ヘタな人生論よりポケモンBW!?(ポケットモンスター ブラック・ホワイト が俺的に最高だったという話し)
まえがき
まさか自分がここまで筆不精な人間だったとは…
何かあるたびに書こう書こうと考えていたり、Twitterのフォロワーさんに進捗を聞かれるたびに、今回こそはと決心しながらなかなか記事作成に踏み込めていないまま時間だけが経っていた。ただ、どうしても今回はどうしてもこの日のうちに書き上げないと、という個人的使命感に駆られ、怠惰に鞭打って物書きをすることとなった。
はじめに
私はポケモンが大好きだ。
小学生のとき親に「赤・緑」を買ってもらって以来、(途中ブランクとなった時期はあったが)現在に至るまで「ポケットモンスター」シリーズのゲームは私の趣味、いや人生の一部分といっても過言ではないほど現在進行形でのめりこんでいる。現在までにクリア(殿堂入り)した本編作品とリメイク作品を合わせれば、少なくとも本編作品に登場する全ての地方は網羅したのではないかと思う。といっても、自分には日常的にポケモンを交換したり対戦したりする友達も居なければ、ネット環境に乗り込んで世界中で腕を鳴らしている猛者達に対戦を挑むほどのポケモン育成を本気でやっている訳ではない。あくまで、「一人で気が向いたときにやる手軽な趣味」としての位置づけである。
そして、そもそも社会人になりたての頃とかも、発売されたばかりの最新作を購入したその日のうちに即殿堂入り、とかするほどガッツリ時間をかけてプレーしていたのかというとそうではなかった。あくまで他の趣味や仕事が忙しくない時、プライベートに余裕があった時に少しずつつまみながらやる程度であった。そんな自分がなぜここまで多くの作品をプレーしクリアできるまでに至ったかというと…
全てはコロナ禍のせいである。
コロナ禍により従来行われていたイベント等が軒並み中止となり、外出自粛・ステイホームが求められたことで、生活様式が大きく変わった人は数知れないだろう。自分もその一人である。当初の予定がすべて白紙となり、必要最小限以上に自宅を出ない生活を強いられる中で何か新しい趣味でも始めようかと考えた末、なぜか本棚の奥に埃をかぶって仕舞われていたニンテンドー3DS、そして同じく埃をかぶっていて積まれていたポケモン本編シリーズのゲームを進めていくかと思い至った訳であった。この時、最初にプレーしたのが、この記事のタイトルにも記載した「ポケットモンスター ブラック・ホワイト」(以下、「ポケモンBW」)であった。
一般的にポケモン本編シリーズでは、例えば「金・銀」、「ダイヤモンド・パール」、「ソード・シールド」、そして今年11月に発売予定の「スカーレット・バイオレット」などのように異なる2つのバージョンが同時に発売されるので、大半のプレーヤーは片方のバージョンのみ購入してプレーするというパターンが多いだろうが、自分は欲張って両方のバージョンを購入してそれぞれブラック・ホワイトのストーリーを2つ同時進行に進めた。結果的にこれが大当たりだった。
今まで色々な世代のポケモンをプレーしてきて、どの世代・地方のストーリーも皆楽しかったのだが、あえて一番面白かったものを1つ選べと言われたら、迷わずポケモンBWだと答えたい。そう答えたくなる理由について、まとまりのない文章ではあるが説明していけたらと思う。
ポケモンBWについて概要みたいなもの
ポケモンBWは5世代目にあたる。舞台はイッシュ地方。ニューヨークシティのマンハッタン島周辺がモデルらしい。それまでのポケモンはずっと日本国内の地域をモデルにしてきたことから、初の海外舞台という点で当時の開発スタッフの意気込みの高さが感じられた。また今では当たり前となっているが、このシリーズからテキスト表記に漢字を選べるようになった(それまでは全部ひらがなカタカナのみ)ので、BWシリーズではプレー対象年齢を少し上げてきたかな?とも思った。あくまで個人の類推だが、今まで「赤・緑」の時からずっとプレーしてきた世代がそのまま大人になったのを意識したのだと考えている。
