朝井リョウ「生殖記」を読んで考えたコト
小説家ってすごい。どうしたらこんなこと考えるんだろう?
ちなみに、他の作品のタイトルは知っているものの、まだ読んだことがないので、これが私にとって最初の朝井リョウ作品だった。
ネタバレ禁止と書いてあったけど、タイトル通り「性」にまつわる話だからなんとなく外では話にくく、結果的にネタバレはかなり難しい。
うまく作ったものだ。
主人公は同性愛をひた隠して生きる30代男性である。
社会に順応している風を装って無難な人生を生きているけど、なんとなく「しっくり」こない。
ざっくり言うと、そんな彼が同期の異性愛者のカップルや意識高い系っぽい後輩とのやり取りで無気力に生き続けることから図らずも脱するきっかけを得て自分にとって「しっくり」くるものを遂に手にする話である。
作中に同性愛をまつわる状況の変化が描かれているけど、「性にまつわる話を外で話しにくい雰囲気」も何年後かには変わるんだろうか?
アラフォーの私が子ども時代はまだ「生理」について外で話すことは憚られる雰囲気はまだあった。
家庭でも母とは生理の話をしたけど、父と生理の話はそんなにしたことがなかった。生理痛や貧血が辛くて父に車で迎えに来てもらうことがあっても、思春期だったこともあり、なんだか気恥ずかしくて理由は言えなかった。
でも、最近はしきりに「フェムテック」が叫ばれたりして、「生理」や「更年期障害」の話もよく耳にするようになった。私は子宮筋腫持ちで定期的に検査しているのだが、そういう話も最近は実家に行った時に何も気にせず話せるようになってきた。
まぁ、それは自分が年齢を重ねてきて「性の話」というより「健康の話」というカテゴリーで話している感じがあるので、時代の流れとも言い切れないけども。
話は戻って、作中に同性婚を実現する運動に関する話が出てくる。
若い世代の人は「今後も同性婚できないようなら日本を出ていく」位、真剣に自分事として考えている。
一方で、40代以上の大人世代は自分達は散々抑圧されてきて、今更許されると言われてもふざけんな!!!という人達もいるという話が出てきて、「あぁ、私も一歩間違えればそっち側の人かもしれない」と思ってしまった。
というのも、私自身は選択的夫婦別姓制度が早く導入されればいいのに!と思っているからだ。
高校生の時に「君たちが結婚する頃には導入されてるだろうから」と言われて期待していたのに、あれから20年以上経ってるのにまだ導入されてないじゃんか!!!と心の中で叫んだことは1度や2度ではない。
私は自分のフルネームを気に入っていて変えたくないし、かといってパートナーにも変えて欲しいとも思わない。
「選択的」なのだから、同じにしたい人は同じにすればいいし、別にしたい人は別でいいと思う。だけど、そういう考え方はまだ少数派なのか、すでに結婚している人は興味がないのか、いつも他の事案の方が重要視されて変わることなく現在に至っている。
最近また与党が過半数取れなかったから、重要な論点のひとつとして挙がってきているけど、もはや期待はしていない。期待してガッカリするのはうんざりだ。
同性婚を望む人も同じような人多いんだろうな。
ということで、同じように何年も前から話が出ては結局実現されない「同性婚」についても他人事とは思えず、「選択的夫婦別姓制度」が導入されないならせめて「同性婚」が早く導入されればいいのになぁと応援しているのだ。そっちの方が「幸せ」を感じる人、「生きやすいな」と感じる人が多そうだから。
本作の中にも「同性愛者の自殺率が高い」とあって、同性愛者だとバレてはいけないという秘密を持ちづつけることで、結果的に孤独にしてしまうのが大きな理由じゃないかという話をするシーンがあって、同性婚を導入するかどうかを考える上で重要な話なのにあまりに報道がされていないなと思った。本来小説で知る話じゃないけど、全然知らなかった。
「同性愛者は生産性がない」発言が何度か出てくるけど、そもそも生産性って人類を増やす=子どもを産むことだけなんだろうか?
人間は社会的な生き物だから、自分一人で生きていくことはできない。
だから、同性愛だろうが異性愛だろうが無性愛だろうが、その人の生き方、物の考え方が周りに影響を与えることはある。生産性ってそういうものもひっくるめたもっと大きい概念なんじゃないかなと思っている。
また、同性婚が合法化することで、当事者の間でも上の世代と若い世代で世代間の断絶が起こるという話が載っていたけど、これについても同性婚合法化で新しく現れる問題だからか今まであまり取り上げられていなかった気がする。
自分が満たされていないと、他人の幸せを素直に喜べないのが人間の性(さが)でもあるからそういう人もいるだろう。
この本の中で後輩が言っているように、自分から独りに逃げ込んで、意識して「やらない」、「言わない」でいたことが、いつの間にか自分の目にめちゃくちゃつくようになって、やがてそれに乗っ取られる。
少し前までの私も、「選択的夫婦別姓制度」が中々導入されないから婚期逃したって思っていたし、今後導入されても自分にはもう遅いと他人の幸せを全然喜べそうになかった。
でも、自分の我慢を少しずつなくしていくことを知って、独りの安全な世界から色々な人と触れ合うことで乗っ取られずにすんだ気がしている。
そして、法律整備もだけれども、端々に出てくる「科学の力」も誰かを不安にするのではなく、少しでも誰かの心を軽くする方向に使われて欲しい。理由があって卵子は元気だけれども子宮に問題があって子どもを持てない女性もいるし、同性婚のカップルで子どもが欲しい人だっている。
私も含め、そういう人達は「生産性が~」と言われる度に悪いことをしていないにも関わらず、何だか肩身が狭く、正直傷つくこともある。
自分が正しいと信じてしまいがちだけど、本当にそうなのか?と考えて、一見自分に関係なさそうな話でも興味を持っていくことで、他のものに乗っ取られずに人間として生きていきていきたいな。そんな風に思った。