”隣の芝生”が青いのが分かるのは、それを見るから~無関心のススメ~
”隣の芝生”にいかに無関心になれるか
というのは、自分が持っているものよりも、
相手が持っているものの方が良いもののように見える。
そんな、自分と相手を比べたときに、
自分の方が劣っていて、相手の方が優れているという価値観のもとで存在する言葉だと思っています。
そんな、状況が好きな人はここで読むのをやめていただいて結構ですが、
私は好きではありませんので、このような記事を書いています(^^
そもそも、
この言葉に真っ向から立ち向かっているからこそ、
好き嫌いという感情が湧いているという事を考えると、
好きな人も嫌いな人も同一線上に存在していて、
この問題に無関心な人が、読むのを止めるべきなんでしょう。
なので、私の理想は、
今回の議論に対していかに無関心になれるかという事です。
興味を持つことがポジティブで、無関心はネガティブ?
何か趣味はありますか?
とか、
最近何にハマっていますか?
とか、
よく聞いたり聞かれたりしませんか?
では、
何か無関心なことはありますか?
とか、
最近やってみてつまらなかったことはありますか?
って聞かれるでしょうか?
あたかも興味を持つことがポジティブで、
無関心だったり、つまらないことがネガティブなことのように解釈されていることが多いように感じます。
事実のみを見た場合、
ソレ、そのモノが存在していて、ソレを行動したヒトが存在している。
その2つだけだと思うんですね。
それを行動して、その人の中に、
ドーパミンやらオキシトシンやら生じずに、
どちらかというとコルチゾールやらが生じた。
幸せホルモンよりもストレスホルモン優位だった。
そのように客観的には見えてくると思うんですね。
無関心をポジティブにとらえてみる
ここで重要なのは、
一旦、無関心であるという事をポジティブにとらえてみること。
これが、この問題自体に無関心になるための第一歩だと思っています。
無関心であることをポジティブにとらえることは、
関心があることに対して、今よりもっとフォーカスすることにもつながりますし、余計な刺激にいちいち反応しなくても済むような価値観になると思うんですね。
興味を持っているものが多い方が、人生の質が高まったり、長寿に影響するなんていう調査もありますが、それは分母がたくさんの中の平均値のとったもので、それと自分を比べることに何の意味もありません。
隣の芝は○○色。
自分の芝は○○色。
それで終わり(^^♪
今回は『”隣の芝生”が青いのが分かるのは、それを見るから~無関心のススメ~』について書かせていただきました。
また、あしたね(^^)/