマックスの展開に私は逆の危機を感じたし、そうでなかった事に若干の消化不良が残ってしまったりもした。
それは次で話そう。
◇「サユリ」のバックボーンと対決
どうやら「サユリ」が怨霊になってしまった詳細な経緯、彼女のバックボーンは原作に無く、映像化にあたって白石監督によってなされた脚色であるらしい。
サユリは家族に殺され埋められた被害者である前に、虐待の、しかも性的虐待の被害者でもあった。
太った引きこもりになり家族に殺害された時と、性的虐待を受けた幼少期、彼女は二度殺されたと言っていい。
それが彼女の霊が「太った大人の姿であるが、子供の姿もとる」という事の理由として痛々しい程鮮烈に辻褄を合わせてくる。
近年の作品において
“声のない性犯罪被害者”
“裁きを受けない性犯罪加害者”
にフォーカスする白石監督がサユリに行ったこの脚色に関しては、私は(原作未読ではあるが)幽霊のバックボーンと外見の理由としてかなり胸をうたれた。
サユリによる陰惨な家族への復讐、肉体破壊描写もここが生きてくる。
サユリは、
自らを辱めた父親の体を凶器で貫通、
虐待を見て見ぬふりした母親の目を潰し、
最初に殴りつけ「死ね」と言い放った妹の頭を真っ先に殴打した。
家族それぞれへのサユリの暴力は、それぞれからサユリが受けた暴力をそのまま返す報復・断罪にほかならなかった。
この悲しい背景のある容姿・ゴアシーンの必然性に満ちたサユリの描き方は抜群に心に残った。
だが、それだけに、ガールフレンドを奪われた則雄とサユリの一騎討ちシーンにやや拍子抜けというか「していた嫌な予感が全く実現しなかった」前述の消化不良がある。
「生きたい」「お前の私怨に無関係に殺されてたまるか」「お前なんか怖くないぞ」という則雄の生命力と怖いものなしマインドがサユリを圧倒する所は凄く良いし、好きな箇所だ。 しかし彼の戦意を底上げする
「ガールフレンドへの愛」
「ガールフレンドへの(愛ゆえのものだとしても)性的願望」
を見た時、愛されず、性的欲求の捌け口とされていたサユリには激昂して欲しかった。
その瞬間、則雄の力は無力化されると思ったし、そうなる事で、サユリの性的行為で傷ついたネガティブな心が、則雄のポジティブな心を圧倒して欲しかった。
幼児期に受けた性的虐待の被害者(しかも、美しい髪や体を父親に執着されないよう、された記憶ごと捨てようと自ら髪を切り醜く太ろうとまでした心の傷を持つ少女)を、たとえ真っ当な生命力であろうとも、思春期の男子のサカりがヒロイックに打ち負かしてしまう事には若干の抵抗が残ってしまうのは否めない。
◇Jホラー閉塞の時代に現れた、近年最高のJホラー、最高のホラーエンタメ!
やや刺さらなかった箇所も書いてしまったが、それでも個人的には『サユリ』は近年のJホラー最高傑作と言える大好きな作品になった。
事あるごとに書いてきているが、個人的に現在、日本のホラー映画は
「不条理を監督の個性で煮詰めた娯楽性の低く作家性の高い作品」
と
「演者やモチーフの知名度と考察論客扇動が話題性・娯楽性だと言わんばかりの、中身の薄い怖がらせゴリ押し作品」
の二極化としか思っていない。ただ一人の作り手を除いては。
私の思うそのただ一人こそが、本作の白石晃士監督である。
作家性と基盤となるメッセージ性の強いいわゆる“尖った”作品も、たくさんの人が娯楽としてワイワイ楽しめるエンタメ(しかもしっかり独自の味と中身が詰まっている)もどちらも手掛ける事が出来る手腕に今回もまた圧倒され、期待以上に楽しめた。
あらためて、私は白石監督の映画が好きだ。
しっかり怖く、しっかり楽しく。
「観にきて良かった!」「また観たい!パンフレット絶対読みたい!」
そう思えるだけの映画として“真っ当な”邦画、“真っ当な”Jホラーが現れた事は私にとって奇跡であったと同時に、
「さすが白石監督!これからも絶対全部観たいぜ!!」
と熱狂を再確信した嬉しい経験だった。
白石監督は現在ホラー映画のクラウドファウンディング企画もすすめられているので(以前私がnoteでも書いた衝撃映画『Polar Night』の俳優さんが奇しくもご出演!)、白石監督作品が気になる!という方は監督の過去作だけでなく、ぜひそちらもチェックしてみて下さい。
『コワすぎ!』完結でこの一年寂しさを感じていた私だったけど、『サユリ』の登場に、海を越えて白石ホラーが世界に羽ばたく『彼岸の家』と、これからも白石ワールドから目が離せない!!楽しみ!