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生理物語:メンヘラ子宮との付き合い方

 私は24歳の独身女性だ。彼氏と同棲はしているが、今のところ出産どころか、結婚の予定すらない。私の母も今私に子供ができたと聞くと、きっと唖然とし泣き出すと思う(少なくとも、親を含め家族全員が都心生まれ、都心育ちの私の家族はそうだと思う)。勿論、「孫の顔が見たい」なんかをいう人もいない。なのに、小4の頃から私の「妊娠」を期待している女性がいる。しかも、毎月自分で勝手に期待して、叶わなかったことに気づくと、すぐ私をボコボコにする。彼女の名前は「子宮」、もう12年ほど喧嘩が絶えない愛憎の関係だ。

長い闘いの始まり
 彼女の存在に気づいたのは、前述した通り小学校4年生の頃だった。私の親世代はもっと遅かったみたいだが、私の周りは大体小学校4年生から5年生の間に、初めて生理を経験することが多かった(今頃の小学生たちは、早熟とよく聞くので、もっと早いのかなと思ったら今でも10歳から13歳で経験することがほとんどだそう)。当時の感覚だと、「生理をする=赤ちゃんを産める体になる」という発想と、生理をすることで大人の女性に一歩近づけることができるというコンセプショ(のようなミスコンセプション)があったので、生理を夢見ていた(ブラジャーを早くつけたがるのと似たような感覚かもしれない)。初めての生理、つまり「初潮」を経験した日は今でもはっきり覚えている。親が不在の日だった。家のトイレで、パンツに茶色い何かがついているのを発見し、「これ生理じゃない?!」と興奮した私はすぐに母に電話をかけ、それを伝えた。そしたら、母は「うんちがついたんじゃないの?そういうこともあるよ。」とあまりにも平然としていた。
 あとから、パンツについている茶色い何かが本物の生理というのが判明され、その日の夜は父が帰り道にピンク色の薔薇の花束とケーキを買ってきて、「初潮パーティー」という謎に先進的なパフォーマンスをした(この日は、私の人生の中でかなりいい思い出として残っているので、父が嫌になりそうな時は思い出そうとしている)。
 その日から、私と「子宮」さんとの長い闘いが始まった。一番最初に困惑していたのは、「生理の漏れ」だった。私は誰もが認めるくらい大雑把で、計画性のかけらもないし、衛生観念も欠けている。しかし、それは全て母譲りのもので、同じく母のそういうところも祖母譲りのものだった。なので、私は初潮から長い間、整理期間中ナプキンを持ち歩くという常識がなかった。私の家は、生理の量が比較的少ない初日から、爆発的な量の二日目、最後の日まで毎朝オーバーナイトサイズ1枚をつけ、そのまま一日を過ごしていた。3時間ごとにナプキンを付け替える友達や、多様なサイズのナプキンを使う友達に対して「面倒くさくないのかなー」と思うくらい、世間の常識とだいぶ離れていた。
 多分、ナプキンの減りが早い女3人の家で、多様なサイズのナプキンを常備しておくのは経済的な負担だったと思う。勿論、量が比較的に少ない日はオーバーナイトで十分足りていたが、量が多い日は一枚を一日中つけていたら、流石に血が溢れてしまう。生理漏れがよくあった私に対して、母は「あなたのつけ方」が下手とよく言っていたが、多分違うと今になっては思う。女子校だった中学時代は、まだ生理漏れがあった時も、堂々とできていたが、共学になった高校時代に生理漏れはかなり致命的な問題だった。

支援兵の登場「おむつ型ナプキン」、短い黄金時代
 そんな私を救ってくれたのが、おむつ型のナプキンだった。おむつ型のナプキンはとても安定的で、普通の羽つきタイプのナプキンよりも漏れが少なく、付け替えも楽だったのだ。私の家族は毎月コストコで、そのおむつ型のナプキンを大量購入していた。その時期が私の生理人生の黄金時代だったかもしれない。しかし、おむつ型のナプキンとの出会いから1年後、新たな試練を迎えてしまったのだ。

