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「愛は動詞である」の強いメッセージを感じた映画「ファーストキス」

2025/2/7公開の映画「ファーストキス」を見てきました。

「アンナチュラル」「MIU404」「ラストマイル」の塚原あゆ子監督、「怪物」の坂元裕二脚本ときたら、私にとって見ずにはおれない映画です。

今年は娘とお互いに月1本映画を見に行くことを目標にしているのですが、2月はこの作品と娘と意見が一致したため、公開してすぐ鑑賞してきました。

見終わった感想。

夫婦の「あるあるイライラ」と、人のちょっとあほなところと、ときめきと可愛さと切なさと、「さびしい」をぎゅっと練り固めた映画でした。

「さびしい」に「」がついているのは特別な言葉だからで、この映画を見た人ならその意味がわかると思います。

この「さびしい」という感情の説明をふくむくだりのシーンが、私はいちばん好きですし、感情がいちばん高ぶったところでした。

そして、その練り固められているものの中核にあると私が思うのは、「愛は動詞である」ということ。

「愛は動詞である」とはどういうことか。
『7つの習慣』で、コヴィー博士はこう記しています。

古今東西の文学では、「愛」は動詞として使われている。反応的な人は、愛を感情としかとらえない。彼らは感情に流されるからだ。人はその時どきの感情で動くのであって、その責任はとりようがないというような筋書の映画も少なくない。
しかし映画は現実を描いているわけではない。
もし行動が感情に支配されているとしたら、それは自分の責任を放棄し、行動を支配する力を感情に与えてしまったからなのだ。

 主体的な人にとって、愛は動詞である。愛は具体的な行動である。犠牲を払うことである。母親が新しい命をこの世に送り出すのと同じように、自分自身を捧げることである。 (中略)愛とは、愛するという行為によって実現される価値である。主体的な人は、気分を価値観に従わせる。愛、その気持ちは取り戻せるのである。

『7つの習慣』第1の習慣

「主体的な人にとって、愛は動詞である」
この映画のふたりは、まさに、それを体現しているように私には見えました。

映画を振り返ると、ついこんなふうに頭から考えてしまいがちな私ですが、この映画は心の面でも、寒い冬にすみずみまでぬくもらせてくれるものでした。

ヒロインが、そしてふたりが、正解のない道を迷い迷い進んでいく、その姿がいじらしくて愛おしくて、こんな自然な不器用さを演じられる松たか子さんと松村北斗さんに最敬礼を送ります。

見終わったあとの娘との感想戦で、田坂広志さんの3つの真実について触れました。

そうしたら、あとで娘から、「3つの真実なんだっけ」と問い合わせのLINEが。

この言葉を娘に伝えられるきっかけになったことでも、この映画に感謝です。

3つの真実
人は、必ず死ぬ。
人生は、一度しかない。
人は、いつ死ぬか分からない。

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