高倉さん家の雑談(3) 和菓子について
これは劇作家の高倉麻耶とその夫Y.G(わいじー)の他愛もない雑談をメモしたものです。少々勝手な決めつけや独断偏見の類は笑い飛ばしてください。書式は今回も対談形式としました。
・和菓子とは?
夫:和菓子ってどんなイメージ?
妻:一般的にはあんこだよね。
夫:あんこ使ってたら和菓子なの?
妻:え、あんこ使ってない和菓子って何があるの?
夫:もち系。きなこもちとか。あんこの入ってないおはぎってあるでしょ。
妻:まあ、そうか。
夫:形状よりは、金額とか、買える場所とかでカテゴライズするべきかも。「ヤマザキが出してるやつ」とか、「100円ぐらい」とか。羊羹、最中系とか…
妻:そうすると、上生菓子は最上位かな?
夫:買えるところで分けると、ヤマザキは、コンビニ・スーパーで買える。100円くらいの両口屋の小さなお菓子はスーパー・ショッピングセンター、羊羹や最中はショッピングセンター・和菓子屋・デパート。上生菓子は和菓子屋・デパート。
妻:あとはお茶の教室が買うお店とかね。町の小さい老舗の和菓子屋さん、みたいな。
夫:購入者が日常生活で和菓子をどこで使うか、接することができるかで、購入するものが変わるかも。気合入れずにプラッと行ける場所。時間・お金・距離がかからないところなど。住んでいるところに和菓子は依存するかも。
妻:名古屋市民と愛知県民、みたいな「知の利」の差があるかもね。
夫:名駅・栄周辺とそれ以外とかね。
妻:昔は和菓子ってあんまり食べたことなかった。
夫:住んでる所がお城近くの古い地域だと、徒歩圏内に和菓子屋が4軒とかあった。需要はあったと思う。
妻:お茶の教室では食べてたなあ。でも、家では食べない。どら焼きくらいかな?
夫:買いに行く所は知ってた?
妻:「あるなあ」ぐらいに認識はしてた。
夫:何か差があるよね。
妻:習慣かも。私は抹茶を点てて飲む習慣がなかったし。道具も抹茶茶碗もないし。下手すると煎茶も飲まない。「お茶うけにお菓子」っていう考えがない。
夫:ケーキは食べなかった?
妻:ケーキは食べた。
夫:我々1970~1980くらいの世代が、和菓子からケーキにシフトした世代かも。
妻:亀屋芳広さんも洋菓子屋さんになっちゃってるしね。
夫:私はまだ亀屋芳広さんは和菓子屋って認識。少し話は変わるけど、昔の人はたぶん和菓子食べたと思う。
妻:どら焼きはホットケーキと同じぐらいの頻度で食べてた。みたらし団子も。和菓子も姿を変えたっていうか。
夫:上生菓子は他とは違うんだよね。私の家がお茶の教室をしていたから食べてたのかな。上生菓子は特別なのかな? タルトと同じくらいじゃないの?
妻:私は、上生菓子は大人になるまで見たことも食べたこともなかった。おはぎぐらいは食べたけど。ケーキは小学校3年生のときに初めて作ったのを憶えてる。それから高校生ぐらいのときまで、しょっちゅう作ってた。きっかけは調理実習だったよ。和菓子作りって、学校ではやらないじゃん。洋菓子はやるんだよ。
・和菓子の客離れ
夫:ふと思った。ニワトリと卵の話になってしまうんだけど、ケーキとか洋菓子とか技術が上がって作れるようになるわけじゃん。お菓子の選択肢が増えるんだよ。そうすると、上生菓子のお菓子を購入する人を占める割合は減るよね。売り上げを上げるには単価を上げる。単価分の価値をつけなきゃいけない。「これは特別な和菓子です」ってしたら、特別だから買わなくなる。そうやって客離れるようになったかも。
妻:お正月とか節分とかね。夏場の水羊羹とか、お中元で来るから。
夫:上生菓子は贈るものではないからね。お客さんを迎える時じゃない? うちは普通に食べるけどね。客をもてなすときがケーキにシフトしたかも?
妻:今は家に客が来ることは減ったかも。
夫:今、家に客間ってあるのかな? 客間自体減った?
妻:家はくつろぐところになったね。誰かの家を訪問したって最近ある?
夫:ないなあ。店を兼ねた家くらい?
妻:店と家は違うからね。実家は、こないだ家に伝わってる軸を見たいって人があったけど、マンションとかには人来ないよね。
夫:マンションには客間ないしね。客がこないのも、文化が変わったのもあるかも。客間がない建屋が増えたから客が来なくなったのでは?