ストーリーに関しては、大まかなプロットは過去作品(1~4世代)と比較して変更はない。博士からポケモンをもらった主人公が旅先で多くの人物やポケモンと出会い、悪の組織を壊滅させ、伝説のポケモンに力を認められ、ジムリーダーやチャンピオンを倒し、最終的にはポケモン図鑑完成を目指すーという基本形は過去作品を踏襲した形となっているが、クリアするまで新登場のポケモンだけで戦うという点や、チャンピオンと戦えるのはゲームシナリオクリア後であるなど、過去作品と大きく違う点も存在する。また、それまでほぼ静止画だったドット絵が常にぬるぬる動いたり、ゲーム内で四季が表現される(季節によってマップの外観が違うだけじゃなく、例えばダンジョンによっては季節によって入れる場所が異なるなどの仕掛けがある)等の新しい特色もみられた。乱暴に要約すると、ポケモンBWは今までの過去作品の骨格を残しつつもシナリオ・ストーリー面で小さくない変化を見せた挑戦作なのだ。
また、ポケモンBWを語るうえで欠かせないのが、個々の人間キャラクターだ。
ポケモンBWの個性的かつ魅力的なキャラクター
他の本編作品と同様に、ポケモンBWにも多くの人間キャラクターが登場するが、いずれのキャラクターも物語の中で重要なアクセントとなっており、主人公の冒険や、このゲームのメインテーマとなる"多様性"を描く上で重要なポイントとなっている。
ポケモン本編作品はいずれも、何らかのメインテーマを付与されていることが多い。例えば「ダイヤモンド・パール」では”究極”、「サン・ムーン」では”超越”、「ソード・シールド」では”最強”などといったテーマがゲームシナリオの根底となっているが、ポケモンBWでのそれは"多様性"である。端的に言えば「世の中には色々な考え方の人がいて当たり前、互いの存在や違いを認め合い、色々な考え方を持つ人達と共存しながら社会をより良くして生きていこうぜ」みたいな概念なのだが、
主人公サイド=多様性を肯定し、互いの違いを認め合える。自分で決めた各々の道を仲間と励まし合いながら進む
プラズマ団サイド=多様性を否定し、違いを絶対に認めない。周囲を強引に自分達の思想に染め上げようとする
という明確な対比で描かれている。という訳で個々の登場人物についてもう少し掘り下げていくことにする。
主人公
カノコタウンという小さな町で育った少年or少女。個人的な好き好きを言うと、ポケモンBWの主人公のキャラクターデザインは歴代作品すべての主人公の中でも歴代屈指だと思っている。男女ともに。選ばなかった方の性別の主人公はメインシナリオにほとんど絡むことがないのが残念なくらい。後述するチェレン・ベルという2人の幼馴染と一緒にアララギ博士からポケモンを与えられ、冒険に出る。なんといっても主人公なので、ジムリーダーを倒すわプラズマ団を壊滅させるわ伝説のポケモンを捕まえるわ等の美味しい所を全部持っていくポジション。あとポケモン作品主人公のお約束として基本的に自分から喋らない。ジムリーダーや四天王などとの戦闘が始まる際のカットインで男女とも眼光が鋭くて「うわっ、怖っ」となった思い出がある。
チェレン(主人公サイド)
男の子の方の幼馴染。チャンピオンになることを目標に掲げ日々ポケモンバトルについて勉強している努力家で、何かあるたびに主人公にバトルを挑んでくるインテリ好戦キャラ。チェレンという名前はブルガリア語で「黒」を意味するらしい。
基本的には自信家かつ強気な性格で、強くなることに自分の冒険の意義を見出すバリバリの上昇志向型ライバルだが、まあ一緒に冒険に出た子が子なので、冒険を進めるに従い自分の弱さと向き合う機会が増えるにつれ少しずつ弱気になっていく描写がリアルだった。「メンドー」という言葉が口癖であるなど現代っ子的な気質はありつつも基本的には自分の成長や強さの追求に一途な素直な男の子という印象だった。
ベル(主人公サイド)
女の子の方の幼馴染。「やめたげてよお!」や「ふええ」など、後世に残る名言?を産み出したおっとりマイペース系。ベルという名前はロシア語で「白」を意味するらしい。
チェレンと同様、ベルも旅先で何かあるたびに主人公にバトルを吹っかけてくるが、チェレンとの違いは「(主人公とチェレンに比べ)自分は実力が劣っているかも」と感づいているものの、そのことに引け目や劣等感を感じるわけでなく、あくまで「私は自分でできることを頑張る」というスタンスである。彼女のこの考えはポケモンBWのメインテーマ"多様性"を体現しており、ストーリー終盤にはこの考えに基づいた彼女のとある行動が大きな役割を果たすこととなる。
