16日目:1人でもいいから、わかってくれる人が居ればいい ~“続ける”ための私のルール~
こんにちは。ryosukeです。
リハビリテーション専門職として、
患者さんや対象者さんの身体の回復に対するサポートについて考える仕事をしています。
今回は「1人でもいいから、わかってくれる人が居ればいい ~“続ける”ための私のルール~ 」ということでシェアさせていただきます。
”16日目”になりました。
ここまで続くとは思っていませんでしたし、
これからも続いていくだろうな~と思っています。
これは、
このnoteへの投稿は、
「続ける」と決めたことがどこまで続けられるかの挑戦ですし、
自分が自分に対して行っている実験です。
続ける過程で・・・
どんなことを感じるのか、
どんなことが嬉しいのか、
どんなことが苦しいのか、
どんな言葉に出逢えるのか・・・
もうすでにそのすべてに出逢えました。
そして毎日1000字~1500字。
全く大作ではないですが、
それでも20,000字を超す文章を書いてきたことになります。
私にとっては、なかなかやるなあ・・・といった感じです。
「決めた」ことには、
はじめは意識的に向けているフォーカスも、
少しずつ無意識に向けられるようになってきてますし、
「その日のうちに投稿する」という自分のルールも、
自然とその時間に向けて整理する頭になってきていることを
感じています。
これを「習慣」というのかもしれません。
自分のルールを、
自分が守れた時、
それは自信になります。
一度できたことは再現性があるので、
またできるはず、
という自信になります。
そして、
自分が予想していることは実際に起こることのほんの一部 なんだということに気づきました。
だってそうですよね?
予想というものはあくまで、
今まで自分が経験してきた中で得た情報が材料になるので、
“続ける”ことが未知であれば未知であるほど、
感じることは今まで感じたことないこと、
出逢ったことないことのはずなんです。
大事なのはそれを受け入れる準備ができているということ。
そんなはずない、と判断せず、
あ~、そういうものなんだな・・・と、
受け入れる。
逆に言えば、予想することは、
自分の行動範囲、感情範囲を狭くします。
ああならないように・・・
と思った時点で“しないこと”を決めてしまいます。
自分に入ってくる感覚や感情の一部をシャットアウトしてしまいます。
例えば・・・
noteで言えば“スキ”が“0”だったとしますよね。
noteを始めるときに、
「多くの人に読んでもらえる記事を書く」
と、無意識的にでも目標を立てた場合、予想した場合、
そのような結果を受け入れるのは難しいです。
そして、もっと多くの人に合わせた内容を・・・
そうやって自分が感じたことよりも、
多くの人に合わせる内容で書くということは、
リアルではなくなります。
自分の中の一次情報ではないということです。
私は“続ける”ということだけが、
noteのルールですし、
1人でもいいから読んでくれる人が居れば、
それは素晴らしいこと・・・
だから続けられているのだと思います。
それよりも、
自分が思ったこと、
感じたこと、
書きたいこと、
ありのまま、
それでいいのです。
毎日毎日・・・
その一つ一つは
ほんの小さな、何気ない出来事かもしれないけれど、
それが100、1000、10000・・・
そうなったときに、
積み上げてきたもの・・・よりも、
自分がどのようになっているのか。
それが楽しみです。
今回は、「1人でもいいから、わかってくれる人が居ればいい ~“続ける”ための私のルール~」をシェアさせていただきました。
今回は、noteの他にも”続けて”いる、オメガ3脂肪酸の摂取が効率的にできる食べ物の1つである”クルミ”の写真をいただきました。ibaraki_nakaiさんありがとうございました。
是非皆さんの考えも教えてくださいね。
ご覧いただきありがとうございました。
また、明日。
いい日になりますように。