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夫の手術 × イマジナリーカスガ

 はじめまして。こちらは末埼鳩のnote内マガジン【暗がりから手を伸ばす】です。閲覧くださりありがとうございます。私、末埼鳩(まつさき はと)は文筆家として文章を寄稿したり、本を作ってイベントに出たりといった活動をしています。とはいえ基本的には小学生の子を持つ主婦として暮らしています。
 そんなふうに普通に生きていても、結構いろんなことが起こります。大人になればなるほど、人に頼ったり甘えたりできなくなりるんだなあと実感します。プライドみたいな意味ではなく実際そういう場面が増えるんですよね。自分が責任者になる機会が増えるというか。私はかなり気楽な暮らしをしている方ですが、それでも精神的にピンチのときは、好きなものに助けられてきたと思います。助けが必要なとき、生身の人間以外の存在が頼りになることがあるんです。
 私はいつしか「推しの内面化」や「処方薬のように本や映画や音楽を選ぶ」という術を自覚的に使うようになっていきました。個人的すぎて人様の役には立たないとは思いつつ、助けてくれたものたちへの愛や感謝を言葉にしていきたいなと。実際に私が経験した精神的な不安を、何を頼りにして乗り切ったか各回ごとに語っていきます。

ごあいさつ

夫の手術 × イマジナリーカスガ
推しを内面化して乗り越える

 7年ほど前でしょうか。イマジナリーカスガは、私が意識的に助けを求めた最初の存在です。イマジナリーというのは「空想上の」という意味で、イマジナリーフレンドは「通常児童期にみられる空想上の仲間(Wikipediaより)」だそうです。私のは「三十歳頃に現れた空想上のカスガ」です。カスガというのはお察しの通りお笑いコンビ、オードリーの春日俊彰さんのことを指します。きっかけは『水曜日のダウンタウン』のドッキリ企画。ロケバスの中で「少々お待ち下さい」とだけ言われて放置されるというドッキリを仕掛けられた春日さんは、そのまま6時間半以上無言で待ち続けたのです。私は、彼の堂々とした態度と、見え隠れする狂気に強烈に惹かれました。それからテレビで見かけるたびに注目するようになり、ストイックさの現れた体型や変な髪型(そして髪をおろした時のギャップ!)も含めて夢中になっていきました。私は元々「肉体も頭脳も優れているがどこか狂ってしまっているキャラクター」に惹かれがちなのですが、その頃は日々供給のある「推し」のような存在は私の中にいませんでした。しかし春日さんは毎日のようにテレビで見ることができるので、私の心の拠り所となっていきました。

 心の拠り所となると、対象者の情報は慎重に扱う必要が出てきます。うっかりネットで調べたり、素が出がち(と思われる)ラジオを聴いてしまえば私の幻想は壊れてしまうかも知れません。ラジオリスナーにならず、ライブに行こうとしないことに葛藤はありましたが、自らを「悪いファン」と定義して開き直り、安全な情報源としてTwitterの『オードリー春日botPART2(非公式)』をフォローしてにやつく日々を送っていました。

 猫背がひどく、他人の言動を過剰に捉えていた時期でもあった私は春日さんを思い浮かべては「胸を張って歩こう」「他人の言動は気にしなくていい」と自分に言い聞かせました。嫌なことがあったときは『バーイ!』と脳内でその出来事とお別れし、気持ちが落ち込んだときは私のためだけに『鬼瓦』してもらうという空想で乗り切りました。芸人でもタレントでも、ましてやひとりの人間としてでもなく、春日さん自身とその周囲の方々作り出したキャラクター「春日」を私好みに解釈した結果が「イマジナリーカスガ」なのです。ヒーローに憧れる少年のように内面化させ、イケメンに恋する夢女のように空想の中で励ましてもらう。私とイマジナリーカスガは理想的な関係を築いていました。

 そんなある日、夫が緊急入院し手術を受けることになりました。命に関わる病気ではないものの、手術に失敗すれば生活が大きく変わることが予想されました。私は三歳の子どもを連れて電車とバスを乗り継いで病院に通いました。そして手術の夜、私は家で子どもを寝かせたあと何も手につかない時間を過ごしていました。夫に付き添ってくれている義母からのメールを待つ間、私の頭の中には励ましてくれるカスガもギャグをやってくれるカスガも現れませんでした。代わりに、何もない空間に白くて長い階段が現れました。その階段の一番上から、ピンクベストに白いパンツ、七三分けテクノカットスタイルの、完璧なカスガがゆっくりと下りてくるのです。胸を張り、何も恐れず一段一段下りてくるカスガを私はただ見つめていました。

 テーブルに突っ伏して私は少しの間うたた寝をしていたようでした。携帯を見ると数分前に無事に手術終わった旨のメールが届いていました。私はほっとして、メールの返信をしながらまるでヒーローにするように胸に手を当て、感謝の言葉を思い浮かべていました。ありがとう、イマジナリーカスガ。

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