幼児期〜学童期
こんにちは
Right'sのリーダー若松航平です。
先日の初投稿に多数の反響をいただき、僕もとても驚きましたが、すごく嬉しいです(o^^o)ありがとうございます
こうやって発達障害であることを公表していくことに迷いが全く無いかといえば嘘になります。でも、こうして反響をいただけることを見て、間違ったことでは無いんだと思いました。
今回は僕の幼少期〜学童期(要は小学生まで)のことをお話ししたいと思います。
今の仕事をしている中で(児発管)
一歳半・三歳の検診で発達の遅れを指摘されたという声をよく聞きます。
僕はどうだったかと言うと、明確なことは母から聞いていないのですが若干三歳の頃に指摘があったようです。
今はベラベラおしゃべりなのですが、発語が結構遅かったということで、言語訓練に通った時期があるようです(まったく覚えていません(^ω^))
もっとも、通い出したらすぐに喋り出したので数回で辞めたようなのですが、、笑
不注意や他者とのズレは、正直この頃から感じていました。
小さい頃なんて注意力はみんな低いですが、それでも僕はわりと酷かったようで
・片方上靴、片方外履で帰ってきた(幼稚園)
・忘れ物が酷すぎて、1人だけ途中で席替え(最前列の女子の間に挟まれる。今だったらラッキー←)
・配布プリントは学期末に机の奥からぐちゃぐちゃになって出てくる
・鉛筆や消しゴムはすぐ無くすから使い切ったことがない
などなど。細かく言うともっとありました。
よく普通級で過ごしてましたね、自分。
変なこだわりとか他者とのズレはわりかしあって
・お遊戯会で何故か意地になって踊らず(練習の時から)本番1人だけ20分直立不動(安心してください、20年後ステージで歌いまくってます←)
・みんな興味を持っていたカードゲームを全くやらなかった
・他の子がドッジボールをやってる中、1人だけ特に意味もなく校庭を散歩してた(日光が気持ち良くて)
集団行動っていうのは特に苦手でしたね
自分のペースでできなかったり、自由時間なのに好きなことができなかったり。
相手に合わせるっていうのもかなりしんどかったです。
なので学校は楽しいこともあった反面、行きたくなくなることも頻繁にありました。
小学校では長期間の不登校は無かったのですが、時折行き渋って先生に迎えにきてもらう(それでも拒否して結局行かず)ということもありました。先生その節は本当にごめんなさい_(┐「ε:)_
小さい頃はウルトラマンが大好きで
歳をとっても今も変わらず大好きです。特にティガとかネクサスとか( ̄∇ ̄)
大きくなってもウルトラマン好きっていうのは恥ずかしいことかなと思って隠してた時もありましたが、今は吹っ切れて前面に出してます←
最近ウルトラマン友達ができたので仲良くしてもらってます←
電車でGOとかもよくやってましたね
電車が一時期大好きでしたが、人混み嫌いを自覚してからは通勤電車とかは避けるようになりました← 電車自体は今も好きで田舎のワンマン電車とかに乗るのは楽しいです
(なお、電車でGOは経年劣化でぶっ壊れました)
ゆずを好きになったのは小2の頃ですね
紅白歌合戦を親に見させられてから。今の今までずーーっと大好きです
母曰く「こんなつもりじゃなかった」とのことです。なお、安全地帯も元は母からの紹介です←
そんなこんなで
勉強はわりかしできてた方で、発達障害への理解が現在ほど進んでいなかった時代というのもあり、注意欠陥がわりかし見られましたが特別支援教育を受けることなく過ごしてきました。
小学校は1学年50人もいない小さな学校だったので、アットホームに過ごせていたのもありますかね。
まあその反動が中学校で一気に来るのですが←
またのんびりのんびり
更新していきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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