「どんなに暗くても、星は輝いている」 僕が山奥の病棟で出会った剽軽なKは、いつも深夜の澄んだ夜空を見ながらよくそう言っていた。彼は溶ける様な眼で夜を見上げては、僕と語り合った。そんな彼ともう会えないというのはとても寂しいことだった。 貝印の剃刀で、腕を切って、腕を切って、また腕を切って、僕の頭は愈々可笑しくなってきた。朧気に覚えている事は、貧血とヤクで倒れているところを救急隊に運ばれたことだけだった。その後色々あって隔離病棟に収容された。しかし、数カ月と経つと、僕は“
ふと、思い出したことがある。別に何も面白くないことだ。四年前に山梨の塩山に一人で行った時の記憶が、にわかに柔らかな霧の様に私の脳内を過ぎ去った。手で掴めば、静かに消え去ってしまうような儚さで包まれた。しかしいざ掌を広げると、その霧の中に隠された暗澹としたドス黒い液体が、まるで何度洗っても取れない油の様に、手に纏わりついていた。私の心はいくらか暗くなってしまった。良い記憶でもあり、嫌な記憶の始まりでもあった。 どうして塩山に行ったのか。それは一回目の大学一年生の頃だった。仏
こんばんは。ChatGPTです。 この一言だけで文章への信用が落ちたり上がったりするのだから面白いですね。さて、最近起きた面白おかしい事をグダっと書きたい気分なんです。もしかしたら喜劇でなくホラーかもしれない。まあ、そこは読む人の線引きに任せよう。 それは6月の或る晴れた夜に起きたのです。晴れた、と言ってもジメっとしていた日でした。しかし夜になるとカラッとした東風が吹きまして、なんだか散歩したくなってきたのです。コテっとしたラーメンを食べた後にスッキリとしたメンソール
ここ数日のタイムラインは、皆が知るように、荒れていた。岸田総理へのパイプ爆弾投擲未遂に、女子高校生二名による自殺配信。この二つが主だった議論の中心だろう。 女子高校生二名による自殺配信が、私にはひどく心に刺さった。詳細や犯人を誹謗中傷する様な事を言ってもしょうがないので、私なりに思った事だけを述べようと思う。 私が見たのは本当に最期の1分程度の飛び降りる瞬間の所だけだった。流れてきたから、つい見てしまった。向かって左側の女の子が、か細い声で「い、行くよ」と言う。何とも悲
春と言えば別れと出会いの季節だ。この頃できた彼女に対して、どうも僕の友人達はソリが合わないらしい。間に挟まれる僕としては、どちらとも仲良くしたいのが本音だけれど、そう上手く折衷出来ないのが、人間関係のかく難しいところだ。 さて、今日はそんな事を忘れて、少しだけ散歩に出ようと思った。花粉症も少しマシになってきた。天気も良好で、お腹も空いていた午後の昼下がりだった。僕は自転車に跨って、淵野辺に行くことにした。 淵野辺には僕の母校があって、僕は高校生の時の通学路を通った。麗ら
いつか見た。そして、いつか行った場所だった。そこが何処なのか知っているし、そこにいつ行ったかも知っている。しかし、誰と行ったかは思い出せないでいる。だから僕はその誰かを君として記す。 群青色の空の下、仄かに暑い曙光を浴びながら僕たちは田圃の中のアスファルトを、原付きバイクで走っていた。免許なんかないし、ヘルメットなんかないし、信号なんかない。幽邃な田園風景の中、僕らはアテもなくツーリングをしていた。 起伏を過ぎるたびに、僕の原付きはガガ…とヤナ音を鳴らして、君が
いやはや寒くない。寒くないのだ。12月だというのに、コートを着ても暖かい。「最近肌寒くなってきましたが……」と枕詞を使おうにも使えない。全く地球温暖化というやつには、少し感服してしまうかもしれない。 さて、私は今鬱期間、通称“黒き犬”という時期にあって、平たく言うと、抑鬱の状態にある。交互に来る、不眠と過眠にも悩まされていて、ランニングをしたり酒を飲んだり徹夜したりして平衡を取ろうとするが、どうも失敗する。結局、大学の授業にも仕事にも中々行けずじまいだ。病院に行こうにも
「どんなに暗くても、星は輝いている。」 ────ラルフ・ワルド・エマーソン 星が世界を照らさなくなってから、50年は経つ。太陽さえも人間には不必要となった。何故なら、街の真ん中にある千年塔から燦々とそそがれるアティフィシャルな光が、街を照らしてくれるからである。毎日23時に決まって塔の光は消灯され、毎日6時に決まって塔は光出すのである。 山神透は18歳にして、普通の高校生である。彼はこの千年塔の街で生まれ育った。山神透は、一回だけでも星が見たかった。ある日、学習書を古