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自由になるための技術リベラルアーツ(読書感想)


書籍の情報

自由になるための技術リベラルアーツ
山口周
講談社
2021年3月1日 第1刷発行

書籍の目次(対談者)

第1章 リベラルアーツはなぜ必要なのか
第2章 歴史と感性 (中西輝政)
第3章 「論理的に考える力」が問われる時代に (出口治明)
第4章 グローバル社会を読み解く鍵は「宗教」にあり (橋爪大三郎)
第5章 人としてどう生きるか (平井正修)
第6章 組織の不条理を超えるために (菊沢研宗)
第7章 ポストコロナ社会における普遍的な価値とは (矢野和男)
第8章 パンデミック後に訪れるもの (山崎マリ)
終章 「武器」としてのリベラルアーツ

感想

 中西さんはリベラルアーツを「体系化されていない学問」という指摘されています。つまり、体系化された学問意外のすべてがリベラルアーツだということになります。私にとってリベラルアーツはどこか掴みどころのないものでしたが、やっと腑に落ちました。
 また、菊澤さんの指摘された「組織が不正を犯す仕組」も参考になりました。各人が損得計算で合理的だと判断した結果、組織全体としては失敗するということです。組織が巨大なほど、この力が強く作用するのではないかと思いました。

参考になった箇所の引用

47ページ
中西
 リベラルアーツという言葉について、私の考えをお話しします。英語の「liberal」は縛りがない、つまり「自由」という意味を含む言葉ですね。その反対の意味の言葉は「disciprinary」ではないかと思います。「規律」「訓練」「体系化された学問」といった意味を含む言葉です。
 そう考えると、リベラルアーツとは、A = B、B = C、ゆえにA = Cというように、乾いた理論で体系的に積み上げていく学問では、カバーしきれない領域を担うものと言えるのではないでしょうか。しかも「arts」ですから、学問というより、山口さんも説かれているように、心が躍動する感覚というような意味を持つ言葉なのだと思います。

183ページ
菊澤
 首謀者、責任者がはっきりしなければ、統治される対象も不明確なので、いくら良いガバナンスシステムを作ったところで効果がありません。この日本型組織の問題をどこかで打破しなければならない。
 そのために、まず必要なのは、僕が昔から言っているように「不条理」が起きていることを理解することです。ここでいう不条理とは、「人間あるいは人間組織が合理的に失敗すること」を意味しています。不条理にはいくつかのパターンがあるのですが、要するに個人個人がその時々に、合理的・論理的だと判断して行動した結果、組織全体が非合理的あるいは非効率的になってしまい、失敗や不正が起きるということです。
 僕は最近、そのような人間の行動原理を「損得計算原理」と呼んで注目しています。僕が専門としてきた新制度派経済学を構成する理論の1つに、「取引コスト理論」があります。人間は、何か行動しようとするときに損得計算を行い、そのコストの中に人間関係上の無駄な駆け引きも取引コストとして含めて計算します。そして、その計算結果がプラスであれば行動し、マイナスなら行動しません。シンプルな行動原理です。
 皮肉なことに、この会計上には現れないという意味で見えない取引コストとは、頭の良い人ほど多く見えてしまうのです。たくさんのコストが見えるために、マイナスが大きくなりすぎて、動かない方が得だ、隠したほうがいい、言わない方が損得計算上、合理的となってしまう。そして、頭の良い人が集まると、議論しなくても、みんなの計算結果が自然とそういう方向に一致します。上からの明確な指示がなくても、下の人たちがそういう方向に計算結果が一致して、自然と組織的な不正が起きてしまうのです。
 日本における組織の不条理は、決して無知や非合理的な考え方のために起きているのではなく、むしろ一人一人がこのように取引コストのような見えないコストを忖度して損得計算し、合理的に行動した結果として起きています。この失敗の行動が変わらない限り、不祥事も減らないのではないでしょうか。

自由になるための技術リベラルアーツ


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