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映画レビュー「スパイの妻」~この世界のどこにも行き場がなくなったとき~

2020年、第77回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門銀獅子賞最優秀監督賞)を受賞した本作品は、面白い映画であった。

全編を通じて、わざとクラシカルな雰囲気を醸し出す演出がとられているのも、主演の蒼井優のセリフ回しがまるで往年の原節子のようであるのも、日本の暗黒史であるあの時代を、懐古的に描きたいと思っているのではないか、と、最初のうちは、想いながら、見始めたのだが・・・。

しかし、見終わってみて、この映画のテーマは、日本現代史の暗黒面を描きたいのではなく、日本人の心の暗黒面、とりわけ女性の心の暗黒面を描きたかったのではないかと考えてしまったのだった。

<ストーリー>1940年、福原聡子は、神戸で貿易会社を営む夫・優作と何不自由なく幸せに暮らしていた。国家総動員法下、貿易商という職業柄当局に目をつけられながらも、洋風の生活洋式で通し、舶来品を楽しみ、趣味の9.5mmフィルム撮影に興じたりと、時勢に頓着しない優作を、聡子の幼馴染である陸軍憲兵の泰治は快く思わない。
あるとき文雄を伴って満州に出かけ、予定よりも遅く帰国した優作の様子を、聡子はいぶかしみ、疑いを抱き始める。優作は、満洲で知った国家機密についてある計画を秘めていた。泰治が二人を追い詰めていく中、文雄の拘留をきっかけにすべてを知った聡子は、“スパイの妻”と罵られる覚悟で愛する夫と運命を共にする決意を固め、優作ですら予想もつかなかった変貌をとげていく。

この映画は、「731部隊」や憲兵の拷問・思想弾圧などの史実に基づきながら、スパイもののフィクションなのだとみることもできるが、そういうジャンルとしては、はっきりいって、そんなに面白い映画ではないと思う。

しかし、これを、「スパイの妻」という題名通り、主人公の女性の内面心理を中心に見ると、とても面白い映画になるのだ。

主人公の聡子は、お金持ちで素敵な夫の優作から愛されていて、誰が見ても、というか傍から見たら、これ以上の幸せ者はいないだろうという女性だ。

しかし、そんな聡子のアイデンティティを最初に脅かすのは、優作が満州から連れて帰ってきた女性の存在だ。聡子は、彼女を「あの女」と呼んで敵意を隠さない。夫と自分の間にある「存在」を認めようとしない。

そして、夫がその女性と浮気などしていない、その女性は夫と同志的なつながりがあっただけということがわかると、今度は、自分から、夫を突き動かすその「思想」を共有しようとする。

「あなたがスパイなら、わたしはスパイの妻になります」
この決め台詞、一見、夫の思想を共有し、同志的なつながりを言っているように見えて、実はただの独占欲に過ぎないということに、この愛すべき可愛い女性は最後まで気が付かない。

聡子が、夫にあなただけがいればいいというのを強調すればするほど、ざわざわと不穏な空気が漂い、悲劇的な結末が待っているのではないかと思わせる演出が上手いなあと思った。

お金持ちで進歩的な知識人で、優しくて、自分のことだけを愛してくれる夫である優作に対する聡子の気持ちは、愛なのか、執着なのか、あるいは、彼の妻の座が自己の存在そのものなのか。考えても謎は深まるばかりである。

そこへいくと、自らをコスモポリタンと称する優作はわかりやすい男だ。優作は、妻のために思想を捨てたりしない。時代に向き合うことも、そこで自分の行動を自分で選択することもできる。
当時の危険思想に人生をかけた文雄も、狂った時代に流されて行動する泰治も、他者より優先する自己があるのだ。

時代背景は、日本現代史の暗黒史を背景にしているが、夫から与えられる物質的な豊かさと、精神的な充足感が高ければ高いほど、「妻」という立場の不安も大きくなるという、危うい女性の精神状態を描いている。

愛する夫がいなくなれば、どこにも自分の居場所はない、と思い込んでいる聡子にとって時代とは、正義とは、思想とは、何だったのだろうか。

このあたりの女性の視点を描いたところが、ヴェネツィア映画祭で評価されたのではないだろうか。

聡子のセリフにある「わたしは狂ってなどおりません。わたしが狂っているように見えるなら、それは時代が狂っているからなのです。」という時代は、あの時代のことばかりとは限らない、そんなことを考えさせられた映画であった。


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松幸 けい
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