敵の必殺技「生理痛」
 それは、以前まではなかった「生理痛」というものだった。私の姉は元から生理痛が激しく、薬を飲まないと動くことすらできないくらいかなり苦しんでいた。私はいつもそんな姉を見ながら、辛そうと思うだけで生理痛は自分と無縁なものだと認識していた。しかし、それは大間違いだった。初めて生理通を経験したのは、高3の冬、期末試験が終わり、クラスの友達と地元の遊園地に遊びにいった時だった。その頃は、午前中試験が終わってから、大体13時から閉園時間まで遊んでいたし、その日もその予定でいた。しかし、昼ご飯を食べた直後から原因不明の腰痛と腹痛を感知した私は最初「やべえ、食中毒にもなっちゃったのか」と思っていた。しかし、吐き気もしないし、トイレに行っても排出ができない。結局、顔が真っ青になるほどの痛みを感じ、これ以上我慢できない!と感じた私は急遽帰宅した。そんな私に母が渡してくれたのは、「頭痛薬」だった。なんで?と思いつつも、飲んでからしばらく時間が経つと痛みがどんどん薄まってきた。それが「生理痛」と認知してから、私は生理についての徹底的な調査を行った。

 この文章を読む男性もいると思うので分かりやすくいうと、私の子宮は、私が小学校4年の頃から、毎月赤ちゃんができることを期待している。どれだけ期待しているかというと、できてもない赤ちゃんのために、毎月私の体の中に勝手に赤ちゃん部屋を建設しているのだ。そして、赤ちゃんができるような環境作りに努める。しかし、準備万全で精子さんを待っていても、精子さんは来ない。まるで家族や友人、豪華な食事、素敵な内装といった式をあげるための全てのものを用意した結婚式の当日、突然新郎が行方不明になり、いくら待っていても来ないという状況に似ているのかもしれない(大袈裟だけど)。自分が勝手に抱いた期待に裏切られ、頭がおかしくなってしまった子宮はメンヘラ化し、自分が作った赤ちゃん部屋を壊し始める。子宮が赤ちゃん部屋を壊すとき、子宮の内壁が壊されてその残骸が子宮外に排出される。それが生理というものなのだ!

 「子宮ってメンヘラだよね」
 この一連の流れに気づいてから、私にとって子宮はメンヘラ的存在だ。私はこのメンヘラ女とこれから少なくとも20年は毎月喧嘩を続けていかなくてはいけない。少々過激な表現なので、友達に「子宮ってメンヘラだよね」というと、いつもドン引きされる。でも、これは紛れもない事実である。

 PMSとの付き合い方。

 ここ最近、子宮との新たなケンカ案件が発生した。それは、月経前症候群(PMS)だ。以前までPMSというと、生理前には体重が急増し、その数字を見ると少し鬱になってしまうこととか、肌荒れしやすくなることで鏡を見るたびに悲しくなるとか、多分外的変化による憂鬱な感情のことを指していた。しかし、ここ最近、気分がどん底まで沈んでしまい、将来への心配や現状への不満など抑圧されていた感情が爆発してしまう時期があった。その上、彼氏との喧嘩が急増、しかも大体私から喧嘩を売ることが多かった。喧嘩というより、一方的な八つ当たり、かもしれない。最初は、そのような状態がPMSと認知できず、単純な鬱状態であり、原因を解消し改善しようと努力していた。そのような状態が生理予定日の一週間前という時期に起きる法則性のある現象、PMSということに気づいたのはごく最近である。
 今日のこの文章を書こうと思ったきっかけとなったのも、PMSである。ここ2週間を振り返ってみると、会社を辞めたいと強く思い、その影響で仕事に集中できず、また誕生日なのに彼氏の態度に腹が立って泣いてしまったこともあって、普段通りに食べているのに体重が急激に増えてしまっていた。なのに、昨日生理がやっと終わり、体重計にのった瞬間前日より体重が1.5㎏も減り、大嫌いな曇りの日なのに気分はとても明るい。嫌悪感で顔を見ることすら無理と感じた部長に今日は親切に接することができて、また笑顔の可愛い新入社員モードに戻った。生理が終わっただけで、こんなに人生が素晴らしくなるなんて!と感心し、抑えきれない感情を文章で残そうと思ったら、なんと3200文字も書いてしまった。普段は書こうと頑張って、何時間も居座りしても書けない文章なのに、たった1時間でこんなに書けるとは!
 普段から人が集まらない私のノートに、私の生理歴史を文章で並べたって興味を持ってくれる人は少ないということはわかっている。しかし、この文章を読んでくれる方が、この文章でイライラしている自分を責めずに、全て子宮のせいにできればと思っている。ただそれだけである。

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