秋を集めた日
秋の境目は曖昧だ。長い夏と冬の間に訪れるわずかな楽園を、私はいつも探しているような気がする。
気だるげな青空が広がる。淡い色を天高く携えて、まあ今の時期はこんなもんでしょ、なんて澄ました顔をしている、青空。先週は雨続きだったから、この青が恋しくてたまらなかった。
思わず散歩に出てきてしまった。これは不可抗力だ、欲のなすがままだ。こんなにも穏やかでご機嫌な空に誘われてしまったら、いくら引きこもり体質の私だって外に出たくなってしまう。本日唯一の授業は布団の上でやり過ごしてしまったというのに?それはまた別の話。
プロフィールにも書いてあるように、私は秋が好きだ。春生まれだし名前は皐月だけど、ダントツで秋が好きだ。うだるような暑さから解き放たれた透明な空気、距離が遠くなっていく雲、色素の薄い空に対して色濃く息づいていく紅葉、魅力的な旬の食べ物、そして個性豊かな花々。秋には愛すべき要素がぎっしり詰まっている。
目に入る景色全てを写真に収めたくなってしまう。人の目も気にせず、あちこちに向けてスマホを構える。私がカメラを買わないのはお値段が高いからという理由もあるけれど、こうしていつでもさっと撮れるスマホカメラの身軽さを買っている部分が大きい。こだわりが強くなるあまりに写真に対するハードルを上げてしまうのは、なるべく避けたいから。
私のいつものお散歩コースは、住宅街を抜けて、山を少し登ったところにある公園で一休みしてから帰るというルート。涼やかな空気を胸いっぱいに吸い込んで、早速山に向かって歩みを進めていくと、すっかり見頃を迎えた銀杏並木が現れた。
すきっとした空の青と鮮やかな黄色のコントラストがよく映える。少し前までは銀杏の匂いに悩まされていたけれど、この美しさを目にしてしまったらそんなの簡単に許せてしまう。欲を言うなら雄株を植えてほしかったけれど。
そして忘れちゃいけないもみじさん。あえてひらがなで書いたけれど、紅葉と書いて紅葉と読むくらいなのだから、この子が紅葉の代表格と言っても間違いない。どこにいても紅葉の赤はすぐにわかる。そして落ち葉となって降り積もる赤もまた、この季節の終わりを惜しむ一つの材料となるはず。
そういえば、銀杏と銀杏も同じ漢字だな。日本語はこういうところがややこしくて、それでいて憎めない。
さらになんと、ぶらぶら歩いていた先で私の最推しのお花に出会ってしまった。
線路沿いの道に咲き乱れていたコスモス。地元にコスモス畑があって、秋が訪れるたびに一面がピンクに染まる絶景を私は毎年楽しみにしていた。彼岸花も金木犀もコスモスもみんな好きだけれど、秋の花は儚く見えて強かなところがいい。
どうやっても下の花にばかりピントが合ってしまったから、近々このショットはリベンジしに行こうと思う。この花ばかりはいくら見ても飽きないし、フォルダ一面をコスモスで埋めてしまってもいい。フォルダに広がるコスモス畑、想像するだけで幸せだ。
ようやく公園にたどり着き、ベンチに座って文庫本を開く。外で読む本の贅沢さといったらこの上ない。こんなにも秋を詰め込んだ一日でいいのだろうか。というか、こんなことしてる場合なのだろうか、私は。
しばらく本の世界に浸ってから、あえて行きとは別の道を通って家に帰った。気温が下がってきたせいか、体の奥がしんと鈍く冷え込んでいる。それでも心はほくほくと満たされていた。やっぱりお散歩はいいリフレッシュになる。今日という日を布団の上で無為に過ごさなくて本当によかった。
去年に引き続き、北陸は今年も大雪の予報が出ているらしい。冬ごもりする前に思う存分、この散歩道を楽しんでおかなければ。
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