中学受験の裏側で差別されていたこと
「女子はしっかりしているから」
そういって女子に雑用を押し付けるのは教師の常套手段だ。
褒めれば喜んでホイホイ手伝うと思っているのだろうか。
わたしは中学受験のある共学の中学校に通っていた。
男女比は1対1。
ちょうど今の時期は中学受験の時期で、学校は「受験休み」があった。
一部の生徒を除いて。
中学2年生の1月。担任の男性教師はホームルームで言った。
「クラス委員の男女と委員会をやっている女子は、受験の手伝いをしてください。」
集合は普段の始業時間より1時間近く早い。解散は夕方。
「お手伝い」の内容は受験生の誘導と試験監督の補助。
各教室に教員と生徒が1人ずつ配置され、試験時間中後ろで座って不正をしている受験生がいないかを確認したり、トイレに行きたいという受験生がいたら付き添うことになっていた。
「どうして、女子だけなんですか?」
「女子はしっかりしているから」
わたしの質問に、担任はそう答えた。
「それに、女子のトイレに男子がついていくわけにもいかないだろう」
埒が明かない。それにこれはもう決定事項だ。中学生だったわたしはそれ以上言い募ることをあきらめてしまった。
やっぱりちゃんといえばよかった、と思ったのは「試験日」当日のお昼休み、学校からの唯一の報酬である500円の宅配弁当の、冷めて油の固まりかけた平べったいハンバーグを食べていた時だった。
なんだってこんな大しておいしくもない弁当一つで一日ただ働きをさせられるんだろう。平日の休みだからってディズニーランドに行っている子もいるっていうのに。
でも、試験当日は教員はもちろん大忙しで、お手伝いの生徒の話なんて聞いている時間はない。
中学生のわたしも、終わったことを担任にもっていってさらに議論するなんてこともしなかった。
残ったのはあの時のもやもやした気持ちだけ。
今更だけど、それをきちんと言語化してみようと思う。
わたしがおかしいと思ったのは2つ。
①「お手伝い」要員が女子に偏っていたこと。
②担任の言った、「女子はしっかりしているから」という理由。
①「お手伝い」要員が女子に偏っていたこと。
当日動員されたのはおよそ30人。そのうち男子はクラス委員の4人。(1学年4クラスだった。)
あとは全員女子だった。クラス委員は受験生の誘導をしていたから、試験監督補助をしていたのは全員女子だったことになる。
わたしも男子の試験会場になった教室の後ろに座っていた。
②担任の言った、「女子はしっかりしているから」という理由。
受験の手伝いは、問題児にはやらせられない。
「しっかりした」人に頼まなければならない。
委員会をやっている生徒なら、それなりに責任感があるだろうし、内申点を気にしている生徒もいるだろうから、あまりにアホなこともできまい。
さらに、人数もそう多くなくていいから少し絞りたい。
じゃあ、女子にお願いしよう。
女子はしっかりしているから。
これが現在の(といっても10年近く前だが)教育現場だ。
担任教師は特に深い考えもなくいったのだと思う。
問題意識も、差別意識もなかっただろう。前年度も、その前も、女子にやってもらってたから。そのくらいの気持ちだと思う。
だが、これが女性差別なのだ。
女の子はしっかりしているから。
女の子の方が向いているから。
子供の面倒を見るのは女の仕事だろう。
そうやって女性はケア労働を押し付けられてきたのだ。
子供の、家族の、病人の、年寄りの、ケアを押し付けられてきたのだ。
そうしてそれを中学校という教育の場にまで持ち込んでいるのだ。意識すらせずに。差別の構造を維持することは、とても簡単だ。
女子受験生のトイレに男子生徒がついていくことは問題視するのに、男子受験生のトイレに女子生徒がついていくことは構わない。
中学生の私が感じた、もやもやした不平等感。それは女性差別に対する反発だったのだと今ならわかる。
看護、介護、保育の現場にも、医学部の受験問題にも通底している、女性差別だ。
女が子供の面倒を見るのは当たり前だから、わたしたちは真冬の早朝から集められたのですか、先生?
受験生の誘導に、数少ない男子生徒を配置しているのは、受験生や保護者に差別構造を見せないためですか?
後日、母が面談で先生に問題提起をしたかと思いますが、次の年から何か変わりましたか?
先生、今ならわたしはきちんと抗議ができます。そうしたら私の言葉に耳を傾けて、体制に反映してくれますか?
どうなのでしょう、岡田先生?