見出し画像

私が「積ん読」に対する罪悪感を手放した方法

こんにちは!

今日は、私が「積ん読」(つんどく)に対する罪悪感を手放すことができた方法についてお話しします。


本を買っては積み上げてしまうことに罪悪感を感じている方に向けて、私の経験をお伝えします。




なぜ「積ん読」になるのか?


私はビジネス書が大好きで、週に1回くらいは本屋に行って新しい本を買っています。


なぜそんなに本を買うのかというと、その時々の自分の問題意識を解決するためのヒントを求めているからです。

もちろん、買った本が全ての問題を解決するわけではありませんが、時には大切なヒントがそこに隠されていることも多いのです。


しかし、このペースで本を買い続けると、買った本を全部読み終える前に次の本を買ってしまいます。

そうすると、いわゆる「積ん読」状態になりますよね。


「積ん読」とは、読み終わらない本が積み重なっている状態です。


このことで、私は「本を読み終わらないまま次の本を買ってしまう」という罪悪感を抱くようになりました。


この罪悪感は、精神衛生上あまり良いものではありません。

それに、本来は楽しむはずの読書が、どこかストレスの源になってしまっていたのです。


そこで、「なぜ私は積ん読になってしまうのか?」と深く考えてみました。


その結果、自分の「完璧主義」が原因の一つであることに気づきました。


私は本を読む時に、マーカーを片手に、重要だと思う部分を丁寧にマーキングしながら読み進めていました。


なぜそんなに一生懸命にマーキングしていたのかというと、同じところを何度も読み返すのが嫌だったからです。
読書に効率を求めていたのです。


一度マーキングしておけば、その部分は後から見返すことができるし、その本はもう「終了」にしたいという完璧主義が働いていたのです。

でも、この読み方だとどうしても時間がかかります。

ページをめくりながら「ここは大事か?マーキングするべきか?」と考えながら読むので、スムーズに進みません。


そのため、1冊を読み切るのにかなり時間がかかり、結果として次の本を買う頃には前の本がまだ読めていない、という状況が続いていました。


「積ん読」から開放された考え方


この「積ん読」の罪悪感から解放されたかった私は、ある時から考え方を大きく変えました。


まず、最初に手放したのが「必ずマーキングしながら読む」という考え方です。


これは私の完璧主義の一部で、どの本も「しっかり読み切らなければならない」「大事なところは全部マーキングしなければならない」と思い込んでいたのです。


でも、この考え方をやめて、「マーキングしてもしなくてもいい」「一言一句丁寧に読む必要はない」という自由な発想に切り替えました。


それからは、「自分のアンテナに引っかかるものが1つでもあればそれでいい」と思うようになり、読書がとても身軽になりました


本来、知的生産は自分の知的興味の趣くままに行うことで、脳内の神経ネットワークが活性化され、新たなひらめきにつながったりするものだと思います。


そのひらめきを、「1冊全て読み切ってからでないと次の本は読んではいけない」などという考え方で縛られるのは、脳の活性化を妨げてしまうのではないかと思います。

それは非常にもったいないことです。



「自由」な知的活動のために


堀江貴文さんがある本の中で「人間はグラデーションだ」といった意味のことを述べられていました。


この言葉は私にとって非常に心に響きました。
人間は「白か黒か」では割り切れないのです。


私たちの知的活動も同じで、「これが正しい」という決まった方法はありません。

その時々で、最適だと思うことを柔軟に取り入れるのが大切だと気づかされました。


今では、読みたいと思った時に自由に本を読み、読む順番も決めずに、自分が気になるところから読むこともあります。

また、マーカーを使う時もあれば、全く使わない時もあります。


要するに、本の読み方が「自由」になったのです。


この自由さは精神衛生上、とても良い影響を与えています。


もう、「どうして自分は本を読み切らないまま次の本を買ってしまうんだ?」と悩まされることもなくなりました。


そもそも、世の中には毎日数多くの本が出版されています。

その中から自分にぴったりの本に出会うこと自体が奇跡に近いことです。

だからこそ、色々な本を手に取って、たくさんの情報に触れることが大切だと思います。


もちろん、これを言うと「精読派」の方からは反論があるかもしれません。

でも、私は精読を否定しているわけではありません。

精読か乱読かも、その時の自分に合った方法を選べばいいと思います。


大事なのは、「自分の読み方に自分で縛られない」ということです。


本来、読書は知的な楽しみであり、自由であるべきです。


ですから、みなさんの中にも「積ん読」に罪悪感を感じている方がいたら、ぜひこの自由な発想を取り入れてみてください。


私がそうだったように、「完璧に読み終えなくてもいい」「積ん読でも全然OK」という考え方にシフトすることで、読書がもっと楽しいものになるはずです。


読書の楽しみを取り戻し、知的生産性を高めるためにも、ぜひ自分なりの「自由な読み方」を見つけてみてください!


ここまでお読みいただき、どうもありがとうございました!

よければ「スキ」ボタンも押していただけると、今後の執筆の励みになりますので、よろしくお願いします!


《このnoteを書いた人》

ひろ/介護事業経営者/理学療法士/介護支援専門員
・病院で80人の部下を抱える管理職⇒介護で起業⇒6事業立ち上げ⇒経営11年目
・仕事効率化、知的生産、ビジネス書、文房具、ガジェットの話題が大好き
X(旧Twitter)で介護事業の運営・マネジメント・リーダーシップについて発信
YouTubeで介護事業の起業・経営について発信

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?