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徒然に「世界は美しいモノであふれている編」①ボッティチェリが描いた眼差し

 フィレンツェには、一度しか行ったことがないが、ぜひまた行きたいと強く願っている。強く願えばかなうと信じて。
 今更、言うまでもないが、ウッフィツィ美術館は本当に素晴らしい。フィレンツェの支配者であったメディチ家が所有していたコレクションを、もとは行政官庁(ウッフィツィ=オフィス)だった宮殿に展示したヨーロッパで有数の美術館だ。

 そこで、わたしは、ボッティチェリに出会った。(思いっきり気取って言ってますが、ボッティチェリの絵を見ただけ) 衝撃だった。
 それまで、あまりにも有名なこの画家を知ってはいたけど、正直、そんなにファンでもなかった。なんかちょっと俗っぽい気もして。
 でも、ボッティチェリの絵画が展示されている広間に入ったら、あまりの美しさにうっとりしてしまい、しばらく出ていきたくなくなってしまって、随分と長いこと、彼の絵を見ていたのだ。

 彼の描く女性は本当に美しい。
 その美しさはどこから発せられているのかというと、「目」じゃないかと思う。目の表情がいいのだ。その眼差しが優しい感情、繊細な心の動き、善良な心根の良さといったような、いわゆる「女らしさ」のプラス面を表現していて、見る人をうっとりさせてしまうのではないか。

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 この表現は、女性に恋した人じゃなきゃできないと思う。(もちろん、わたしの個人的な思い込みです)

 しかし、仮にそうだったとしても、あまりに純粋過ぎて、生身の女性というよりは、描いた女性を聖母だのビーナスだのプリマヴェーラだのにしておかないとしっくりこない。そこがまた悲恋を連想させたりして…
 彼の絵の謎については、いろいろ言われているけど、レオナルド・ダ・ヴィンチのように女性には興味がなかったとは思えない。
 彼の女性観、恋愛観はどうだったのだろうか。
 それも気になるところだが、何か資料が残されているわけでもないので、そのへんはよくわからないようだ。

 タイトルの写真は「パラスとケンタウロス」より、ギリシア神話の女神パラスのアップ。学問と戦いの女神パラス(アテナ)がケンタウロスを捕まえた絵なのだが、この表情、私には「恋している愁いに満ちた目」にしか見えないのだけどなあ。
 

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松幸 けい
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