ヴィパッサナー瞑想Day10(最終日)の記録
これがこの瞑想センターで瞑想をする最後の日となる。(正式には翌日の早朝に瞑想してから帰るのだが...)
朝食が終わり、Mettā Bhāvanā 瞑想の説明が終わると、沈黙の日々は破られることとなり、皆思い思いお互いに喋り始めることとなる。これも瞑想が終わってからいきなり外の世界でまったく異なる精神状態の人々と関わる前のショックを和らげるクッションのような役割としてそうしたおしゃべりタイムをセンターで行うのが理由だそうだ。
私はもともとデン・ハーグで知っていた参加者のウィリアムに話しかけられた答えようとしたが、こうも長いこと喋っていなかったので咳が出てあまりうまく喋れなかった。そこで彼がマントラをはじめに唱えてみたらどうかとアドバイスしたのでやってみることにした。
一番シンプルな音である
AUM(阿吽)
の音である。
繰り返しあ〜う〜む(ん)〜
の音で喉と感覚とを鳴らしてから「あうん」を繰り返し唱えていたら、
ウィリアムも参加したいといって一緒に唱え始めた。
20回くらい唱えていると彼はうまく音が出ないといって途中でやめたが、私は信じられないくらい全身の、特に肩周りと腕と胸がビリビリ震えているのを感じた。
これも今まで体験したことのない経験である。体がこの10日間の瞑想と菜食のみの食事で繊細になっているのだろうか?ちょっと面白くなったので、これからも音を出して楽しむことが増えたとラッキーな気持ちになった。私は彼にこういった。
「この新しく建設された瞑想センターは、古くから建てられ、長く続けられているセンターよりもある意味ハイクオリティーなのではないだろうか?長く経験のある人たちからのアドバイスを受けて建設され、運営しているのだから多くの知恵がふんだんに入り組んでいるような気がする。」
彼は全く反対だと私の意見に同意しなかったが、まあ君がそう思うなら何かしらの真実があるのだろうと言った。
今回の10日間は8年前と比べて比較にならないほどの恩恵を得ることだできたなあとつくずく感じており、周りの生徒たちにもそんな話をしてお互いの経験を話し合った。今もこうやってブログに詳細を徹底的に忘れる前に記録しおうと思ったのも、それだけ大きな影響を私の心に与えたからである。そしてまた瞑想の時間となり、いつものように集中すると、今までに多くの膿を不快な感情や記憶を思い出させながら排出してきたなあと思いながら瞑想して、他にもどんな汚濁が心にへっぱりついてるのかなあと気楽に観察しながら思っていると、今までの経験を要約するようなナレーションが出てきた。
幼少の頃の不満
思春期の挫折
彫師になってからの苦悩
彫師を辞めてからの無気力感
国際社会の一員となり文化や人種の違いなどでの苛立ち
そんな環境の中で子育てしている自分の不甲斐なさに落胆
未来の子供達やこれから生まれてくる子たちに明るい希望が持てるような環境を整えたいと慈善活動をしようとするが、やる気が常に何かを理由にして上がったり下がったりしてなかなか先に進めない停滞感
まあ、確かに認めるにしても認めないにしても、筋として通っているなと見返していると、やはり日本人として日本で生まれてそれなりに生きていける環境で育ちながら、急に多言語を話すために死に物狂いで学び、多文化、他人種の環境に飛び込み、金も自分で稼いで生き抜いてみようと突っ走り、さらには子供まで育ててその道を次の世代に託そうとしている自分の意思に少し驚いた。し、一体全体何がそこまでして私を走らせるのだろうと考察してみた。
幼少や思春期の悩みなど全世界のすべての人間に共通することであり、彫師になることは少数派であるが、仕事を受けてマンツーマンで顧客と向き合うのは他の職種であるマッサージ師や美容師、弁護士、風俗で働く人、プライベートレッスンの講師など、ごく一般的な仕事と対して変わりがないとも感じた。
それでは何がこの私の人生の最も大きな転機になるきっかけなのだろうかと心を観察しながら瞑想してくると出てきたのがやはり米軍であった...
