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「方位自身」は東ゆうに贈られた曲だ

はい、二度目である。
以前、映画『トラペジウム』を観た感想を投稿したのだが、また書きたくなってしまった。今度の題材はこの映画のED曲である「方位自身」について語る話だ。
この曲、めっちゃエモいんですよ。


「方位自身」の立ち位置

そもそもこの楽曲は「東西南北」の二曲目として中盤にデモ版が流れてきたものだ。初登場時におけるこの曲の意味合いとしては明確でゆうと他の三人の熱意の隔絶を示唆するものだ。

まず、担当者との話し合いに出席しているのはゆうのみである。他三人は出席しておらず、この時点でその差が歴然としている。その後のLINEでの連絡についても同様で一方的に新曲が出ること、作詞を担当すること、作業分担などを伝えている。

これに対して、特に何か発言があったわけではなく、後々のシーン、歌詞ができなかったことを謝罪する場面では完全に怒った先生と叱られている生徒の構図であった。

これ自体は、意識の差を感じさせるものであり、一見すると使えない駒を見る目だったかもしれないが、自分としてはちょっと違うと感じた。

これは自分がバイアスをかけてみている可能性があるのである程度こういう解釈も存在する、という目線で考えてほしい。ここでのゆうはメンバーを引っ張ろうとしていたのではないかと思っている。もちろん、この頃のゆうは公式にも「狂気」と表現されているので、正直に受け取れるものではない。

例えば、謝罪の言葉を聞いているときも三人が言ったできなかった理由に対して、そこを追及しているわけではないし、言い換えれば三人の事情をある程度は知っている、と考えられる。

その意識で振り返ると、慣れていない仕事に対して余裕がある自分が請け負うべきだ、と考えた、のかもしれない。とはいえ、仮にそういうふうにゆうが思っていたとしても三人には届いていない以上、全く意味をなさないのだが。

つまるところ、この段階では「方位自身※この段階ではまだデモであり、名前のない曲なのだが」は一人と三人の隔絶を表す曲であった。

私たちを引っ張ってくれてありがとう

通り過ぎる日々を 止まって受けた
行方だけ 知りたくて
ただ 空を見つめてる

方位自身 作詞:高山一実

ここはシンプルに何もなかった自分の表現だ。テニス部で弱い弱いと舐められている蘭子、ロボット研究会で一人寂しく作業をするくるみ、整形やいじめがバレて孤立している美嘉。ゆうに出会う前の三人だ。

胸の奥 うずいてる この気持ちは?
影に開く 花は美しいと
誰 囁いた人
見に行こう 今道連れに

東西南北を 青春切符で旋回中
追い風が 頼もしい
スカート揺らして

問題 解探し
広げたノートが笑みを乞う
また少し 変わったな
昨日よりも 今日の星が
生きるを照らした

方位自身 作詞:高山一実

ここはアイドルへの道を歩み始めた、まだ四人が上手くいっていたときの新心情を表したものだと思う。『影に開く 花は美しいと』ゆうが囁くわけだ。

アイドルという仕事は少なくとも三人のこれまでの人生からは縁遠いものであっただろう。そして『今道連れに』という表現は少し振り返ったときの少しの怒りが見て取れる。だからこそ、三人の心情は複雑なのだろう。

アイドル生活は彼女たちにとってつらいものばかりだっただろうが、それでも楽しいことや良かったことがないわけではないのだ。

それが分かるのが『追い風が 頼もしい スカート揺らして』である。少なくとも序盤は、ご当地タレント的な立ち位置のときは楽しかった、というのが伝わってくる。

『問題 解探し』や『昨日よりも 今日の星が生きるを照らした』などは人生に迷っていた三人にとっては四人で奮闘する日々は賑やかさがありつつ、楽しかったのだと思う。

あなたとの日々は悪くなかったよ

そして転調だ。アイドルという日々に辛さ、苦しさを覚え始めた心情が出始める。

例えば 今ここで 君と会って
そんなこと 考えてる
ひとりよがり 笑って

夕暮れ そっと涙抑えた日々も
思い出とか 勲章とか 言って
なんか 美化できたりね
ありがとう 過去に手振るよ

方位自身 作詞:高山一実

前回の記事で映画『トラペジウム』は賛否両論、という話をしたと思うが、その理由がここにもあると思う。

このシーンはどう見ても、東西南北が解散した後、一人と一人と一人と一人になったメンバーが元に戻って改めて過去を振り返っている場面だ。東ゆうはほんとひとりよがりだったよね、と思い出している。

