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神様に選ばれた姉と選ばれなかった妹を認める事

幼い頃から6歳年上の姉は私にとって神々しい存在でした。

突然現れた私に嫉妬や我慢をする気持ちなど一切なく産まれてくる前から私の存在が嬉しくてたまらず心から純粋に可愛がり愛してくれました。

冬の夕方。暗い道をそろばんに通うのが怖くても、母親がまだ小さな私のお世話に集中できるようにと「歌を歌いながら自分を励まして自転車で急いで行けば大丈夫なんだよ!」と頑張るお姉ちゃん。

一緒におやつを食べていても私が食べ終わるのを待って自分の分を私に分けてくれるお姉ちゃん。

自転車の後ろに私を乗せて坂道を登り、私が怪我をしないように用心しながらジェットコースターだよー!と坂道を下る遊びをしてくれるのが大好きでした。

今思えば姉だってまだ小さかったのに何度も何度も私を乗せて坂道を自転車を漕いで登ってくれたんだなぁ。

大きくなってからもバイト先に遊びに連れて行ってくれたりご馳走をしてくれたり。毎日机に向かい勉強に励み部活に励み、当然のように母の手伝いも自らしていました。

そしていつも私の事を自慢の妹だと思ってくれました。

一生懸命で真っ直ぐ。優しく賢い姉が自慢で大好きでした。姉のようになりたいと姉がする事は何でも真似て同じ部活に入り同じお稽古をしましたがいつでも姉には追いつけず憧れるばかりでした。

そうした中、私の出産を機に大きな変化が訪れました。

初めて姉よりも先に大きな経験をする事になったのです。

姉が経験した事のない事を自分が先に始めるのは、なんだかとても自由で正直に性格の悪さを白状するのなら優越感すら感じたのです。初めて自分に自信が持てたような気になっていたのです。

しかし、その1年後にはあっさりそんな気持ちは捨てなければならなくなりました。姉にも子供が産まれたのです。

当時20代前半の私。まだまだ精神的に未熟だった私。30代になろうとする姉は落ち着いており元の性格もあって誰もが素晴らしいと称賛する母親に。

ずっとお母さんになる事が夢だった私の唯一の取り柄も、初めて持てそうだった自信もなくなってしまいました。

姉は全く悪くない。けれど子育てはその後も続き何十年も姉と自分を比べ苦しむ事になりました。

精神的にも自立している姉は人に頼る事、助けを求める事も上手で沢山の人に助けてもらいながら子育てをしてきました。そうして関わってきた人達は関わることで姉の大変さを身近で知り、頼られる事で姉や姉の子供に愛情を感じていくようでした。

一方私は誰かに頼る事が出来なかった。迷惑をかけたくない。自分でやらなきゃと頑なになる余り子供達には窮屈な思いをさせてしまいました。

そんなある日、お風呂の掃除している最中に突然涙が溢れ嗚咽が止まらなくなってしまいました。今までの景色がガラガラと音を立てて崩れるような心の変化が訪れたのです。

子供の頃。私が姉の妹と知った時に教師達があの素晴らしいお姉ちゃんの妹か!と色めき立ち期待を込めて私に接した後、あぁ、妹は違うなとガッカリする様子。

お姉ちゃんは優秀なのにねとあからさまな態度を取る近所のおばさん達。

積極的で周りをポジティブに巻き込む姉には喜んで手を差し伸べるのに、普段誰にも頼らずに一人で我慢している私が限界になって助けを求めると溜息交じりにネガティブに反応される事。

私が悲しいのに妹思いの姉を悲しませて。心配かけて。と私の気持ちは置き去りで皆が姉の気持ちに寄り添う事。

誰のせいでもないのです。よくアダルトチルドレンは家庭環境が原因だなんて言われますが、そう言われると私はムッとしてしまいます。だって姉妹で差別される事なんて全くなく愛情深く大切に育ててもらったのだから。同じ両親から産まれた姉はとても素敵に育っているのだから。私の持って生まれた繊細すぎる気質のせいなのです。

けれど涙が止まらなくなったその日、私は初めて子供の頃の小さな私自身を抱きしめたくなったのです。いつも上手くいかなかったのも当然だよ。だって自分のしたい事じゃなかったんだから。お姉ちゃんとは違う人間なのに同じになれなくて当然なんだよ。自分の好きが沢山あるでしょ?自分の得意も沢山あるよ。  

自分の出来る事を誇れる人になろうとしていたけれど、なりたいのは出来ない人に寄り添い励ませる人になる事だったと気づきました。

悲しい景色の変化は私の心の硬い結び目を少し緩くしてくれたように感じました。

こんな恩知らずの私ですが街中で小さな姉妹に出会うと、お姉ちゃんの方を抱きしめたくなります。お姉ちゃん偉いよ!妹は案外大丈夫だからお姉ちゃんも甘えて。わがまま言ってね。と。

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