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不意に訪れた25歳の万能感は、あっけなく揺らぐ

「(大卒の場合)社会人3〜5年目くらいの20代後半、万能感を抱きがち」というのを何かで目にしたことがある。人生常にバタバタしているし、社会人1〜2年目なんてほんとに何もできていない気がしてたから「んなわけあるか」と驚いた記憶がある。

実際、社会人3年目のスタートは万能感と真逆の「圧倒的無力感」を痛烈に感じていた。「仕事が忙しい」という大義にかまけて、プライベートを充実させられていない罪悪感がまとわりついていた。そんな時に仕事でも壁にぶつかると「私って何もないじゃん」と絶望してしまう。同い年の従兄弟の結婚式に参列して、深い人間関係を築きこれから新しい家族を作り上げようとしている従兄弟と自分を比べて自分の無力さを感じ、「私って何もしてない」と母の前で泣き出してしまったこともある。

転機は異動だろうか。秋から、今までよりも時間的に余裕のある担当になった。平日に仕事以外のことをできる日も出てきたし、週末は仕事のことを考えずに思いっきり楽しめるようになった。でも実は異動前の、3年目のスタートから下地はでき始めていたかもしれない。

無力感から「もう3年目、仕事にも慣れてきたはずだし、自分が飛び抜けて仕事ができるわけでもないと気づいた。言い訳ばかりしていられない」という自戒を持ち始めた。ヨガに通い始めた、はじめは週1しか行けなかったけど会員を続け、2回行ける週も出てきた。週末には自炊を心がけた。冷凍しておいても平日そもそも帰宅が遅くて職場で済ませてしまうことも多かったけど、食べれる時は家で食べるようにした。

そんな心がけの変化が起きていたところに、物理的に時間もできて、やりたいことができるようになっていた。(今でももちろんヨガに行けない週もあれば自炊をサボる週末もあるけど)

異動して3ヶ月経った昨年末あたり、ふと、「あれ、私って生きたいように生きられてる…?」と気づいた。住みたいエリアの住みたい家に住んで、部屋もそこそこ整頓されていて、なんだかんだ達成感の得られる好きな仕事をして、読書や映画、ヨガなんかで心身の健康も維持できて、週末は弾丸旅行することもあって、会いたい友人にも会えて、彼氏はいないけどマッチングアプリでいろんな男性とのデートが楽しくて。

そして気づいた、これが社会人3年目の万能感か…と。たしかに、時間もお金もある程度自由に使えてる気がするし、やりたいと思ったことをある程度できてる。

ある意味、独身生活を謳歌してることでもあるな、と思った。たぶん今これだけ好き勝手に楽しんでいたら、いつか飽きがきて自分の欲望を満たすことがそんなに楽しくなくなって、誰かと一緒にいることを選んだり、子どもを育てたりしたくなるんだろうか、とそんな気がした。だからこそ、今はこの万能感を、独身貴族感を、とことん満喫しようと思った。

そして25歳の万能感と同じくらいよく聞くのが29歳の憂鬱。30歳前後で、人生について決めなきゃいけないことが増え、方向性についてものすごく悩み苦しむという。それは容易に想像つく。だからこそ、一時の万能感を、終わりが来るとわかっている万能感を、今は楽しもうと思った。


それでも、根拠のない万能感は弱々しく儚いもので、簡単に揺らいでしまった。いい感じだった男性とうまくいかなさそうになって、アプリで他にも同時並行できてたらいいのに今はそんな人もいなくて、「結局私は誰からも愛されない」なんて極論も浮かんでしまう。大恋愛の末の大失恋、とかでもない、たった4回会っただけの相手に対してのことなのに、日常を乱され、心も荒れてしまう。

小さな達成感の積み重ねで成り立っていた万能感もあっけなく消え去る。「いろんな男性とデートするのが楽しいなんて思ってたけど、ほんとは安定した彼氏が欲しいのかもしれない」、「仕事や趣味で好きなことできてるのは、結局、恋愛とか誰かと生きることを犠牲にしてきたから成り立ってるだけ」、そんな風にすら思えてしまう。

でもこれがある意味健全なのかなと思う。極端な万能感も極端な無力感も、それだけではうまく生きられない。万能感を抱きつつも、定期的に「そんなことなかった、私はまだまだだ…」という無力感に苛まされて、綱引きをしながら悩み考えながら、生きていくしかない。そのバランスが難しいし、ゆらゆらしてしまうけど、その葛藤を通じて楽しんだり成長したりできる気がする。はあ人生。

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