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社会福祉に任せたい/映画「JOKER」

遠い人生の話とは思えなかった。JOKERは私だったかもと感じてしまった。



あらすじ

アーサー・フレックはコメディアンを夢見る心優しい男。母親から「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」と教わった彼は、大都会で大道芸人として暮らしながら、いつの日か世界中に笑顔を届けようと心に誓う。しかし、周囲から冷たい反応や暴力を受け、しだいに精神を病んでいった彼は、自ら施したピエロメイクの悪“ジョーカー”へ変貌を遂げる。

Movie Walker Press

アメコミの悪役、常軌を逸した思考で混沌と狂気をもたらす最狂のヴィランと言われるJOKERの生誕秘話。いわゆる"いい人"が、病気や貧困などの理由で迫害を受け、徐々に徐々に自尊心や道徳心を削がれ続け、完全な悪となるまでが丁寧に描かれている。
アーサーの身には不可抗力の不幸が多く降りかかるが、理解のある身近な他者さえいれば、JOKERにはならなかったはずだ。理解のある身近な他者さえいれば。これってすごく難しいことだ。この映画を観て、自分と結びつけてしまったことがふたつある。

  1. 理解のある身近な他者がいなければ、私がJOKERだったかも。(大規模犯罪とかは知能と身体能力的にできないけど)

  2. 私はアーサーの理解のある身近な他者になれるかもしれないけど、なりたくない。社会福祉に任せたい。

一つ一つ書いてみる。


私がJOKERだったかも

私には理解のある身近な他者がとてもたくさんいる。
この人たちがみんないなかったら?そして人から理解されにくい病気で、貧困で、周囲から浮いて、迫害されていたら?元々の他責思考や身勝手さ、しんどさへの脆弱性から、JOKERになっていたかもしれない…。なんなら、アーサーより少ない量と質の不幸でなれる気もする。これは私の話だ、と思った。(何度も言うが、知能と身体能力と思い切りとあと色々足りないので、最狂のヴィランにはなれない。なり得るところまでの精神状態の話。)


彼を救う人になれるけど、ならない

じゃあ、実際にアーサーのような人が近くにいたら、私は理解のある身近な他者になるだろうか。たぶん、絶対ならない。なれるかも知れないけど、なりたくない。おもしろくないちょっとこわい貧困の中年男性というレッテルを貼って遠ざけるだろう。
それは、自分の時間が有限だから。深く関われる他者の数には限りがあるから。そして、有限な中であえてこの人に関わりたいと思う動機が乏しいから、選ばない。いい人だけど。
見たくもなかった自分の優しくなさが目の前に広げられた気がした。


誰かに助けてほしいけど、自分はこんな人助けたくない ということ

自分もなりうる状況なのに、自分はきっとその人を助けない。私と世の中は、なんて平らでも優しくもないんだろう。そういう人の(架空の)人生を映画館でお金を払ってみるという行為そのものが、なんて悪趣味なんだろう。そりゃJOKER産まれるよ。ごめんなさい。
でも、社会福祉があるから…と言うも後ろめたい。十分ではないことはわかっているから。



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