8月22日という日


昨日は8月22日だった

2年前の
8月22日という日から
その日は毎年
命日と同じくらい辛くて心が張り裂けそうに
なる日になった。

それは
主人と最後に食事をした日


そして
主人の遺言を聞いた日‥

(このnoteの初投稿がそれを書いたもの)

愛犬のこともあり気持ちが堕ちていたのでずっと友人の誘いを断っていたけれど
たまには外に出ないとダメになると思い久しぶりにその友人と食事に行くことにした。


友人との都合を合わせた日が
昨日の8月22日。

意識しないようにしていたけれど
この日が近づくに連れ
大丈夫かな‥
友人と別れて家に帰っても
以前なら愛犬が出迎えてくれたけど
その子も居なくなり誰も私を迎えてくれる人も
いない
ひとりぼっちの家。
自暴自棄になるのではないかと不安が募る。
でもその一方で
その日に独りで家にいるほうが危ないかもしれないと思ったりもした。
この日に限らず、あの日以来
日々、どんな感情になるのかがわからない中でのこの日への不安は当日になっても無くなる事はなかった。
当日、体調を含め無理だと思ったらキャンセルすれば良いと思いながら昨日その日を迎えた。

体調面はとりあえず行けそうだし
話したい事もあるので久しぶりに外出するとこにした。

友人と久しぶりに会ったことや
胸の内を吐き出せた事も手伝って私の感情は
荒れることもなく来たことへの後悔も無く
家路に着く事が出来た。

いつもなら外出したら
愛犬が待ってると思うと最短の時間で帰れるようにタクシーで帰るのが習慣となっていたけれど、昨夜は初めて電車とバスを乗り継ぎ家に帰った。

◯◯ちゃん(愛犬の名前)
ただいまー

これはひとりになった今でも外から帰ったら
声を出して言っている。

家に着いても感情の昂ぶりはない

あ、大丈夫だ 私。

8月22日を無事に過ごせた私がいた。

想定外に大丈夫な私がいた。

良かった

おとうさん 私 大丈夫だったよ

泣。

泣。

泣。




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