シリーズ:1,000日連続投稿を終えて②~意味は求めるものではなく、自分でつけるもの~
今日でかれこれ”1,002日”
今日も1日お疲れ様です。
コロナ禍に自分にできることを考えたときに、
ふと浮かんだ"note"に手を伸ばし、
今日でかれこれ1,002日。
”続いていた”ではなく”続くようにした”
それまでの人生ではほぼすべての活動が、
いわゆる”3日坊主”で終わっていた。
それでも今回は頑張って1,002日続けてみた。
・・・というわけではありません。
続いていた。
という方が表現としては正しいでしょうか。
いえ、続くようにした。
の方が感触としてはしっくりきます。
色々なことを同時に考えることが苦手な性質を持っているので、
まずは、毎日パソコンを開くこと、
そして、毎日何かしらの文章を書くこと。
そして、何かしらのテーマに沿って書くこと。
そして、2つのことをやること。
そんな感じで、1つ1つやることを増やしていった。
そんな感じです。
その中で生まれた発見を皆さんに提供したい。
そんな思いで始めたメンバーシップ『30日坊主』も、かれこれ投稿50回を超え、
次に何しようと思案中でございます。
とはいえ、1,002日ただ文章を書いていたわけではありません。
継続するというのは、
今までの人生では行っていなかった、
新しいことを習慣化するというプロセスですので、それなりに小さな不快や、苦痛を伴うモノでもあると、率直には感じています。
だからこそ、
新しいことを習慣化するということは、
誰しもができることでは無いと、
身をもって体験したところであります。
ただ、一つ言えることは、
習慣化のプロセスでは、
必ず学びがあるということです。
そのいくつかをここでお伝えしたいと思います。
意味は『無い』
これは、200日を超えたときに感じたことです。
多くの人は、
自分がやっていることには何かしら意味がある。そう思っているんじゃないかと感じています。
もちろん、
意味があると言うことは意義があることですし、それによってその活動が広まることは、とても良いことです。
しかし、時として"意味"と言うものが、
習慣化の足を引っ張ることにつながるとも思っています。
今やっていることには、
なんの意味があるのだろう。
そう考えた瞬間、
行動にはブレーキがかかり、
さらに行動を選別するフィルターの目が一気に細かくなります。
結果的に長期的な継続が困難になります。
意味は求めるのではなく、自分でつけるもの
ではどうしたらいいのか。
それは、意味を自分でつけると言うことです。
もともとそこには意味はありません。
無いのならば自分でつければいいんです。
間違えてはいけないのは、
そこに意味があると思ってしまうこと。
『無い』んです。
『無い』ものを求めても『無い』んです。
だったら、
自分でつければいいだけ。
このシリーズは何回か継続していきたいと思っていますので、
他の気づきに関しても後日掲載していきます(^^)/
では、また次回もお楽しみに(^^