チェレンが「理想の自分を追い求める」という生き方なら、ベルは「あるがままの自分を受け入れる」という生き方で対になっており、主人公と一緒に冒険を進めるうえでこの違いが徐々に鮮明になっていく過程がエモい。何が良いかってここまで生き方が違っていても幼馴染同士3人仲が良いという所なんだよなー、うむ。
プラズマ団
ポケモンBWにおける、悪役的存在となる組織。ざっくりいうと「ポケモンを人間から解放すべし」「ポケモンと人間の共存とかありえない、白黒分けるべき」「ポケモンを人間同士の争いの道具に使うのはやめろ」「我々は、人間の力を超えた生き物であるポケモンの幸せを第一に動く」等といった思想のもと、言葉だけなら一見真っ当に聞こえるようなポケモン解放活動を行っているように見せかけて、その実は無垢で罪のない不特定多数のポケモントレーナーからポケモンを略奪するという、歴代ポケモン作品中屈指の外道な悪事を働いている組織なのである。
この外道組織の上下関係として、まず頂点に『プラズマ団の王』である「N」という名前の謎の人物が君臨し、その下に七賢人と呼ばれる7人の爺さんがいて(恐らく幹部的ポジション)、その下に有象無象の下っ端がいる、という構造である。この組織構造自体も実は建前で、実質は七賢人の1人であるゲーチスとかいう外道が黒幕として牛耳っていたのだが、今回の記事の趣旨から外れるのでこの辺の詳細は割愛。
上にも書いたが、ポケモンBWのストーリーを通じてプラズマ団は徹底して本作品のメインテーマである"多様性"を徹底的に否定する側に回っている。
自分達の思想を押し付ける
他者の考えの否定
目的の達成の為ならばどんな外道行為(暴力、窃盗etc.)もする
というか本来の保護対象であるはずのポケモンにまで暴力したり改造実験したりしてる(矛盾!)
そこまでの事をしているのに、当人達は自分達の行動が正しいと本気で信じ込んでいる
など、多様性を受け入れて生きている主人公サイドのキャラクター達(ジムリーダー、チャンピオンも含む)のアンチテーゼとして描かれている。このゲームのタイトルの通り、まさに「白」と「黒」の対比そのものである。もちろん、プラズマ団全員が鬼畜で外道な人間ばかりで構成されているかというとそうではなく、中には純粋にプラズマ団の思想に共鳴しつつも真摯にポケモンを救おうとしていた団員もいたこともゲーム中にて描写されている。まあ得てして、この手の集団って一枚岩にはなりえないんだよねえ。
N(プラズマ団サイド)
プラズマ団の「王」に君臨していた、緑髪のインテリ風イケメンな謎の少年。どうやらポケモンの言葉が分かったり人の過去や未来が見えたりするらしい。
プラズマ団の王ということなので、当然ながら人間とポケモンが共存する世界を「灰色」として全否定し、世界を「白」と「黒」にはっきり分けるべきという考えを持っている。主人公に対しては敵というよりも、「自分(ら)の考えが正しいことを証明するための相手」として、一定のリスペクトを持ちつつやたらと勝負を挑んでくる。ポケモンを「トモダチ」と呼び、純粋な気持ちでポケモンの幸せを願うかたわら、頭の回転が良いのかやたらと数式に例えて何かしらの事象とかを表現しようとするなど色々理屈っぽい。多分オタクだわこの人。喋るのめちゃ早そうだもん。(酷い偏見)
これは彼が(ゲーチスによって)育てられた環境のせいであるが、当初はポケモンは人間と互いに絶対に相容れない存在と認識していたのが、主人公のポケモンが主人公に好意を寄せている(とNが感じ取った)のを目の当たりにして自分の思想が根本的に揺らぎ始めるのが、ポケモンBWのターニングポイントと認識している。個人的には、自分と異なる思想を持つ人間が目の前に現れたり、かつ自分が信じていたことと真逆の事象が起こった時にどう振る舞うかでその人の本性が分かると思っているが、Nの場合はその点寛容というか、いい意味で探求心旺盛というか自分の良心とか好奇心に正直な人間だったんだろう。それにしてもNの部屋はなかなか精神にくるレベルでヤバかった。何がどうヤバかったかは、実際にプレイしてその目で確かめてみましょう…
ポケモンBWと多様性
主要なキャラクター、もっと言うとポケモンBWのメインテーマ”多様性”に最も強く関連するキャラクターの紹介はこのくらいに。
