10月の映画日記
クリムゾン・タイド
幼いころにロードショーか何かで観たことがあるくらいだった。
気になってけど観てなかった映画の一つ。
もっと早くに観てればよかった映画の一つに変更された。
トニースコット作品の中で一番好きなものになった。
冷戦後の混乱に乗じてロシアで内乱が起こり、アメリカに緊張が走る。
知性派の冷静な男と叩き上げの熱い男の二人が核ミサイルを積んだ潜水艦に乗り込み打てば終わりのにらみ合い航海に出る。
冒頭の3人の「世界的権力者の内二人が同じ国の人間」ということが招く三すくみをお得意の音楽に合わせた映像で楽しませてくれる。
この映画観てレザボアドッグスを思い出したの僕だけじゃない気がする。
(追記:脚本にタランティーノがかかわってた)
両者の違いが冒頭からじわりと滲んでいき、トラブルにより対立へと発展していく。
楽しいのは、どちらの言い分にも理があり、主人公だけを擁護しきれない。
コッブやウェップスへの共感が止まらない。
ラムジーの偏屈さや偏見、この頑迷さが強さを必要とする現場で彼をリーダーたらしめたんだろう、それが乗組員の信頼につながってたのも観ているだけ伝わる。
馬の品種問答は色んな含みを持っていて、何度も繰り返される。それでもラストには自分の間違いを認め去っていく。力強さより冷静さがこれからの時代には必要であることを悟ったように。
時と場所において必要とされるスキルが違って、その違いによってジレンマが発生するってどこでもあるよね。興奮で今日は寝れそうにない。
イコライザー3でデンゼル・ワシントンにハマった人にオススメ。
キッド
あらすじ:君はどう生きてきたか?
ブルースウィルス主演のディズニー映画。
イメージコンサルタントととして一日中せわしなく働き、人を寄せ付けず、弱みも見せない40歳の男の前に8歳の時の自分が現れる。
感想:赤い子供心。
トムハンクス主演の子供が体だけが大人になった「ビッグ」を思い出す。
「大人になる」って事や「大人になれ」って言葉が人に与える影響がテーマなのは同じ。ビッグの方あんまり思い出せないけど。
キッドはディズニーらしいって言っていいのか音楽がちょっと大味だった。でも前振りが凄く上手で何度も「あぁーあれってそうなんだ」っていう快感が味わえる。
冒頭から赤い飛行機が飛び回り、赤い服を着た過去の自分がやってきて、何度も赤い色が大人になった自分の前にちらつく。
子供の頃と変わらず大人になれる人は少ない気がする。
子供時代の面影がまるっきり消えてる人も珍しくないのかもしれない。社会的成功を収めてるのならなおさらそうかも。だって子供っぽいって言われてあんまり嬉しくはないだろうし。
イメージコンサルタントって職も自分を変えた主人公にとっては天職だったんだろう。
でもそれは嘘をついて別人を演じることだから満たされない心が自分を苛立たせ、冒頭の主人公はなめられないように皮肉と嫌味で他人を威圧する。
ラストにさらに未来の自分が出てきたときは「さすがDisney下手な映画だな」とかしたり顔で観ていた自分が恥ずかしくなったし、見てる僕自身が子供心をなくしてることに気が付いた。
現実を生きる僕に過去の自分が会いに来てくれることないし、赤い子供心を取り戻したいならディズニーランドに来なよって事なのかもしれない。
生意気言ってごめんなさい。
犬ヶ島
ウェスアンダーソンのストップモーションアニメ。
犬に因縁を持つ一族が犬をゴミ島に追いやり、その一族の親類が自分の飼い犬を助けに行く話。
割と叩かれてる
white savior(白人の救世主)問題とか爆発が常にきのこ雲とか、日本の描写がステレオタイプだとか言われている。
今回はこの批判が正しいのかどうかを考えてみる。
白馬の王女様は日本を救ったか?
有色人種を助けるのはいつも白人。これがwhite savior問題である。これまでの歴史において有色人種への文化や主義の押し付けを映画内でもやっているのが多様性を重視する現代においてよろしくないと言う話。
で、この映画内ではどうか。物語上留学生である必要はなかったとは思う。でも監督が白人なんだから、どこかに自分と同じルーツを持たせた登場人物がいてもいいと思う。そもそもこの留学生はそこまで活躍したとは言えない。血清も国内で作られているし、彼女はおいしいところだけ持っていったように見えた。とってつけた感じではあるが主人公のアタリに会う前から好きになっている。日本人である僕から見て不快な感じはしない。深読みするならアジアを救っているように見えて実はおいしいとこだけを盛って言ってるに過ぎないと言う自虐なのかもね。
メガ埼は長崎なのか。
爆発が常にきのこ雲なのも、舞台のメガ埼が長崎をもじったのならわからなくはない。その意図はなかったとして、肯定的にとらえれば、アメリカが長崎にしたことを忘れないためともとれる。ただこれは書いていてなんだかむなしくなってきている。笑いもしなければ、不快にもならなかったのが正直な感想。
昭和なの?
