“夢を叶えるためには夢から覚めなくちゃ”
21歳は、屍になった。22歳は、激動の年だった。
23歳は、果たしてどんな1年だっただろう。
ファンデーションを変えてみた。試しに塗ってみたら驚くほど肌に馴染んで、化粧ノリもぐんとよくなって、朝からきゃあきゃあはしゃぎながらお化粧をしてしまった。鏡を見るたびに崩れていないかチェックして、そのたびに満足していた。
夕方、化粧を落とす前は寂しくなるので、私はいつも作った顔を恋人に存分に見せてから落とすことにしている。この日もそうだった。寝転ぶ恋人にぐいと顔を近づけると、恋人は私の顔を眺めてうーむと唸り、こう言った。
「なんか、目の下のさ……小皺が目立つな」
こ、こじわ!小皺ですって!私はでっかい声を上げ、洗面所の鏡へとすっ飛んでいく。目元を覗き込んでみると、確かに目の下には細かい皺がいくつも浮かんでいる。こ、これが皺……加齢のはじまりか……。
しょんぼりしたまま化粧を落としてみると不思議なことにさっきの皺たちは目立たなくなり、どうやらファンデーションの浸透がよすぎて(?)よれやすいらしいということがわかった。馴染みのよさも裏を返せば……というやつである。お化粧って難しい。
なのに、私は小皺の存在に絶望するとともになぜだかテンションも上がっていた。私ももう若くない、と思えるのはもちろん虚しく受け入れがたいことなのだけれど、その分大人の階段をしっかり上っているという実感も持てる。私ももう、老いを重ねる大人なのだ。
23歳のうちに出会えてよかったと思える曲に、吉澤嘉代子の「23歳」がある。
私は23歳の年、大人の世界にしかと足を踏み入れた。そこが何よりも大きい。
大人の世界に出てようやく、大学生がいかに未熟で若かったのかがよくわかったし、あんなに拒んでいた大人の世界にもいい意味で諦めがついた。希望も失望もない、ただここで生きていくという覚悟。
夢を見ることもやめて、きちんとこの世界を真正面から見つめることができるようになってきた、と思う。夢から覚めることは、夢を失うことではない。むしろいつまでも夢の中にいることの方がずっと危険で無意味なことなのだと、私は理解しているつもりだ。
だって夢を見ようが見なかろうが、私がいるのは今しかない。当たり前のことだ。当たり前だけれど、少し前まではもっと、後ろを振り返ったり、嘘くさい未来に飛んでいったりしていたような気がする。そうこうしているうちに歳を重ねて、皺も増えて、身体は言うことを聞かなくなってくる。いい加減身体に心も追いつかなければ、示しがつかない。
綺麗事ばかりじゃ済まされない人生を、特別に変換したくてたまらない時期は通り過ぎた。ただがむしゃらに生きるだけ。それ以上も以下もない。地に足のついた状態で手を伸ばさなければ、本当の夢になんかたどり着けない。
それに気がつけただけで大進歩だ、と思いたい。もしかしたら気づくのが遅すぎたかもしれないけれど、あるいは早すぎる、と言われても仕方ないのかもしれないけれど。だけど気がついてしまったんだから、私はこのまま歩みを進めていくしかない。
23歳最後の夜。今の私を抱きしめて、明日から、さらなる次の私へ。