妻:客を想定してない建物よね。核家族化というか、世帯の内容が変わった。お菓子を子どもと一緒に食べる。お客さんじゃなくて。
夫:和菓子でなくケーキをセレクトするのは、ケーキは新しい、ハイカラのイメージだからかも。子どもはシンプルに「他の子よりも先に行きたい」って思うとこあるかな。目立つし、もてはやされる、いばれる。親もマウンティングがとれる。
妻:洋風なことがよしとされたってこと?
夫:1970、80年代の話ね。結婚式でみんなハワイ行く、みたいな。
妻:上生菓子は古い?
夫:古い。トレンドにはならないと思う。70年代、80年代のときにはね。
妻:伝統的なものが良いと感じる人もいるよね。
夫:今はそうだけど、和菓子屋が駆逐されてた時代は、相手にされてなかったんじゃないかな。たぶん、伝統的だどうだっていうのは、接してない人が言うセリフ。当たり前の人からしたら、伝統じゃなく当たり前のこと。接したことがない人が「昔あった」っていう捉え方で、まだ残ってたんだと珍しがって、買うわけでもなく、知ってる自分を(知らない人々に対して)マウンティングするために使う単語の印象。
妻:伝統がいいという人には、二種類いる気がする。ひとつは、マウンティングなり、陶酔なり、満足をめざしてる人。もうひとつは、せばまっていくものを「守らなきゃ」っていう。そういう人もいる。
夫:何事も淘汰されるのが自然のことだと思う。天然記念物を守るのと、古くから続く商品を残すことは意味が違う。古いものに「伝統」っていう歴史価値のラベルをつけて売ると、商品の安心感になる。ちょっと話の軌道修正するんだけど、子どもがケーキを食べて育つ。上生菓子を食べさせるお客も来ない。もてなすことがないという環境で育って親になる。その次の世代の子どもは、その状況を継承するでしょう? 1990年代、2000年代は。
妻:和服が洋服に駆逐された、それと同じように、食も、和食から洋食に変わったというのがある。お菓子もその流れのひとつかな。
夫:ちょっと整理しとく。「和」が当然だったところに、「洋」がトレンドとして来る。「洋」が発展してく。「和」は利益を上げるために単価上げちゃった。で、余計客が減った。「私たちは伝統を守る」とか、「職人が作ってるから」とかで、価値を上げる方に進んで、資本主義的なシェアを獲得する勝負をしなかったのかな。
妻:企業努力ってこと?
夫:努力はしたと思う。多くの客がついてこれなくなったのかも。たとえると、スマホゲームやネットゲームで古参ユーザーしかクリアできないような高レベルシナリオ出すみたいな。新規ユーザー獲得よりも、古参ユーザーを逃さない方針になった。
妻:ところで今、和菓子は練り切りが熱い。練り切りのハイレベル化がヤバいと思うんだ。
夫:それこそ古参ユーザーの抱え込みじゃないの?
妻:違う。ビジュアル系というか、インスタ映えというか、とにかく凄い技術の高い美しい練り切りを作る職人が増えてる。
夫:特定の職人では意味がないと思う。裾野が広がらないと思う。上生菓子を多くの人に食べてもらいたいのだけど。
妻:誰が?
夫:私が。練り切りがインスタ映えしたら新規ユーザーに買ってもらえるのかという話。きれいだ、いいね押しても買うのか、近所の菓子屋で練り切り買ってる奴は誰だ? 私だ(笑)
妻:(笑)
・売れる和菓子とは?
夫:一方、売れているフルーツ大福もある。
妻:デパ地下のお菓子屋さんとかね。
夫:覚王山の弁才天とかね。断面萌えかなあ。インスタ映えして、買う場合と買わない場合の差が何かあるはず。
妻:食べて美味しいかどうかじゃない? 美味しそうと思う方に行くと思う。
夫:確かに。
妻:洋菓子のほうが、和菓子よりも買いやすい理由が、食べたことがある、味が想像できるというのはある。
夫:フルーツ大福、クリーム大福は、ケーキから類推して味を想像できる。上生菓子の菊芋だとか伊勢芋(※きんとんの材料)だとか、想像できないよね。ってことは、ケーキの味を再現した上で、ケーキにニアイコールな見た目にした上生菓子と、菊芋を使ったケーキを作って展開する、そして味に慣れていってもらう。
妻:普通に美味しそうなんだけど。あんこはなんだか嫌われがちじゃない? いなかった? クラスに「あんこ嫌い」っていう子。
夫:そんな奴は小倉トーストの国境の外へ出ていけ(笑)。ナゴヤ人は遺伝子的にあんこを好むのだ!(笑)
妻:そういえば井村屋ってどこの会社だった?