そもそもフィクションなのだから自分の妄想の中の日本を再現してもいいと思うし、虚構が強めなこの話でリアルな日本の街並みを描かれても困る。
和風スチームパンクな感じが割と好きだ。メガ日本みたいなね。
家族って何?
是枝監督もそうだけど、家族の定義をテーマにする映画よく見る。
血がつながってれば家族なのか。離れ離れでも家族でいられるのか。家族は愛し合わなければならないのか等々。
ウェスアンダーソンも何度、家族の話を描き続けてる。
今回はアタリとスポッツの関係が家族の形の一種なんだろうけど、観たばかりの僕では言葉で表すことができないでいる。ダージリン急行ももう少しわかりやすかったけど、これも言葉にしろと言われると迷う。これを機にウェスアンダーソン映画を見直して、また気が付いたことがあれば追記したい。
結論
観ていて楽しいのはファンタスティックMr.foxと同じで、巷で言われていた批判はさほど感じなかった。
ロイヤル・テネンバウム
ウェス作品コンプリート!とはイキってみたが……
ウェスアンダーソン初期の作品。これで天才マックスからアステロイドシティまで観やすい作品は観れた。じゃあ、ウェスの作家性を理解したかと言えば「わかりません」なんです。
家族の話をしてるのはほぼ共通してるし、グランドブタペスト以降が特殊なのかはまだわからないけど、歳を重ねるごとに、作品から人間味というか、現実味というか「生」とか「性」が消えていく。色がパステルカラーがおおくなり、人物が無表情で抑揚を抑えて早口でセリフを言う。上げだしたらきりがないのでいずれ別記事に書きたい。「家族」「死」「秘密」「過去の出来事から人物、さまざまなものを分かりやすく引用する」
今のところ「死」と「引用」をヒントにして考えてるところ。
母親役がアダムスファミリーでも母親役をしていたこともヒントになりそうだ。
ウェス作品オススメ
僕もそうだがウェス作品でもっとも有名なのはグランドブタペストホテルだと思う。本人も「他の作品より分かりやすくのが受けてるかもね」ってことを言ってたはず。だからそれ以外で分かりやすいのを挙げてみる。
・ダージリン急行
ブタペストより前の作品、シンメトリーのこだわりが過去作より強い。
登場人物が少ないのでスッキリしてる。
・ファンタスティックMr.FOX
ストップモーションアニメ映画、中年の危機を迎えた家庭持ちの狐の話、音楽の使い方がこの辺から今の感じに変わった気する。
かわいくて受けよし、夢と責任の板挟みで良し。
・フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊
ブタペスト後の作品。シンメトリーやマンガ的コミカルさは健在。
全作品の中でこの作品の音楽が一番好き。一番おしゃれさを感じる。
CASINO
スコセッシ作品。キラーズ・オブ・フラワームーンの公開前に観る。
グッドフェローズの別バージョン感ある。ジョーペシとロバートデニーロに囲まれたレイリオッタがいかにグッドフェローズで頑張ってたがわかった。
シャロンストーンのヒスっぷりが怖い。
汚ねぇやつら
信頼してるから妻に金庫の鍵まで渡す主人公。渡したのは最初だけ、結局最後まで信じてない。娘は愛してる。友達も愛してる。でも信じてない。器が小さく実は臆病で金に細かい男。
幼馴染のヒモをずっと愛してる妻。言い訳に使ってるだけ、夫も愛したことはないし、娘も愛してない。金と宝石が欲しいだけ、でも最後まで自分の物にできなかったがめつい女。
30年来の友人で汚れ仕事を引き受ける主人公の親友。
最後は親友の妻と浮気三昧、都合が悪くなると追い出す。セックスと金がすきなだけ、主人公に付け入り恐喝をして金を稼ぐ浅慮で好色な男。
きらびやかにみえるラスベガスで生きる勝ち組の奴らの哀れな実態。
カッコいいギャングの実態を描いたグッドフェローズと同じ手法。
イーストウッドの「許されざる者」も思い出す。
スコセッシ第二章?
タクシードライバーとキングオブコメディは同じ括り、グッドフェローズとカジノは同じ括り、ディパーテッドやウルフ・オブ・ストリートも含むか?
