『有難い』と感じるひと、感じないひと~目の前のソレは”縁”?”機会”?~
今日も1日お疲れ様です!!
では早速今日のnoteいってみましょう(^^)/
今回のテーマは、
『有難い』の2つの側面
です。
何やらややこしい内容・・・?
と思われるかもしれませんが、
至ってシンプルです。
目の前の食事を『有難い』と思えるって大事ということです。
どのような時に、有難いと感じるか
有難いというのは、
有ることが難しい・・・
つまり滅多に機会に巡り合えないもの。
ということです。
でも、
私たちの多くは、
1日2回から3回、
多い人ではもっと・・・食事の機会は与えられていますよね?
本来の意味を適応するには、
多すぎる。
そして、『有難う』という言葉も、
たくさん使っておられる方もいますよね。
でも実際にそれは、
有難いことというよりは、
日常の何気ないことだったりします。
何が有難いのか
でも日常の何気ないことに『有難い』と思えるのは重要なことだと思っています。
まずは、それを自分のために遣ってくれた人と、
自分がそこに居る確率というのは、
そもそも天文学的なものだからです。
まず自分が存在する確率自体、80兆分の一。
とも言われています。
それが目の前の人と合わせると・・・
考えられないですよね。
『有難う』は、目に見えない背景や、
そこに至るまでのプロセス等、
全てをひっくるめて感謝する言葉なんだと感じています。
だから、目の前の"ソレ"だけにフォーカスしていると『有難う』は出てきません。
それが”縁”や”めぐりあわせ”でなく、
”機会の一つ”になるからです。
縁や巡り合わせや、
その人の思いを全て鑑みた時と、
機会の一つとして見た時とでは、
それ自体が全く別のものに感じられることでしょう^ ^
今回は『『有難い』と感じるひと、感じないひと~目の前のソレは”縁”?”機会”?~』について書かせていただきました。
また、次回もお楽しみに^ ^