アメリカの大学が怖いという妄想
ミネルバ大学はとんでもない大学だ。子どもの発達には段階があるが、高校生までに一般的な知識以上の知性を身に着けて更に元々IQが高い生徒を選りすぐって入学させ、ミネルバ大学のForumという学習ツールを使用させる。新鮮な子共達の一番優秀なIQを知識のプラットフォームとして利用する事でより優れた知識のシンクタンクを作ろうとしている。実際会社の経営ももとより、学校という機関もすべては方法論で成り立っている。一部の学校が優れているのは、より学習に適した環境づくりが出来る所にある。より優れた方法論で優秀な人々を繋げれば、より優れた結果が出るのは明白だ。
世界には様々なSNSツールがあり、AIも出来上がってきたが、それぞれのFacebookやX、インスタにしてもLINEにしても、SNSツールは囲われた中で単純な他人の思考や発信するメッセージ等を、交換し、保管する機能がメインだ。AIがトレンドとして挙げてくる優先順位は個人の趣味趣向に合わせたものがでしかなく、大きなトレンドはその時代の人間の趣味趣向、社会成熟度に合わせたIQが多数決でとってきたものを無作為に抽出してつながるツールでしかない。現在利用される学習用ツールや、会社経営や、大学で利用されているポートフォリオでも、ただ、今存在する人間の頭脳が頼りだ。例えば、会社でポートフォリオを利用しても、会社の売り上げを上げるという目的の為の意思決定が、法令と、会社と、個人の頭脳という媒体の制限内でやり取りされ、保管されるという機能でしかない。また、各種SNSが世界的につながったとしても素晴らしい劇的な発想が現実化せず単なる発想で終わり、世界を革新的に変えていくことが出来ないのは人間の思考や、行動力に制限が大きくあるという、様々な”欠点”や”縛り”がある為だ。
しかし、ここに”学術を追求する”という生産的で明確な目標を持たせて、学術的な重要性や、新しい思考のプロセス、想像したい事柄のスキームに沿った知識が手軽に手に入るとしたらどうだろう。さらに人選をすることにより、個人の思考の欠点や、縛りを極力迄減らすことが出来る。時代の更新という上澄みで生きて、我々より優れたIQを持ち、知識的な学習能力も高い子供たちが、これらを利用したら?単純な学習のみで得られる知識以上に、情報を活用することで、全ての良いアイデアが集中して集まる事になるだろう。米国はそれらを独占することになる。時代は権力者が支配するのではなく、優れた脳の集合体が支配する時代になったということだろう。
世界平和の元に、全人類的に見ればそれでいいかもしれない。でも国単位にしたらどうだろう。日本人は、まず、PCという技術をより優れたものにする開発の機会を奪われ、SNSや情報交換のためのツールの開発の道も閉ざされた、そしてAIの導入も世界に後れを取り、学校という機関の進展や発想も完全にどの学校でさえ旧世代的なままだ。ある程度”経営者”の自由に出来る会社という概念でも、日本では未だに野村のシンクタンクしかないし、それらは多分どうでもいい事に縛られているので、情報を活用できたとしても、たかがしれていて、野村だけが”企業”としてちょっとまわりより賢い気がするというだけの話だ。
簡単な話、PTAで今回前年度の2倍の成果を上げたのは、単に私と、トップが経営者的な視点を持っていた為、”人”のスキルに頼らず、仕組みづくりだけで最善の結果を出すことが出来ただけだ。ここに、人の教育が組み合わさっていたら、結果は更によかっただろうと思う。これが学校だったらどうか、ミネルバの授業では、Forumという学習ツールを利用し、世界中の様々な国で、生活をし、その土地で、子供たちは新しい情報や、環境に触れる。常に新しい文化、人、自然、自分を取り巻く地球的規模の環境が変わるという刺激を受ける。その中で、飽きることなく自分の探求心や、よい刺激を受けながら最強の学習ツールを使って、しかも、その学習の時間に”学習していく”以外の人間的な無駄な足の引っ張り合いが無ければ?
人間の時間の進みはそれぞれ違う。一度に情報処理できる量も違う。人間の脳は、20歳前後で、完成し、最も高い水準で動く。鮮度の高い最高の頭脳が、集合して、そいつらが、一番いい状態で、情報交換をして、それらがAIの基準を高めたらどうなるんだろう。しかもそれを、学生でやっているというのが本当に恐ろしい。年間150万の授業料を取って、それらの金は、施設の維持ではなく、仮想空間の充実とAIの研究や、現実で実際に再現し、実現する”実験”につっこめる。4年後、個人の脳が凝り固まってきたころには、その使い捨ての考えたアイデアは仕組み毎保管されれ、それらはどこかの企業に押し込めて、また新しい新鮮で優秀な脳が次々と入ってくるのだ。こんなんガチ目に恐ろしすぎる。
建学の精神は立派だが、本当にやっている事が怖い。無料で試験を受けれて、受かるのは、2%とか、そんなん当たり前だ。大量に受けれるんだろうから。過去の業績なんか分からないけれど、なんかすごいかもしれないと思って、子供を行かせたいと思う親は多いし、子共だってそんなすごい大学には入れたら行ってみたいだろ。私も完全に最初すごい大学だと思った。確かにすごいかもしれないが、妄想してみたところかなり恐ろしいと思った。
大学に行かせる意味とか、各家庭での重要度は色々あるが、各家庭での重要度や、個人の学歴なんかくそくらえで、本来大学は、国の研究機関としての役割の方がはるかに意味があると思う。
日本は学校の教育機関を、公共のモノだと考えているのなら、もう、考え方を改めた方がいい。早急にやり方を変えないと、日本は本当に米国に食われると思う。
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