シャッターアイランドとかアビエイターとかは自分探しがテーマだからちょっと違う括り、ほかのハスラーとかレイジングブルはまだよくわからない。ハスラーは観れてないし。
80年代と90年代でなんか隔たりがある気がする。90年代からやたら派手に音楽を使い始めたのは気のせいだろうか?音楽が印象的なのはタクシードライバーだった気がする。また観て追記m編集しようと思う。
幽霊の正体見たり枯れ尾花
自分探しするのも、かっこいいと思われてる奴らの実態を暴くのも、人間の正体知ると言うところで共通してる。沈黙はキチジローが人間の正体というか、スコセッシの正体として出てくる。
生きてる人間を尊敬できない卑屈で嫉妬深い自分に「どうせ碌なもんじゃないんだし別に尊敬できなくてもいいやん」と思わせてくれる彼の作品が好き。
シャッターアイランド
表面的な考察:全部おまえの事だよ。
冒頭からずっと自分の事を追及されてる。
ジョン医師の部屋に飾られてる絵を見ている時「絵の描写は正しい」と言われる。2枚の絵の一つはウィリアム・ブレイクの「ネブカサネドル2世」だけど、この絵は正気を失った王が人間性を失いつつある状態なんだそうだ。ところどころに動物的なパーツがあるのもそのためなんだろう。
つまり「お前もう人間やめる瀬戸際だよ」と言われてる。
その他にも探してる女患者は「自分の罪を認めてない」し、チャックからは「あんたハメられたんだよ」と言われ、C棟で会ったジョージ・ノイスも「殴ったのはお前だ」という。劇中の他人の発言は主人公の事を語ってた。
私以外私じゃないの
そういう歌詞の歌あるけど、ホントにそうですかね?自分が誰だかわかってる奴ってそんなにいるんですか?それって妄想じゃないんですか?
他人の方が自分の事を理解してる事、結構ありそう。
警備主任に車で送られている時「お前の事はよく知ってる。何世紀も前から」と言われる。物語上は「暴力的で問題を起こすから知ってる」わけだけど、自分の別の側面を知ってるのは他人って事なんだろう。
マジックの種は明かしてはいけない。
つまらなくなるから。自分の事も全部知ってはいけない。つらすぎるから。
崖の洞穴で「本物」のソランドーとの会話で
「心の傷はある?」
「誰でも持ってるだろ」
「何かが起こるとそれのせいにされる」
誰もが認めたくない面を持っていて、それが表面化すると「イカれた」と思われる。で、自分でもそう思い始めてドツボにハマっていく。
じゃあ自分探しなんてやめといたほうがいいと思うんだけど、その後のマーティン・スコセッシの映画を観ても自分の探しはやめてないみたいだ。たとえそのせいで自分がモンスターだと気付いたとしても。
ディパーテッド 考察
ネズミたちのアメリカンドリーム
「この国はネズミの国だ」コステロの右腕が語るアメリカの正体。
舞台となるボストンを北南に分ける、北部には名門校であるハーバード大学やマサチューセッツ工科大学等がある。南部、というか北部以外は都市再開発によって追い出された低所得者が多く住むエリア。
南部の人間は勉学、スポーツに励み、名門校入学し、貧困から脱出しようとする。いわゆるアメリカンドリームを提供してる都市と言える。
コリンもその例に漏れない。
コリンは学生時代から州会議事堂を眺める。議事堂は成功、野心の象徴として何度も出てくる。警察で出世して政治家に転身するのはアメリカではよくあるやり方なんだそうだ。
ではビリーはどうか。下品なディグナムに「成績優秀なくせに安月給な警官になろうとしたのはなぜだ?」と聞かれる。これはギャングのスパイを疑っているのもあるし、単純な疑問でもある。彼はその気になれば、もっといい生活ができた。
社会的、経済的成功を捨てビリーが求めたモノはなんだったんだろう。
ネズミとして生きるか、人として死ぬか。
この能力に見合わない対価の仕事に就くという話題は後でも出てくる。
マドリンとコリンのやり取りでこんなのがあった。
コリン「君っていい大学も出てて優秀って感じなのになんで安月給のカウンセラーになったの?」
マドリン「私、公共奉仕の精神を信じてるの」
コリン「(笑いながら)バカにしてる?」
コリンには公共奉仕の精神が理解できない。自分の成功しか考えていないから。コリンはマドリンの幼少期の写真を見て「これはリビングには合わない
」といって持って行ってしまう。マドリンの着ている服も背後に移る家も汚い。コリンの描く成功にこんな写真はふさわしくない。
