こどもと地域のつなぎ役になる~私の未来理想図①コミュニティコーディネーター編~
『誰もが自分らしく生きられる社会を実現すること』
これが私の夢だ。
ツッコミを恐れず大それたことを敢えて言っているのだが、これは、幼少期からぼんやり抱いていた理想のイメージを、やっと言語化して、何度も何度も語るにつれ、言葉としてある程度均されてきたものであるとも言える。
その夢について、3記事に分けて本気で綴っていきたいと思う。
私がそこで最期を迎えたい「居場所」
前提として、今の私は「子育ち」という視点でこどもたちと関わっている。
こども自身が、どう育つか、という見方だ。
自分のこどもを産み育てるという経験をしていない私は「子育て」の視点に立てないし、そこはまだ、当事者になれない。
(なりたいと切望しているけれど)
つまり、かつて「こども」だった先輩として、OBOG的な当事者として、子育ちに関わっているつもりである。
いずれ「子育て」に関しても当事者になって、その上で、自分のこどもだけでなく地域のこどもたちを見守りたい。
地域に開かれた土間的なリビングで、こどもも大人もそこに集うひとたちの姿を眺めながら最期を迎えたい。
というのが私の未来理想図だ。
そこにいるひとはみな、それぞれが「自分らしい」と思える生き方をしていて、楽しくても、悩んでいても、頑張っていても、休んでいても、自分なりの納得感を持ってその瞬間を生きている。
嬉しいことを共有できる仲間や、困ったことを相談する先輩や、頑張りたいときに背中を押してくれる人や、そっとしておいて欲しい時には離れて見守ってくれる誰かがそばにいる。
それが、私の思い描く「幸せ」であり、そのために必要だと思っている「居場所」観なのだと思う。
自己紹介記事の中でも書いたが、
自分を押し殺すしかなかった苦しい過去の経験があり、そこから救い出してくれたのがボーイスカウトや地域の習い事といったサードプレイス的人間関係がある「居場所」だった、というのが大きい。
そして同時に、1年間のフランス生活に象徴されるような生き方の「選択肢」が広がった経験をしたことが、私を支えてくれていると感じている。
だから私は、かつて私がそうだった「こども」たちに「居場所」と「選択肢」を届けることで、いずれ大人になっていくそのひとりひとりの人生が「自分らしい」ものになったらいいな、と思っているわけだ。
だって、大人はみんなこどもだったわけで、「誰もが」にアプローチするなら、こどもから届けた方が早いでしょ?
その足掛かりとして、こどもの居場所づくりを目的としたイベント企画などに取り組む「あそびこむ」をやっている。
人生を「畑」と捉えてみると
例えば人生を、畑を耕すこと、と捉えてみると、人間は「土」である。
生まれたてのこどもは、その環境や土の種類を選べない。
肥沃な土地もあれば、痩せた土地もあるし、日照時間や風向きや、近くに川があるとか、工場地帯だとか、様々な条件があって、それは自分で変えることができない。
そんな土で、最初は親と一緒に耕して、親が蒔いてくれた種を一緒に育てていく。
だんだんと、親でない人が種を蒔いてくれたり、自分で拾ってきた種を蒔いてみたり、時には風や渡り鳥が運んでくる種が芽吹くこともあるだろう。
そうやって色んなものを育ててみて、これはうまくいかないな、と思ったら雑草を抜いてみたり、肥料を増やしてみたり、地域の先輩に耕し方を聞いてみたり、試行錯誤しながらうまく育つものを探していく。
それが例えば、この子は「医者」という花を咲かせるのよ!と親の強い思いで種を蒔かれ、うまく根付かないからと支柱を差されて、育ちが悪いからと貴重な肥料なんかをたっぷり与えられて、ある程度育ったとする。
そんなある日突然、前代未聞の巨大な台風が来て、その花咲く前の苗はなぎ倒されてしまった。
と、したら。
その土には何が残るだろうか。
根付かない、と思った時点で他の種を蒔いてみるチャンスがあったかもしれない。
育ちが悪いのは葉っぱがくしゃっと丸まっていたせいで、もっと広げて太陽にあてれば丈夫になっていたかもしれない。
そもそも痩せた土地だったなら、畑にするのはやめて、家を建てるみたいな選択肢だってあるかもしれない。
そんな風に、根本の条件は変えられない「土」だけど、だからこそ、そこにしか咲かない花があるのだと思うし、花ではない何か想像もしないような素敵な実が成るかもしれないのだ。
──どこどこの土にはあの花が育ったらしいよ。
──うちの土はキノコ栽培に向いてたんだよ。
──こういう土はこの耕し方がいいよ。
──まだ誰も育てたことのない植物があるけど、育ててみない?