ストーリーの結末をざっくり流して言うと、結果としてジムリーダーや幼馴染2人、チャンピオンを巻き込んだ主人公陣営はプラズマ団陣営に完勝。主人公はNと互いに自身の「正義」を賭け、互いにイッシュ地方の英雄である伝説ポケモンを従えて一線を交えた末、Nに勝つ。敗れたNは主人公との戦いを通じて何かを感じ取ったのか、色々含みをもったセリフを主人公に投げかけたのち、伝説のポケモンに跨りどこかへ消え去る。要するに「多様性のもとで生きる」陣営の完全勝利でポケモンBWのストーリーは締めくくられる。後付けの結果論ではあるが、生き方の異なる他者の存在や価値観を認め、自身の人生観をアップデートしながら生きていける人達の集団の方が、画一的な価値観しか認められない集団よりも強固だということである。
主人公陣営についた登場人物としては、幼馴染2人の他にはジムリーダー全員、ポケモンBWの博士であるアララギ博士(&アララギパパ)、そしてチャンピオンのアデクなどである。いずれも皆、他人の考えを認めつつも自分の生き方の軸をしっかりと確立し、必要に応じて幼馴染などの子供にアドバイスしたり諭したり…という「大人な言動」ができる人物としてゲーム内で描写されている。これと対になるように、プラズマ団は周りの人間を強引に自分の思想に合わせようとし、多様性など認めんとばかりに異なる思想を持つ人間を排除しようとすることがいかに愚かで危険かを象徴する存在として描かれていたのが象徴的だった。ポケモンBWに描かれているこれらのテーマは、ビジネス書や自己啓発書で探せば容易に手に入る類のものかもしれないが、子供向けであるはずのゲームの中に寓話的な要素を織り交ぜながら絶妙に落とし込めているのが凄い所である。大人になってからならともかく、小さいor若いうちにこのシナリオに沿って多様性について学ぶ機会を得た当時の子供達は幸せ者だろう。
昨今、政治・経済・社会・エンタメ・スポーツなど、ありとあらゆる話題において二項対立的な構図が作られてネットで罵り合いのような論争が巻き起こる場面を見る機会が増えた気がする。いずれのジャンルにおいても、共通しているのは「自分達の考えは常に正しい、自分達と違う考えは悪であり排除すべきである」といった排他的かつ先鋭的な意見を唱える者が少なからずいるところだろう。「一人ひとり皆違って当たり前」という考えの中で育ち生活していくのか、他者と自分の違いを受け入れず排除する価値観の中で育ち生活していくのか、それぞれの生き方を選んだ末に大人たちはどうなってしまうのかというテーマを多感な少年少女時代のうちに学ぶのは、たとえゲームとはいえ貴重な機会だと考えるのである。
おわりに
以上、ポケモンBWについて色々つらつらと書いてみたが、このゲーム、発売されたのがちょうど12年前の今日だという衝撃の事実。12年前だよ、12年。干支一回り。ニンテンドースイッチどころか多分3DSすら出ていなかったんじゃないかな。(ポケモンBWがDS作品な時点でそりゃ当たり前か)そんな大昔のゲームでもストーリーにすっと入り込むことができ、純粋に楽しくプレーできたのはひとえに"多様性"という2022年現在でも通じる普遍的なテーマと、登場人物や世界観の設定を綿密にゲームの中に落とし込むことができたゲーフリ等の開発力の高さの賜物だろう。素晴らしいゲームを世に送り出してくれてありがとうございます。ポケモンBWのおかげで、自分はもう一度、小学生の頃以来くらいに純粋にポケモンにのめり込むことができました。
もちろん、登場人物のキャラクター性やクリアに至るまでのストーリーだけでなく、強力な技を覚えるポケモン、ステータス配分が絶妙なポケモン、見た目が愛らしいポケモンなど、多くの個性的な新ポケモンがいたり、ここに紹介しきれなかった人物にも凄く熱い名言を産み出したキャラクターもいたり、ブラック・ホワイト各バージョンの違いが多く出ていたり(特定の町の外観やBGMが違う、とあるジムリーダーが違う、等々)と、ゲームを楽しむための要素が数多く散りばめられている。この記事のタイトルと無理やりこじつける気はないが、文字通り「楽しみ方は人それぞれ、色々な楽しみ方があっていい」のである。もしこの記事を読んで少しでも「よし、俺(私)もポケモンBWやってみよう」と思ってくれる方がいたならば、ぜひ中古ゲーム屋かネットショッピングサイト等でポケモンBWを探して購入することを本気で勧めたい。絶対に面白いから。皆様もぜひ。
なんとかBW発売記念日(9月18日)に間に合った!ギリギリ!
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