沖縄で彫師を始めてから顧客の9割は米軍の海兵隊であり、彼らとの交流と地元民との対話でいかに不平等で不正義が罷り通り、それでいてその状況を半世紀以上も続けていけるという現実にショックを受けたことが始まりであった。
これはどの立場の人間にも言えることである。
沖縄で暮らす地元の人たちも反対するものや歓迎する人たちがいながらなんとか普通に日常生活を継続しているし、沖縄の米軍基地に滞在している兵隊たちなどは若いアメリカ人がほとんどであり、一時的な海外派遣の一つ程度しか認識がなく、これからの戦地でのミッションに頭がいっぱいで自分の心の不安をかき消すことで忙しいだけである。
沖縄を日本の一部になってからも、本州や他の日本の島で暮らす日本人は、そんな沖縄での非日常的な米軍との暮らしが日常化している現実を知る人は少なく、自分たちのストレスの多い忙しい現実から目を離せないのが現状であり、これからも続くであろう。
つまり私は日本人として日本で住みながら外からくる米軍によって守られているんだという語り口に心から吐き気がした。それに納得する日本人に嫌悪し、自分の生まれ育った島で求めていないものが居座り続けているのに何も変えれていない地元民に情けなさを感じ続けていた。
ただ、日本人や日本政府、沖縄の地元民に対してはさほど意識を向けることはなく、その強烈な存在感と、ほとんどすべての日本国籍を持つ人間がひれ伏す存在である米軍への感情が高まり続けることを確認した。
憎しみや憎悪、憤怒といった感情、見返したいといった念
である。なぜか恐怖心はなかった。怒りが思いにも増し続けていたので、恐怖を感じるスペースがなくなってしまっていたのかもしれない。
その対局的な感情として、その海兵隊たちに刺青を彫り続けることで、日本人にのみ刺青を彫る環境では得ることができないユニークで創造的な注文や、数え切れないほどの仕事量が絶え間なく降ってくる環境に恵まれていて、心から楽しんでいたことも思い出した。多くの海兵隊は彫り終わると必ずチップを私に手渡しし、収入としても安い給料で働きながらもお金に満たされていた。さらにいろんな場所に駐在し続けている彼らは世界中で刺青を入れており、質の高い作品をいつでも見れる環境でもあった。
好奇心、渇望、これから自分も世界で活躍していくだろうという期待感、いつかアメリカに行きクリエイティブであり、クリエイティブな彫師たちと暮らしをする夢を実現したいという夢
である。この対比する感情が私の中でぶつかり合いながら両方ともが増長し、膨れ上がり、どこまでも大きくなり続けた結果、自分の外側の現実に何が起ころうともこの私の心の中の葛藤は何一つ変わることがないことを悟り、あっちでもない、こっちでもないと色々な道を探った末に自分の内側を見つめるという道に突き進む決意のきっかけになったという新しい認識を得ることができた。
ようやくこの存在に感謝ができるようになったのである。かれこれ20年経ってから...
