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【本】近内悠太『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』~常にこの世のシーシュポスたちに感謝をささげよう

あの大谷翔平も学びを得ているという中村天風先生は、
「人は心次第」
と言われています。

「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山」
という山岡鉄舟の歌の上の句をひき、晴れだから嬉しい、曇りだから残念と思うのは、自分の心が決めていることであって、自分で「よし」と思うと決めれば「よし」なのだ、と。

病のときにも、心まで積極性を失ってしまうかはその人次第なのです。

その視点とともにこの本を読むと、私たちはこの本から学ぶことで、自分の生きる意味を知り、人生を価値あるものに思うことができます。

なぜなら、私たちは、先人や周囲の人や私自身が認知していない人からまでたくさんの贈り物をもらっており、それを、誰かにつないでいく必要がある、と心から思えるからです。

この本のなかで、私がもっとも押さえるべきところだと思ったのは、「安定」には2種類あって、「安定つり合い」と「不安定つり合い」があるという点です。

「安定つり合い」とは、谷底にあるボールのようなもので、それをうごかしても重力の関係で必ず一番低いところに戻るつり合いのしかた。

「不安定つり合い」とは、山の一番高いところにあるボールで、その頂点でぎりぎりつり合いを保っているが、ちょっと動かしたら、元には戻せないつり合いのしかたをいいます。

私たちのこの日常は、「安定つり合い」ではなく「不安定つり合い」なのではないか、と著者はいいます。

停電が起こってもすぐに復旧し、電車が運転を見合わせても、そのうち運転再開となります。コンビニの品薄状態も一時的なもので、ルート配送のトラックが来れば、商品は滞りなく補充され、上下水道も当たり前のものとして機能していて、ボタン1つで暖かいお湯が出ます。体調崩しても、薬を飲めば治るし、少々悪化した場合でも検査して入院すれば回復する。医療体制も完璧です。道路もきれいに舗装されているし、それに価値だって、救急だって、めったに起こりませんし、犯罪の被害にもそうそう合いません。

私たちは、これらを当たり前に思っている。
しかしそれは決して当たり前でなく、「不安定つり合い」なのです。

これらのイレギュラーが復旧するためには、懸命にレギュラーに戻そうとしてくれている人、電車が動き出すよう整備してくれている人、商品を補充してくれている人、上下水道を管理してくれている人、給湯器を作ったり、効く薬を研究し作ってくれている人、病を治そうとしてくれる人、道路を整備してくれている人、犯罪者を捕まえてくれる人・・・がいるのです。

それを忘れて、「安定つり合い」だと思っている人は、そうした懸命な、ギリシア神話のシーシュポス――大石を山頂まで押し上げるが、大石はあと一息のところで必ず転げ落ち、また押し上げることを永遠に繰り返す罰を受けた人物――のような人たちへの感謝を忘れてしまいます。

日々たくさんの贈与をもらっているのに、その価値に気づけないと、どんなことが起きるか。

自分自身も、それらの「防がなかったとしても誰の責任にもならないが、自分がやらなければならない」と思うこと、「自身の贈与によって最悪を未然に防げた、受取人がそれが贈与だと気づかないと言う事は、社会が平和であることも何よりの証拠だ」と思う喜びを味わえないのです。

毎日が当たり前にあることが、誰かのおかげだと思って心から感謝する。
そして、自分も誰かのためにそのようなことがしたいと思い、行動する。

自分がつねにそう思えていることは、確実に、人生を意味あるものにしてくれるのではと思います。

私は大学時代は内田樹先生の、どんな混乱のなかからでも確実な光明を見つけ、とりだしてみせる文章が大好きでしたが、近内先生の文章からも、同じような光を感じました。

日々、この世のシーシュポスたちに感謝をささげ、自分自身も照らし合わせていきたいと思います。

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