そんな風に、たくさんのロールモデルや、選択肢と出会える環境をつくりたいと思っている。
イメージが伝わっただろうか。
肩書きの理由を語りたい
現在、私は個人事業主としての屋号「あそびこむ」のほかに、敢えて肩書きを付けている。
・フリーランス保育士
・プレーリーダー
・コミュニティコーディネーター
聞きなれないであろう横文字の名前を連ねているのには、理由がある。
これは、これまで私が出会ってきた様々な事例の中でしっくりきた「あり方」や、私も目指したいと思った「こどもや社会との関わり方」を表した肩書きなのだ。
つまり、それぞれの事例との出会いが、今の「あそびこむ」につながっているわけである。
特に紫波町地域おこし協力隊として活動した2017年4月~2020年3月までの間、私は業務内外で日本全国の様々な地域で先進事例を視察・見学・取材させていただいた。
中でも、私の人生に響くターニングポイント的な出会いだったのが、
である。
キーワードとともに列挙したが、1は特定の事業者が運営する園名で、2と3は概念とも言うべき共通の理念に基づく活動の総称であることを念のため書き添えておく。
実は、2018年~2019年にかけて「ご縁をつむぐ旅」ブログで公開した記事の中で、1~3のそれぞれの事例についてまとめている。
ここからは、それらをもとに再構成して綴っていきたい。
地域おこし協力隊時代に立ち上げた「ご縁をつむぐ旅」ブログのドメイン解約に伴って、残しておきたい記事をリライトする試みの第二弾である。
当時から時間が経過しているため、各事例の状況などは多かれ少なかれ変化しているだろう。
あくまで当時の情報としてとらえていただき、そこから私が共感しているエッセンスを理解していただければ幸いである。
保育園と地域をつなぐ「コミュニティコーディネーター」との出会い
2019年4月18日
まちの保育園を、知っていますか?
私が初めて「まちの保育園・まちのこども園」の存在を知ったのは、2017年の1月。
お気に入りのテレビ番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、リノベーションの第一人者として知られる「ブルースタジオ」の大島芳彦さんが登場した回を偶然見たのがきっかけでした。
それはまだ、地域おこし協力隊のことも、紫波町のことも知らなかった頃。
リノベーションという言葉も、この時初めて知ったわけで、今こうして、様々なリノベーションの事例に触れることになったり、大島さんから直接お話を伺ったりすることになるとは、人生分からないものです。
番組の中で、物件の一つとして登場した「まちのこども園代々木公園」に私は強く関心を抱きました。
公園の敷地内に認定こども園ができるということは、規制でがんじがらめの教育・保育業界を思うと本当に衝撃的なニュースだったのです。
その後、地域おこし協力隊となってから、この「まちのこども園代々木公園」をはじめとした系列の園である「まちの保育園」を運営するナチュラルスマイルジャパン株式会社の松本理寿輝さんが紫波町へ視察にいらしていたことを知ります。
しかも、その際に町主催の講演会を開き、松本さんに登壇していただいたというではありませんか。
私は運命的なものを感じ、役場の上司に頼んで講演会の記録動画を見せていただきました。
そして、動画と一緒に上司が貸してくれたのが、この「まちの保育園を知っていますか」という本にだったのです。
講演の内容と、本に書かれていた内容に、かなり衝撃を受けました。
私が学生時代からずっと思い描いてきた「理想の保育・教育」に、限りなく近い考え方だったからです。
私がやりたかったのは、まさにこれだ!!
と、雷に打たれたような心地でした。
まちぐるみの保育を握る「コミュニティコーディネーター」
まちの保育園では、こどもを主体とした「まちぐるみの保育」を大切にしています。
イタリアのレッジョ・エミリア市で取り組まれている「レッジョ・エミリア・アプローチ」と呼ばれる教育がベースとなっていて、こどもをひとりの市民としてとらえ、地域と交わりながら、こどもたちの感性や創造性を尊重し、自然に伸ばしていくような保育なのだそうです。
レッジョ教育の中で言われる、
という考え方には、私も共感しています。
地域コミュニティにおける大切な「構成員」のひとりとしてこどもをとらえるこども観は、暮らしの質を自分たちの手で高めようとする昨今の志向にも、とてもマッチするものだと思います。
また、まちの保育園の大きな特徴として
「コミュニティコーディネーター(通称:CC)」
という役職を設置しているということがあります。
保育園の事務スタッフという立場でありながら、保育園と地域をつなぐ役割を担う、言わば「まちぐるみの保育」の番人。
保育園やこども園のスタッフでありながら保育者ではなく、園そのものやこどもたち・保護者・保育者と、地域の施設や人などの資源を結びつけるつなぎ役としての役割を持った人。
園の中では、こどもや保護者、保育者との信頼関係を築き、時に保育の補助にも入ることもあるそうです。
一方、地域では、町内会などに出向いて行って、まちの人脈をつかんだり、まちの資源を把握したりして、持ち帰り、ストックします。
地域の資源を園のニーズと結び付けたり、折を見て、園が地域と連携できることを提案したり、文字通り「コーディネート」しているのです。
これまた運命的なご縁があって「まちの保育園吉祥寺」で実際にコミュニティコーディネーターを任されている中西信介さんと直接お会いすることができました。
実際に園の案内や取り組みの紹介をしてもらっただけでなく、わざわざ紫波町まで来てくださって講演してもらったことも。