少なくとも、三人がゆうという狂気に抑え込まれて追い詰められていく日々を『思い出とか勲章とか言ってなんか美化できたりね』としているが、そんな生易しいものじゃなくない!?と思ってしまう。

許せねぇよなぁ!と思っている人が多いというのはトラペジウムにおける大きな批判点の一つであると思うので、この歌詞にもおいて美化されすぎている、という風に感じる。

私たちは自分たちの道を歩いて行ける

さて、ここからはゆうとの確執を乗り越えて自分の進むべき道を見つけた三人たちの心情だ。

東西南北を 青春切符で冒険中
未踏の地で 降りる勇気
今の僕にはある
存在価値探し
遠回りしたよ 坂道も
弾む足で 深い一歩
踏み進もう
今日の空も 僕らの味方

手がかりは星あかり
方位磁針はない

方位自身 作詞:高山一実

個人的に好きなフレーズが『未踏の地で 降りる勇気』だ。これには二つの意味が込められていると思っていて『自分の知らない領域で頑張る勇気』であり『行き詰まったときに立ち止まり引き返す勇気』でもある。

それが『今の僕にはある』というわけだ。そして自分たちの『存在価値探し』に向けて踏み出している、というわけだ。

『今日の空も 僕らの味方 手がかりは星あかり 方位磁針はない』という歌詞はゆうを心配する言葉だ。本作のタイトルでもある『トラペジウム』は不等辺四角形であり、オリオン星雲の中にある四つの重星を意味する言葉である。

つまり、アイドルである東西南北の日々、経験を空や星と見立てていて、それが自分たちの経験の礎になっており、それを糧に進んでいける、ということだ。

東ゆうというアイドル

そして、もう一つ。個人の感想だが『方位磁針』とはアイドル・東ゆうということだ。

まだ まだ もや のかかる
りん かく ぼや けた 星
消えそうな 燈に
心は揺れ動く
やっと みつけたよ
君が夢

方位自身 作詞:高山一実

前回の記事で三人の心を動かしたのはアイドルではない、東ゆうであるという話をしたと思う。ゆうを許した三人が過去を振り返ったとき、ゆうの夢を理解したとすると彼女たちにはまだ足りないものがある。

それは、アイドルという夢を追いかける東ゆうの存在である。狂気ともいえるアイドルに対する執着、それがどんな形であれ、三人を突き動かしたのであれば、彼女たちが進んでいくに必要なものはアイドル・東ゆうという『方位磁針』だ

これから、みんなに会ってきます

ここからはもうエンディング。また個人的な感想だが、歌詞の1番や2番などでの微妙な変化、それによる大きな描写の変化、それを考えるのがとても楽しいと思う。

東西南北を 青春切符で冒険中
追い風が 声かける
前だけ向けと

欲しかった方位磁針
ずっと探してた 自分自身
もう 迷うことない
夢があれば 星が光る
輝く道を 進もう

方位自身 作詞:高山一実

その一つが『東西南北を 青春切符で冒険中』というフレーズ。1回目は『旋回中』となっているのだから、言い換えればずっと同じ場所にとどまっていた、ということだ。

それが『冒険中』と変わったことで彼女たちは明確な意思、目的をもって進んでいることが分かる。『追い風』についても『頼もしい』という受け身の態度だったものが『声をかける 前だけ向けと』となり、自分との切り分けができているのも成長を感じさせて実にエモい。

そして、彼女たちが歌詞を完成させたときには未来の話であるが、『欲しかった方位磁針』とは自分たちが進んでいくために必要な明確な目標、である東ゆうであり、これが『手がかりは星あかり』ではないのは、アイドルであっても星空にいる遠い存在ではなく、ずっと一緒に歩いてくれる『方位磁針』である、というのも素敵な歌詞だ。

こういった実にエモーショナルな歌詞に祝福された彼女たちは『輝く道を進もう』としていくだろうし『もう 迷うことない』だろう。

とここまで書いて、一つ黙っていたことがある。最後の目次タイトル『これから、みんなに会ってきます』は大人になったゆうが古賀さんに言ったセリフを引用したのだが、映画のセリフが完全には思い出せなかったので、原作小説から引用したのだ。

ちらりと見たら、巻末に『方位自身』の歌詞が載っていたのだが、一言、映画と全然違うじゃん!


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