その後、違うシーンでびしょ濡れのビリーがマドリンの家を訪ねてくる。その時もマドリンの幼少期の写真が出てくる。
ビリーは「いいね」と言わんばかりに低い位置にかけてあった写真を高くかけ直す。
写真を片付けていちゃついたコリンの時と写真を飾りなおした後のビリーとのセックス。この二つの違いがビリーとコリンの違いだ。ただマドリンとしては経済的な理由からコリンを選ばざる得なかったのかもしれない。これは邪推だね。
要はこの国で成功を求めている奴がネズミだって話なんじゃないかと思う。アメリカンドリームはアメリカの精神と言っても過言じゃない。
コステロが描いていたのは議事堂に群がるネズミの絵だった。
FBIと通じてるコステロにはネズミの生態について詳しいに違いない。
この映画には政治家もFBIも出てこない。FBI位は姿を見せてもいいのに。本当のネズミとは最後まで尻尾を出さない。
ラストのシーンは窓から見える議事堂と手すりを渡るネズミのシーンで終わる。
ビリー「あんたは人低賃金でこき使うワンマンの悪徳大企業だ」
コステロ「俺になろうとした奴は死ぬ」
そしてみんな死ぬ。ネズミになろうとしたもの。ネズミに利用されたもの。
生き残ったネズミは最後まで見えない。
二重の意味
言いたいこと多すぎて書ききれないからメモっておく。
コリンを助けた第二のスパイ刑事は冒頭にコリンと話した奴。
「俺たち同じ警官だろ」が最終的に「同じスパイ刑事だった」になる。
おそらくコリンが刑事に引き抜いてその後コステロに買収されたって思えるけど、そこまで深堀しても仕方ない。重要なのはコリンが引き上げ、コステロに使われ、コリンに殺された。彼もまたネズミになろうとしたのかもしれない。
ビリー「俺はネズミじゃない」と何度も言う。
スパイというネズミじゃないと言う意味と、ネズミのような生き方はしていないという二重の意味。
ディグナム「お前が何で、何出ないかは知ってるぞ。俺は親友だからな」
は、「カッコつけてんじゃねぇぞ」と意味と、ネズミのように生きてない事、自分も似たような境遇で生きてきた事を言ってるようにも聞こえる。
ドント・ルックアップ
皮肉たっぷりで送る21世紀版アルマゲドン。
バズるかどうかが重要な世界。誰と誰がセックスしたかが気になる世界。
ネットでは情報の取捨選択が大事なんて聞いたことあるけど、不快で不都合な情報に耳と目をふさぐのを取捨選択じゃなくて現実逃避という。
キレ散らかすレオナルドディカプリオが観れる。顔真っ赤にして切れるディカプリオが好きなの僕だけ?
SMILE/スマイル
感想:不気味なカメラワークとサウンドで始終不安にさせられるホラー。
考察:孤立が死を招くのか死が孤立を招くのか。
「自殺をみると自殺させられる」という呪いがホラー部分。
自殺者の多くが精神的な病なのが日本の警察庁のPDFからわかった。
バイデン大統領が「全国民がメンタルヘルスケアを受けれるようにしていく」発言していることから察するにアメリカでもそうみたいだ。
で、精神的に病んでしまった場合、その人は孤立することになる。
「何を言っても病気のせいにされる」とは映画「シャッターアイランド」でのセリフ。
途中で「自殺を見たトラウマを誰かに押し付ければ解放される」とわかる。
つまり誰かを殺して、その場面を第三者に見せると言う事。
殺人は暴力的ではあるけどコミュニケーションと言えなくもない。少なくとも一人、孤独な状態ではできない。死から逃れるためにコミュニケーションを行う必要がある。そのために追い詰められる(病む)前に助けを求めること、追い詰められた人間を寄り添う。
でもこの映画を観るとそれがいかに難しいことかがわかる。病む直前に人間はそれに気づかない、主人公がワーカーホリック状態なのを忠告され帰宅を促されてもなる電話を放置できないのを僕らにみせつけてくる。
病んでしまうと互いに歩み寄れない状態に陥る。観ている現実が違うから。姉と婚約者を悪者と言える視聴者はいないと思う。
考えてみて、そら「人間関係で病んで死ぬ人は増えるよな。だってむずかしいんだもん」と思った。
『人間関係で病む→人間関係がより難しくなる→孤立する→さらに病んで……』このループどうやって止めんの?
マリグナント
前半はホラーだけど、後半から流れ変わってくる。
ホラー観たいけど、ずっと怖いの耐えられない人にオススメ。
人の裏側とか色々考えたくなるけど、楽しめ!
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