なぜ失敗を”責める”のか~2つの背景とは~
今日もお疲れ様です。
では早速、今日のnote始めていきましょう。
今回も成功と失敗についての話題です。
なぜ失敗を責めるのか
別に失敗を責めることが悪いと言っているわけではありません。
そもそもなぜ失敗というのは責める対象となる場合があるのかということを少しだけ掘り下げていきたいということです。
急に適切な例が思い浮かびませんが、
何らかの失敗を目の当たりにしたとき、
『ラッキー!』って思う人は中々いないと思います。
それが、自分にとって何らかの利益になる場合は除いて。
自分の利益になったにしても、
少しは気の毒に思う気持ちがある・・・そんな場合も考えられるでしょう。
では、そもそもなぜ失敗というのが起こるのか。
ということから話を進めていきたいと思います。
失敗はなぜ起こるのか~ハインリッヒの法則~
ハインリッヒの法則というのをご存じでしょうか。
ハインリッヒの法則とは、
というものです。
つまり、1件の大きな失敗の裏には、
約330件の小~中等度の失敗があるということです。
そのような小さな失敗というのは実は見過ごされがちで、
でもそのような小さな失敗を注意し無くしていくことで、
重大な失敗を防ぐことができる。
というわけです。
失敗を”責める”2つの背景
失敗を責めるという行動の背景を紐解いていくと、
責める側の2つの背景が考えられます。
(1)OJT
1つは、ハインリッヒの法則を踏まえて、小さな失敗達に注意を払わなかったことに対する警告というニュアンスがまず見えてきます。
自分だったらこの状況を防ぐことができたという予測のもと、失敗をしてしまった状況(相手)に対して注意を促すという意味合いで用いられるでしょう。
この際の責める側の背景としては、失敗した人と同様の経験があるという場合が多いと感じています。OJTにおける教育のスタンスに近いんじゃないかと思っています。
(2)傍観者
もうひとつは、単に相手の失敗をたしなめるというニュアンスです。
この際の”たしなめる”というのは、自分自身は傍観者という立ち位置の場合が多いと感じています。
要は相手の実践の結果(失敗)に対して、自分の主観でジャッジしている状況です。
プロ野球選手が守備でエラーした時に、『自分だったらそんなミスはしない』と思っている状況に近いでしょう。
選手は現場でプレーをしていて、自分はテレビでそのプレーを観ていますよね。
まとめると、
自分自身が、失敗した本人と同じ『実践ベース』か、
そうでないかの違いなんじゃないかと思っています。
今回は『なぜ失敗を”責める”のか~2つの背景とは~』について書かせていただきました。
また、あしたね(^^)/~~~