夫:三重。名古屋の経済圏じゃん(笑)。冗談はさておき、あんこは抹茶スイーツとセットで展開された結果として味知ってる。あんこは味の想像がたぶんつく。ただし上生菓子のあんこは別。コンビニとかのあんことは味は別かな。まあ、味を知らないと手は出さないっていうことか。
妻:子どものとき、私あんこ好きじゃなかった。
夫:つぶあんの皮が原因とか?
妻:そうね。母がつくるおはぎはつぶあんなんだよね。あんこがあまり好きじゃない理由は、食べにくいから。あと、ぼってりしていてすぐお腹いっぱいになる。ケーキが好きだった理由は、たくさん食べれるし、ふわふわしてるから。
夫:食感ってこと?
妻:あんこにはしつこい甘さがあるけど、ケーキはしつこくなくていくらでも食べれる感じ。
夫:あんこの食感をなめらかにしてクリーム的にすればいい? こしあんの上を行く、クリームあんみたいな…
妻:それは赤福なのでは?
夫:赤福はあんこじゃないの?
妻:こしあんよりなめらかな気がする。
夫:もっとなめらかなやつ。へらでテローンみたいな。
妻:水羊羹は好きだったよ。
夫:そういうなめらかさもいい。食感を変えて、ケーキにニアイコールで、食感と味が想像できて、インスタ映えするやつ。
妻:外の見た目を練り切りでかっこよくすればするほど、味は想像しにくくなる気がする。子どもの頃の失敗談で、「あわ雪」のCMって凄い美味しそうに見えるから、親に頼んで買ってもらって、食べてみたら想像してたのとまったく違って戸惑う…みたいなことがあった。
夫:ケーキやババロアみたいな見た目でアプローチしてたわけじゃん。味が違っただけ。味も近づければいい。
妻:美味しければ食べるよね。
夫:まずフルーツを使う。タルトの味とニアイコールに思わせる。フルーツ大福みたいに。ケーキとかは、萌え断、ビンに入ったケーキは断層が見える。フルーツサンドも見えてる。断面をアピールしなきゃいけない。多層構造の練り切り、またはきんとん。積んでく練り切り。
妻:バウムクーヘンと90度違うみたいなことね。
夫:それそれ。きんとんも下から上にグラデーションにするとか。あんこは赤福のようななめらかさ。
・赤福はなぜ売れる?
妻:赤福は何が美味しいんだろうね?
夫:あんともち。
妻:赤福って、実際すごい人気があるけどなんでだろう。
夫:唯一無二の味だから。東海地方を押さえちゃったし。
妻:お土産としての地位は確立したよね。三重じゃなくて名古屋のお土産になったけど。
夫:名古屋駅のお土産ランキングの一位だし。赤福は名古屋のものになってる(笑)
妻:京都は生八ツ橋がある。でもあれは私が小学校6年生ぐらいのときに流行り出した。最初は聖護院の「聖」しかなかった。あとでみんな真似をした。
夫:赤福は一定地域でしか買えないブランド戦略。ひとつの会社でひとつの名前。八ツ橋は複数社でひとつの名前、なんとなくブランド感がある。でも日本中どこでも食べれる。各地の百貨店で売ってる。
妻:私が子どもの頃は、八ツ橋っていうと、井筒八ツ橋の赤い四角い缶で、焼いてある、かったい奴が普通だった。今あれどこでも見ないね。
夫:京都にはあるよ。
妻:お土産の話から元に戻そう。羽二重餅って美味しいけど、もちろん今でも好きなんだけど、小学校のときに初めて食べて、唯一美味しいって思った和菓子だったんだよね。餅がムニュッとなって、味がしつこくない。粉のおかげでくっつかないし。
夫:生八ツ橋も食感が餅。普通の八ツ橋はクッキー。想像がつくから買う。結局、味の想像や食感の想像がつけば買う。上生菓子は、味の想像も、食感の想像もできない。だから、インスタ映えはするけど、欲しいとは思わない。それを解決しないとダメなんだろうね。想像できるようにしないといけない。
妻:水羊羹にフルーツのせた、水羊羹タルトみたいな…
夫:それはアリだと思う。
妻:賞味期限短そう。
夫:フルーツタルトも短いよ。なんかそういう開発をしていかないとね。
妻:もともとが、和菓子の世界って、奥行きがすごいある。けど間口が狭い。その間口を広げないといかんのだろうね。
夫:間口を広げて、迎えに行く、入ってきていただくっていうことだと思う。上生菓子の味と食感が忘れ去られてしまったということね。
妻:伝統を守りながら、新しい味を創出しなきゃいけない。大変だなあ。
(2021年6月26日)