そしてTea breakの時間に初めて夕食が準備され、各々おしゃべりしながら食事を楽しむことができた。その時にある若い男性と目が合い、即座にお互いの自己紹介をした後、流れるようにスムーズに会話が行き来した。なぜなら彼はイギリス出身でとても聞き慣れたアクセントだからだったからである。彼の生まれはウェールズの近くで私も行ったことがある、イギリスの話で盛り上がった。
そして彼はここにくるのが初めてと話したので、何がきっかけでこの非日常な空間になんの躊躇もなく10日間過ごすという決断ができたのか聞いてみた。
なぜなら私の場合は四国に旅をしているときに知り合った友達から聞いてからかれこれ5年くらい経ってから悩んだ末、苫米地英人氏の著書でヴィパッサナー瞑想に触れていたのを皮切りに一度行ってみようと決めたからである。
彼は携帯電話でヴィパッサナー瞑想のAPPをダウンロードして、そのコンテンツで瞑想やゴエンカ氏の話なども聞けてわりかし何をやっているのかわかっていたからその延長上としてセンターに赴き10日間の瞑想をすることに決めたというのだ。
だが彼も正直な話、知らない場所に知らない人が横で寝る中10日間過ごし、話もできず参加する前にスタッフに財布や携帯電話、家の鍵、筆記用具などを預けなければならないのは威圧感(intimidate)を感じられずにはいられなかったとも打ち明けた。
確かに普通の人ならそう感じるものだろう。何かあっても対応はしにくいし、対応がだいぶ遅れてしまうだろうことも危惧するのは想像に難しくない。私も海外で参加するのは初めてであり、東アジア系の男性は私だけだったこともあり、この状況で何か詐欺行為や事件が起きたら大分私の立場は部が悪いなと思いながら参加したことも思い出した。 実際にこの10日間にここで教える瞑想法以外はしては禁止であり、他の運動などもしてはいけないことになっていたが誰かが休憩時間に太極拳をしており、他の生徒が教師やマネージャーに告げ口し、犯人を探していた時に私が真っ先に疑われたからでもある。
まあ終わってしまえば何事も無いもので思い返せばいい思い出となるものである。
そしてそのイギリス男性が自分の仕事の話をし、NIKEのIT部署で働いていると説明した。スポーツを推奨し、世界に広まっているのは良いが、この瞑想で伝えるように渇望と嫌悪が苦しみの一番の原因であるという解釈から見ると、NIKEのビジネス活動はとにかく人々の欲望や期待感を掻き立てて自分の会社の商品を購入するための活動に終始していると話した。つまり消費者に苦しみの原因を植え付けるための活動が世界中に浸透す流のがそのアジェンダでもあると躊躇しながら話、それでも多くの人々がスポーツに関わるのはいいことだし私はこの仕事について満足しているとも話した。
そこで私はさっき瞑想で気づいたことを彼に話すことにした。
それは同じ題材に対してその苦しみの原因でもある
渇望/願望/憧れ の対象でもあり、
嫌悪/憎悪/憤怒 の対象でもある
アメリカ合衆国という存在である(アメリカ文化/アメリカ軍/)。
そしてその両極端の感情が自分の中で膨れ上がり、自分の中の問題を解決するために精神修行に取り込むことにしたことを話した。つまり、この存在と接触した結果、こうやっていろんな経験ができ、精神修行に没頭した結果、今までの心の汚濁を取り除く方法に巡り合い、こうやってめちゃくちゃワクワクしながらやりたいことに向かって突っ走っていけるようになったことを鑑みると、そうやって極端な感情を最大限にまで膨れ上がらさせることで、新たな見解に辿り着くためのきっかけになるのではないかと話した。
すると横で聞き耳を立てていたオランダ人男性がポロリと
「君は芸術で必ず成功する。」
と言ってその場を立ち去った。
そして勢いに乗って私の芸術活動の説明もしなければならない感じがしたので短くまとめて、武道と芸術を融合させた活動で装飾した防具で闘いあい、その極限にまで緊迫させた状況の中で平静さを保ち、相手への慈悲の心も保ち続ける事で、相手にも、そのパフォーマンスを見るものたちにもその感覚を感じ取れるようにするための活動である。と説明した。
するとその男性も目を丸くさせて、確かに私も昔にテコンドーを習っていたのでよくわかる。今までいろいろなスポーツ選手を見てきたが、Combat Sports(格闘技)をする人が最も慈悲深いと感じる、と言った。
そして私の活動が見れるinstagramの詳細を尋ねてきた。これからも私の活動を見てみたいというのである。
なんとも何かが動き出した感じがした。
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