動画編集者よ、小説を書きなさい。そして、撮影もこなしなさい。
どうも。
時間が空いたら、小説のネタ探しと撮影の練習をしている僕です。
教師と殺人鬼と引きこもりが三者で入れ替わったら、価値観が真逆になるのだろうか?
「大」「中」「小」「極小」のビール缶をメーカー別に買ってみたけど、なんか面白く訴求する方法はないかな?
今の頭の中はこんな感じです。
流行り廃りを考えていない時点でプロではないと言われてしまいそうですが、時間が空いたときに思いつく程度なので良い息抜きになっています。
とここで、本題です。
記事タイトルではキツいことを言っているように聞こえるかもしれませんが、要するに「小説のススメ」と「撮影のススメ」なだけです。
映像制作をするなら、
「小説を書く」と面白いほど自分の表現力が増すよ!
「編集」や「アニメーション」だけでなく「撮影」ができるようになると、構図のバリエーションや表現のディテール感度が増していくよ!
(だからみんなもやってみてね!)
という話です。
両方やってみると実感しますが、結構作り方が似ているんですよね。
小説と動画って。
相性が良いというか。
ストーリーを作る部分とか、感情を伝えるときの表現なんか特に。
もうそっくりです。
こういうのって、映像系の専門学校や大学にきちんと通っていたら教えてくれていたんですかね?
今さら学校に通い直したいくらいの気持ちもあります。
結局、基礎って一番強いですもんね。
イメージの膨らませかた大事ですよね。
そのことに気づかせてくれたのが、僕にとっては「小説を書くこと」と「撮影をすること」でした。
例えば怒っている状況を伝えたいとき。
多くの場合は「マジムカつく」と言って、終わりでしょう。(知らんけど)
しかし小説や映像では、いかに「ムカつく」という言葉を使わずに、ムカついている様子を表現できるか。
そんなことを考えます。
(少なくとも僕はそう信じています)
たとえば小説の場合。
「ムカついている」様子を表現するなら、こんな感じでしょうか。
もっと良い表現がいっぱいありそうですが、今の僕ではこれが限界です。
一方で動画だと、「マジでムカつく!」とセリフを言わせても良いと思うのですが、できるならこの小説の表現を2カットか3カットで分けて、画面から「怒っている様子」を「視聴者の方で勝手に感じ取ってもらう」という見せ方のほうが、単にセリフで「ムカつく」というシーンを見るよりも、見ていて退屈しない映像になるはずです。
例えばこんな感じ。
「喜怒哀楽」など「感情」について触れる場合には特に、言葉そのものをテロップや字幕にして(言語化して)訴求するのではなく、感じ取ってもらう。
めんどくさいけれど、この一手間が大事なんだと思います。
「YouTubeやショート動画の『編集作業』に、そんな表現が役立つの?」と感じる人もいるでしょうが、単価を上げていくといずれ上流の工程も担うので、早めにやっておくに越したことはありません。
そう遠くない未来。
クリエイターの仕事のほとんどは、生成AIなどにとってかわられるか、依存・共存していかないといけないと考えています。
そのときクリエイターとして生き残るためには、きっとこうした「感情」を言語化せずとも表現できるセンスがあるかどうかが(結構)重要だと思っています。
これを僕は「人間らしい行動」と呼んでいますが、まさにAIが席巻する社会で人間のすることは、この「人間らしい行動」くらいしかないと思っています。
行動経済学でもよく言われていますが、人間は合理的に行動していると見せかけて、程よく非合理な行動をしていると言います。
非合理な行動の原動力は、感情であることが多いです。
ここに人間の価値があると信じています。
失敗に価値が出る、過程にこそ価値がある。
そんな価値基準も、全て非合理な行動によるものかもしれません。
感情が揺れ動くからそこに価値がある(と信じている)
僕も勉強している最中です。
楽しんで頑張っていこうと思います。
ではではー。