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【本】勅使川原真衣『働くということ 「能力主義」を超えて』

勅使川原真衣さんとは、荒木博行さんのVoicyの番組で出会いました。

対談の内容が非常に面白く、ここで取り上げられていた『「能力」の生きづらさをほぐす』は早速購入しました。

ですが、冒頭だけ読んで「積読」になっていたところ、書店でこちらの新書に出会いました。

私は社会保険労務士で、「働くをわくわくに」するにはどうすればよいか、が常に気になっています。

だからか、この本も、タイトルが目に飛び込んできたのです。

手に取ってから著者が勅使川原さんであることに気づき、速攻レジに持っていきました。

この本を読了してから、いまは戻って『「能力」の生きづらさをほぐす』を読んでいます。

『働くということ 「能力主義」を超えて』は新書であることもあり、一般的な新書に近い構成になっていますが、『「能力」の生きづらさをほぐす』は物語で語られている形式が特徴の本です。

新書でダイレクトにいまの社会の問題把握から始まり、物語形式でいまの社会の息苦しさをリアルに感じることで、理解が深まっていくのを感じています。

まずは『働くということ』から得たものから。

『働くということ』から私が得たエッセンス

まずはこの言葉。
どきっとしませんか?

「能力」で人生を采配するくらいの勢いでいるけど、誰かそれ見たことあるの?

これまで、家柄や身分で決められていた「分配」を、能力で行おうとしている現代。

一見公平なようですが、「能力」は、家柄や身分と比べ、誰がみてもわかるものでしょうか?

A社では酷評されていた人が、転職先では大活躍している、という話は珍しくありません。

そう考えていくと、そんなあやふやなものを仕事における唯一の物差しのようにしている今の危うさが、じわじわ怖くなってきます。

勅使川原さんはいいます。

・「選ぶ」のは、他者を「選ぶ」のではなく、自己のモードを「選ぶ」、そこに「他者と働くということ」のカギがある
・「働くということ」は、自分や他者の機微を受け取る営み

他者を選ぶのではなく、自己のモードを選ぶ。
それがどういうことかを、本書では第二章で「シンさん」という人物が登場して教えてくれ、腹落ち度が高いです。

私の敬愛する人に、社会保険労務士の松山純子さんという障害年金でたくさんの方を助けてきた方がいますが、この「自己のモードを選ぶ」の話はその人の話とダブりました。

「問題社員はいない」と松山先生はいいます。
問題行動には、必ずなにか理由がある、その理由を聞きましょう、というのです。

この『働くということ』にも、「人の話を聞かない」ことで悪名高き部長の例が紹介されています。

なかなか部下と話をしたがらず、ミーティングルームに入っても
「ってことでいいかな?あとはよろしく」
と去っていってしまうのです。

「マネジメント力」が低いと言われたその部長は、実は、腰が痛くて座れなかったということが、ひょんなことからわかりました。

治療を受けて腰痛が治ったあとは、みちがえるほど話を最後まで聞く部長になったということです。

これが、「問題行動には何か理由がある」ということ。

自分が「おや?」と思ったときには、相手にレッテルを貼るのではなく、「自分の知らない事情がこの人にはあるのかもしれない」と問いかけてみる。

その大事さをこの本から再認識しました。

他にもガツンと来た学びもありましたので、2点ほど書き添えます。

1.「ゴールを決めない」ということ。

私たちはつい何かをやって、やったから完了、と思ってしまいます。
ですが、世の中そんな都合よく片付くわけがないのです。

「完成」という概念があるとはなから思わず、向き合う。
そのためには必要なのはやはりネガティブ・ケイパビリティ。
最近私が重要だと思っている概念が、ここでも登場しました。

2.「まだまだ」は謙虚でもなんでもない

私たちは褒められると、つい、「いやまだまだです」などと言ってしまいます。
ですが、著者はこういいます。
「欠乏」を自己にも他者にも突きつけることの不寛容さ、能力主義的な香りが非常に気になる
いわれて、はっとしました。」
「まだまだ」というのは、欠乏に焦点をあてる、不寛容な行いなのです。

私たちは、無意識下にまで能力主義をしみこませているようです。

そのことになるべく自主的に気づき、「能力」という怪しい物差しではなく、相手の気持ちや内面のほうを裸眼で見られるようになったら、いまの息苦しさはだいぶほどかれていくのではないでしょうか。

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