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カフカによる「毒虫」の表象

今日はフランツ・カフカの著作の一つである『変身』における「毒虫」の描写について考えたことを軽く書いてみようと思います。以下は『変身』の原文からの引用です。

Als Gregor Samsa eines Morgens aus unruhigen Träumen erwachte, fand er sich in seinem Bett zu einem ungeheueren Ungeziefer verwandelt.

Franz Kafka, "Die Verwandlung"

以下は青空文庫にアップされていたカフカの "Die Verwandlung" の和訳です。

 ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。

カフカ フランツ, 『変身』, 原田義人訳, 青空文庫

以上の文章から、カフカの『変身』においては、物語の開始の時刻は「朝」ということになっていますね。私の感じ方だと、朝と言えば、なんとなく清々しい気分を連想しますが、カフカのこの物語において描写しているそれは不吉な印象を持っています。それにしても、ザムザがここで見ていた「気がかりな夢」 (unruhigen Träumen) というものの内容が個人的には気になりますね(笑) その夢は記憶されているのか忘却されているのか、記憶されているとすれば、一体どのような類の夢なのか……色々と連想されてきます。なので、この表現は何か多様であるがために確定的ではなく、そのために不安定で朧げな印象を読者に与えるかもしれません。そして、そのまま次の文を見ていくと、主人公が「巨大な毒虫」 (ungeheueren Ungeziefer) に変身していることが突如として判明してきます。ここに来て、先ほどまでの不安定な印象が一息に「毒虫」という奇怪で不吉な連想に結実していきます。この点だけでも、非常に見事な文章であるように感じますが、カフカの文章はどんどん続いていきます。以下、また原典からの続きの引用です。

Er lag auf seinem panzerartig harten Rücken und sah, wenn er den Kopf ein wenig hob, seinen gewölbten, braunen, von bogenförmigen Versteifungen geteilten Bauch, auf dessen Höhe sich die Bettdecke, zum gänzlichen Niedergleiten bereit, kaum noch erhalten konnte.

Franz Kafka, "Die Verwandlung"

以下、以上の該当箇所の青空文庫からの和訳の引用です。

彼は甲殻のように固い背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上がっている自分の茶色の腹が見えた。腹の盛り上がりの上には、かけぶとんがすっかりずり落ちそうになって、まだやっともちこたえていた。

カフカ フランツ, 『変身』, 原田義人訳, 青空文庫

以上の引用文では、カフカの「毒虫」のイメージが非常に具体的に描写されています。捉えようによっては、何かの暗喩なのでしょうが、それは具体的な表現の印象とは裏腹に、明快につかむことができるような本質ではないように思います。カフカの連想には非常に謎が多いですが、その奥に「何かがある」とこちらに訴えかけてくるような強い情緒を感じます。カフカがこの毒虫の心象によって何を表現しようとしたのかは、正直なところ私にも明晰には理解できてはいないのですが、少なくとも、それは、何らか「甲殻のように」 (panzerartig) そしてその色としては「茶色」 (braunen) という印象が前景化されてきています。つまり、カフカにとっての「毒虫」は何か「硬い」印象を持つ表象であり、その色はどちらかと言えば、赤や青のようなものではなく「茶色」状のものであるということが分かります。そこには鮮烈に明るい印象よりも、硬質で暗めの印象が先立っているようにも感じます。カフカの毒虫についての連想はさらに以下の引用文のように続きます。


Seine vielen, im Vergleich zu seinem sonstigen Umfang kläglich dünnen Beine flimmerten ihm hilflos vor den Augen.

Franz Kafka, "Die Verwandlung"

以下、以上の該当箇所の和訳です。

ふだんの大きさに比べると情けないくらいかぼそいたくさんの足が自分の眼の前にしょんぼりと光っていた。

カフカ フランツ, 『変身』, 原田義人訳, 青空文庫

この箇所については、他にも別の翻訳の仕方もあるようで、色々な解釈がありえる点かもしれませんが、ひとまず以上の原田義人訳の『変身』の解釈をここでは採用しつつ、考察を進めてみます。まず、その毒虫の「足」(Beine) は「たくさん」 (vielen) あります。つまり、いわゆる「量」としては「大量」であると言えそうです。しかし、その一つ一つは「情けないくらいかぼそい」 (kläglich dünnen) のだそうです。つまり、このカフカによる毒虫は量としては極めて大量の足を持ってはいますが、その一つ一つの「質」は非常に低いような何らかの現象を指しているように思われます。

それで、何かこれに似た類型の情報はないかと考えてみると、日本の文化圏だと「二兎を追う者は一兎をも得ず」とか「天は二物を与えず」のあたりが該当しそうに思います。どちらもある種の「大量性」への傾倒を戒める言葉ですね。量があまりに「大きい」ということには独特なおぞましさが伴う場合もあり、以上のようなカフカによる毒虫の「足」の形象などはかなりダイレクトにそうしたケースに該当するようにも思います。

すると、結局は「量」に依存せずに「質」を大切にして、とにかくその「唯一つ」を洗練させていくことが重要であるとも言えるのかもしれません。

私も「唯一の」神様に――少なくともできる限りは――正しく愛を持ってお仕えしていけるように頑張りたいなと思います。

みなさんにカフカの啓示による加護がありますように。祈ります。

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