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【講座旅実況】読書記録〜斎藤秀雄〜レジェンドになった教育家

音楽之友社 2024.10.31発行

日本のクラシック音楽界を世界レベルに引き上げた稀代の教育家、斎藤秀雄(1902-1974年)。1948年「子供のための音楽教室」を設立(桐朋学園音楽部門開設に繋がる)。鬼教師と恐れられながらも世界的演奏家を数多く輩出し、その教え子らがサイトウ・キネン・オーケストラを結成。また、『指揮法教程』を著し、指揮の動きをメソッド化するという世界でも稀な偉業を成し遂げたレジェンド。

https://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?id=226910
音楽之友社HPより

【感想】
この本には、斎藤秀雄の生活の全エネルギーを注いで子ども達に厳しい教育を行った半生が描かれている。その教育家の人生描写から混沌とした問題を抱える現在の学校教育に一石を投じていると感じるものだった。以下、斎藤秀雄の考え方をもとに、本文の引用を用いてその理由を3つにまとめていく。

①「一に教師、ニに教師、三に親、四が子供」
 斎藤がよく語っていたとされる言葉。まず、良き教師を選ぶことを最優先にすること。いくら才能があったとしても、教師がよくなければ子どもは成長しない。斎藤は、親は、生活環境を最善に整えるのが務めと説き、子供はいかようにもなると言ったそうだ。また、生徒には教師を選ぶ権利があるのに、それが逆になっていることを指摘し、教師の質についても言及。子どもの成長に不可欠な教師の質について、どこまでも真摯に向き合う斎藤の姿勢は、教師としての原点に立ち返る視点を思い出させてくれる。現在の教育においても中心議論として取り上げるに値する視点。

②「先生は才能がない奴を一生懸命教える。でも、才能がなくても先生が教えると振れるようになる。」
 斎藤の一番弟子とされる小澤征爾の言葉だ。戦後の教育は、子どもの創意工夫や人間の想像力ということが強調されてきたが、斎藤はそれに反する教育をしたとされている。斎藤は、「才能のあるなしは最初から分からない」としているが、「芸術において、天才の力は大きく、それで飛躍していく」と才能が必要な要素であることは断言している。しかし、仮に才能があったとしても、その土台となるのは、保守的な文化遺産の伝達だと考え、基礎を丁寧に反復して型を徹底的に教え教育を施した。無からは何も出てこない。才能というのは最初から分かるものではなく、教育があるという考えがベースとなっていることを訴えたかったのではないかと推察する。その考えを体現し続けた斎藤の子ども達へのレッスンを見続けてきた上記小澤征爾の言葉からは、斎藤が、真の教育家としての腕前が圧倒的なものであったことを物語る。才能のある子はもちろんのこと、ない子にも出来るようにさせてしまう斎藤メソッドの凄まじさに感服した。

③「音楽は合奏が基本。オーケストラでうまく弾くのは難しく、皆がオケでうまく弾けば、自分も楽しめ、他の人のためにもなる。オケは社会だ。」
ソリストであることの前に、オーケストラでの活躍を求めた斎藤の言葉。斎藤は、"人は人によって磨かれる"という格言を体現するかのように、オーケストラ集団の中で演奏者としての育成していくことを最優先した。現在においては、個人が尊重される風潮が高まっているように感じる場面が多々あり、個の活動が重視される傾向にある。しかし、人間は人との輪の中、集団教育の中で切磋琢磨し合うことで、より成長が促され、教育効果が加速されることを斎藤のオーケストラ指導は魅せてくれるものであった。斎藤のオーケストラのレベル向上のための熱い思いは、現在の社会の在り方を考える上でも通づる点があるように感じる。


《まとめ》
現在、教員の働き方や教員不足から生じる教育の質の低下で、子ども達と向き合う教師達は多忙な業務に押し潰されそうになりながら疲労困憊している。また、こうした状況自体が大変深刻で、学校は制度疲労を起こしているとも言える。このままでは、教師も子どもも辛い。斎藤秀雄の教育に対する熱量、エネルギーを感じ取る中で、学校現場では実態への改善を率直に話し合えたり、あるべき教育の原点を再度認識し直したりすることが優先される時に差し掛かっているのではないかと感じる。教育家としての斎藤秀雄の人生は、教師、学校教育に携わる全ての方々に教育とは何かを投げかけるものである。目先の制度を整えることも必要だが、今一度立ち止まり、教育の本質について考えて話し合うことが必要だと訴えているように思えてならない。



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