お話を聞き、現場を見て、知れば知るほど、コミュニティコーディネーターという役割が持つ意味とその重要性を痛感させられます。
コミュニティコーディネーターがいることによって、保育者が保育のなかで地域を味方につけることができたり、こどもたちがまちの人的・物的資源を自分で使えるようになったりすること。
また、地域にとって、保育園が「厄介なもの」「面倒なもの」から「身近なもの」「関わりを持てるもの」に変わっていくこと。
こどもを主体に地域とつながるというまちの保育園の考え方、そしてこのコミュニティコーディネーターという存在が、現在の保育や教育が抱えている課題を解決するひとつの道筋になると、強く思いました。
「つなぎ役」の価値を共創する
さらに2018年冬、東京大学大学院の「教育学研究科附属 発達保育実践政策学センター(Cedep)」とまちの保育園の共催で「コミュニティコーディネーター講座」が開講されました。
私は嬉々として申し込み、5回の講座を東京大学まで夜行バスで通いました。笑
余談ですが、実はそのうち1回が仕事上の理由で参加できないため、正式参加ではなくオブザーバー参加となりました。
教室の後ろでひっそりと受講するのは残念だなと思っていたものの、講義中のワークは関係者の皆さまが一緒にやってくださることになり、思いもかけず、系列園のコミュニティコーディネーターの方などとご縁がつながったことは、これも運命だったのだと感じています。
まちの保育園の系列園にはひとりずつコミュニティコーディネーターが設置されていますが、決まった資格があるわけでもなく、保育や教育にかかわる業界全体を見れば、まだまだ知られていない存在です。
今回の講座は、コミュニティコーディネーターについて「みんなで学びながら共創していきましょう」という試みなのだと冒頭で登壇した松本理寿輝さんがおっしゃっていました。
初回のゲストとして登壇されたのは、リノベーション業界を牽引する「オープン・エー」の馬場正尊さん。
馬場さんは、保育や教育だけでなく、まちづくりの分野でも同じような役割が求められていると事例を交えてお話しくださいました。
1階を地域に開き、「コミュニティマネージャー」という住み込みのつなぎ役がいる集合住宅「高円寺アパートメント」や、「nest」という会社がつなぎ役となってマルシェなどのイベントを仕掛け、個人が関わりやすい公園をつくりあげた「南池袋公園」など。
特定のコミュニティと地域がつながると、思いもよらない化学反応が起きて、コミュニティだけでは成しえなかったことが実現したりします。
地域も、それを刺激に新たな展開や成長が起こったりします。
これまでの考え方では、コストとして見られてしまいがちな役割だけれど、今後の日本にとって「なくてはならない職能」なのだと馬場さんはおっしゃっていました。
講座の中で印象的だったのは、「アマチュア性」がカギになるということでした。
まちの保育園でも、保育に関しては、コミュニティコーディネーターは素人です。
でも、だからこそ、保育のプロとしては言いにくいことや、考えもつかなかったようなことを「素朴な疑問や提案」として表現することができたり、保育者や地域の人たちの自発的な行動を誘い出すことができたりするのだそう。
また、コミュニティコーディネーターは「人間関係の地図」のようなものを持っているというお話もありました。
──どこに誰がいる。
──これはあの人が詳しそうだ。
──あの人の知り合いなら知ってるかも。
という、「人」に関する土地勘がついてくると、つなぎ役がスムーズにいくようです。
待てよ、なんだか地域おこし協力隊みたいだなぁ。
と思いました。
私も、地域おこし協力隊として活動する中で、ほんの少しの「つなぎ役」の存在があれば円滑にいくことがたくさんあると日々感じています。
ヨソモノでスキルも経験も少ない自分だからこそ、しがらみに囚われず地域のコミュニティに踏み込めることもあります。
そう考えたら、「こどもに関わる仕事がしたい」と思っていた私が「地域おこし協力隊」というまちづくり分野の仕事と運命的に出会った意味を、ビビビッと感じました。
そうか。
こどもたちの力になりたいなら、地域でコミュニティをつなぐ存在になりなさい、ということだったのかもしれない。
こどもたちが「ダイブ」できるまちへ
地域の遊休不動産をどのように活用するか、数日間の合宿で調査し、企画を練り、提案するという「リノベーションスクール」などで、「まちにダイブする」という表現が使われることがあります。
これはおおよそ町歩きのことを指していて、
まちづくりは机上でばかり考えていてはダメ。
実際にまちへ飛び出して、その地を歩き、店や地域の人を訪ねなさい。
触れ合って体感してこそ、そのまちらしさを汲んだ新しいアイディアが生まれる!
みたいな話です。
これって、地域に暮らす上でも大事なことですよね。
地元のことって、意外と知らないし気付かないものです。
そこにどんな歴史があって、どんな人たちがいて、どんなことをしているのか。
全然面白くないように感じてしまう地域の中にも、本当はもっと面白い人や素敵なものがたくさん隠れているのかもしれません。
保育園が地域とつながることで、幼いうちから、そんな地域の魅力と触れ合うことができたら。
そんな地域の資源を使いこなせるこどもたちが増えたら。
やっぱりコミュニティコーディネーターは、こどもたちにとっても、地域にとっても、そして未来のために、必要な役割であると感じました。
②へ続く。
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