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等身大の絵本の世界

絵本の展覧会があるんだって。その知らせを聞いたとき、ふわりと心が浮き立つのがわかった。ポスターを見ると、知らない人の知らない絵本。なのになぜだか、絵本というだけで私はどうしようもなくわくわくしてしまう。

絵本。これがなかったら私は、小説もエッセイも書いていなかった。そう断言してしまえるくらい、絵本が私に与えてきた影響力は凄まじい。

バムとケロ、はらぺこあおむし、ノンタン、しろくまちゃんのほっとけーき──あんなに小さい頃に読んだきりなのに、不思議と心に残っている絵本はたくさんある。それってつまり、私の中身は少なからずこの絵本たちで構成されているということだと思う。

大人になり、絵本に触れる機会なんてほとんどなくなってしまった今。そのとき出会ったのが、美術館で開催されている絵本の展覧会だった。
絵本の世界を絵本以外の場所で味わえるだなんて! 私たちの絵本展覧会の旅は、ここから始まった。


クリームソーダあります。

何より展覧会の素晴らしいところは、原画を間近で見られるところだ。展覧会に飾られた絵本の原画は、見覚えのあるページなのに絵本を開いて読んでいたあの頃とは全く違って見える。懐かしいのに新鮮で、自分の中の色褪せない高揚感に驚く。

それもそうだ。鉛筆で描かれたねずみくんの繊細さ、リサとガスパールの油絵ならではの鮮やかさ。顔を寄せれば寄せるほど、筆や鉛筆の一つひとつのタッチが見えてくる。絵本では印刷しきれない繊細さは、ここでしか見られないのだ。

撮影OKゾーンにて。
私も一緒に写真を撮りました(見出し画像参照)
リサとガスパール。
私が好きなのはリサが風邪をひく話と、おうち(大きな商業施設)を探検する話。

さらに絵本を読んでいるだけではわからない、絵本ができるまでの編集過程。次に見えてくるのは、作者の顔だ。

展覧会によっては、ひとつのページの下絵から完成に至るまでの行程が丁寧に展示されている。下絵ではこうだったのに仕上げではこうなってるね、なんて口々に言いながらじっくり眺めてまわれるのは刺激的だ。

『ねずみくんのチョッキ』でお馴染みのねずみくんシリーズは、数十年もの間夫婦二人三脚で描かれてきた。絵の担当の奥さんが亡くなってからも、夫のなかえさんが過去の奥さんの絵をデータ化して絵本作りを続けているという。なんとこの秋にも、40作目の最新刊が出るらしい。

私も思わず、ミュージアムショップで絵本を手に取ってしまった。考えてみれば、自分で絵本を買うのは人生で初めて。かつては大人たちに与えられてきたものを、ついに自分のお金で手に入れる。月並みな表現だけれど、私も大人の仲間入りをした気分だ。

サイン入り絵本を手に入れられるのも
展覧会の醍醐味なのかも。

展覧会を通して絵本のストーリーをおさらいしながら、今度は大人の視点で、それから作り手の視点で絵本を眺める自分に気がついた。ここではこんなことが伝えたかったのかな、こんなところに思わぬ仕掛けがあったんだ。

あんなに読み返した絵本なのに、感じ方は昔とは変わっていた。それは少し寂しいようでもあり、新たな世界の扉を開いたような気分でもある。これは初めて絵本を読んだ新鮮なあの日の気持ちと、実は何ら変わらないのかもしれない。


絵本は人にとっての、感性の入り口だと思う。幼い子供が最初に触れる物語は大抵絵本で、絵本を通して子供はさまざまなことを学んでいく。他者との関わりで受ける刺激には到底及ばないかもしれないけれど、絵本は心の奥底で、じんわりと人の土台になりうる存在だと私は思う。

そして大人になってもなお、絵本は人の心を刺激し続けるものなのだ。いくつになっても絵本は私たちを、懐かしい童心へと引き戻してくれる。

かつて読みふけった大好きな絵本。気が向いたときに、本棚の奥から取り出してみるのもいいかもしれない。


with いもうと。



(9/5追記)こんなにぴったりな企画がやっていたのか!といてもたってもいられず、メディアパルさんの企画に参加させていただきます。後出しですみません!いつも素敵な企画をありがとうございます。

ご自身のためにお金を使っていただきたいところですが、私なんかにコーヒー1杯分の心をいただけるのなら。あ、クリームソーダも可です。