「逆ソクラテス(伊坂幸太郎著)」を読んで
今回の入院で病院に図書室があり、ぼくはそこで借りた本を読んで退屈な入院生活の暇な時間をつぶしていた。
置いてある本はほとんどが寄贈本のようで、ベストセラーが多く、そのうち何冊かは同じものが並んでいたりしていた。時代小説が幅を利かせていた。
「罪の声」という本を手に取った。気になっていた本だった。昭和の大事件「グリコ森永事件」で使われた子供の音声テープ、それを自宅から見つける主人公。それが「自分の声だ」ということに気がついて、という実際の事件をベースにしたフィクションの小説からはじまり、いろんな本を読んだ。
そのなかで「奥田英朗」と「伊坂幸太郎」という名前はよく目にするけど読んだことのない作家の本が何冊も並んでいた。
「しかたがないな。これも運命か」
そう思って最初に手にとったのが伊坂幸太郎のほうで「アイネクライネナハトムジーク」という短編集だった。そしてこれがまたなんというか、まあ、簡単な話、すごくおもしろかった。随所に散りばめられた技がバッチリと効果的に活かされており、まんまとハマった感じだった。それが心地良かった。映画「アヒルと鴨のコインロッカー」を観たことがあって「すごいなあ」って思っていたけど、その原作者が伊坂幸太郎だということを改めて知った。
気がつけば、図書室に置いてあった伊坂幸太郎を貪るように読んでいた。
・バイバイブラックバード
・首折り男のための協奏曲
・終末のフール
・残り全部バケーション
・SOSの猿
・あるキング
どれもすべておもしろかった。「SOSの猿」の評判は良くないようだったが、ぼくにはとっても魅力的な物語だった。エクソシストで引きこもりで、西遊記で合唱。そういう内容が巧みに物語を紡ぎ出していた。
「終末のフール」は数年後に惑星が地球にぶつかってしまうという状況の話で、世紀末の世を迎えた人々がそれまでの日々をどう過ごすのか、という物語でこれはウイルスが蔓延してパニックになっている2020年の今、読めてよかったと思っている。
図書室にはまだまだ読んでない伊坂幸太郎の本があったが、20周年記念の新刊として「逆ソクラテス」が今月24日に発売したことを知って、つい購入してしまった。入院しているので、電子書籍で、だ。
五篇からなる短編集で、その主人公は小学生だ。上記のスクリーンショットはこの本の最初の出だし。Amazon Kindle でサンプルをダウンロードすれば、序盤が読めるようになっている。試しに読んでみるといい。つづきがどうなるのか気になってしかたなくなっていると思うけど。
まあ、内容は小学生時代にあった理不尽なことや、仲のよかった友だちとの話、いじめられっこ、いじめっこ、好きな先生、苦手な先生などの普通の当たり前にある小学生のお話である。
第一話目「逆ソクラテス」に出てくる転校生は魅力的に見えたし、二話「スロウではない」のドン・コルレオーネとの会話は微笑ましいのに胸が熱くなる。
「非オプティマス」で人間関係や住む世界は案外と狭いものであって、どう関わってくるのかわかったものではないという「伊坂幸太郎ワールド」では特に顕著な登場人物たちの結びつきを思ってニヤついたりもできる。ここから後半の3篇は書き下ろしになっていて、最後の二篇「アンスポーツマンライク」と「逆ワシントン」の完成度が高かった。
小学生時代の思い出で覚えているのは修学旅行での出来事や、生徒の数が多くなりすぎた世代でプレハブ校舎を校庭に追加で建てて、そこでも授業を受けたりしていたというような、事象の思い出くらいしかない。担任の先生は良くしてくれたし、いいイメージはあるけれど、エピソードとして覚えていることはなにもない。
仲のよかった友だちも、中学に入って引きこもりがちになってしまって、家に遊びに行って「月刊角川」を見せてもらい「原田知世かわいい」って思っていたくらいの記憶である。
「逆ソクラテス」の登場人物のように、いろんな悩みや不安を抱えていたとは思えない脳天気な自分の小学生時代だが、もっとしっかりと思い出してみるのもおもしろいのかもしれない。
伊坂幸太郎というひとの著作に出てくる登場人物はみなすべて魅力的で彼らが交わす会話のテンポや内容はセンスがほとばしっていると思っていて、彼の本を読んでからは、失礼だけれどもほかの作家の本を読んだ時に「格が違う」と思ってしまうほどになってしまった。たまたま自分との波長が合致しすぎているんだと思うけど、それくらい「物語」ではないような感覚で読んでいる。
ほかの本は特にそう思わなかったけど、この「逆ソクラテス」は誰かにいいよ、と勧めたくなった一冊になった。
読んでみてほしい。読後感は爽やかです。