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8hのメビウス 感想

 2024年10月17日、ウンゲツィーファの舞台『8hのメビウス』千秋楽公演を観てきた。

 登場人物みんなヤダ、好きじゃない〜〜が第一印象だった。余裕のなさや思いやりのなさが、とてもリアルで。それに誰にも感情移入はできないかもなとも思った。私は温かい家庭に育ち、今も主婦として不自由なく暮らしているから。とはいえいつ転げ落ちるかわからない不安は常にある。この国では一度落ちたら這い上がるのは至難の業らしいとよく聞く。夫が働けなくなったら?娘が心を病んだら?自分が家計を支えることになったら?あっという間に登場人物たちと似た境遇に陥るはずだ。そう気づいた途端、彼らの人生から目が離せなくなった。

 そして『ザイル』という存在。観劇前は、もっとSF的な存在意義を持ったものと予想していたが、実際は『徒労感のある仕事』のメタファーでしかないようだった。舞台装置としては大活躍するのだが、物語の中では何に使われるものなのか、観客に具体的な提示はされない。ただ緑色の触り心地の悪そうな長く絡まった紐がずっと山積みされている。

 私が週に数回通っている職場では、いつか必ずAIが取って代わるだろう仕事が行われている。人間がやる意味といえば、あまりに様式が多様なため全て電算化することが今のところ難しい(コスト的に)、という点のみ。劇中で使われた「人の温かみ」という言葉が虚しく響いたように、自分の仕事が価値のあるものとは到底思えない。完全に機械化されるまでの過渡期に、こぼれ出るカスを人力で払っているような気分だ。私は小遣い稼ぎのつもりだからまだいい。こういう仕事を1日8時間、35年続けろと言われたら。労働とは、人生を繋ぎ止める命綱なのか、がんじがらめにするロープなのか、わからなくなってくる。

 そんな抜け出せるあてのない閉塞感を打ち破ってくれるのが人気YouTuber『ワロボロス』の存在だ。私が子供の頃には存在しなかった職業、YouTuber。不登校でもニートでも障害があっても構わない。素性を隠すとしても活かすとしても、聴衆を惹きつけられさえすればいい。バンドマンでもお笑い芸人でもない抜け道。そんなイメージを持っている。実際は険しい道なのだろうと想像できても、颯爽と抜け道をゆくヒーローの輝きは眩しい。そんな劇中のヒーローにも、本当にやりたいことは別にあったりする。ああ人間だなあとしみじみ思う。

 たったひとつのセットを動かすことでなされる場面転換は、舞台を見慣れていない私にとって魔法のようだった。同じ役者がめまぐるしく別人を演じるのも、そのやり方に慣れた頃にされるちょっとした裏切りも新鮮だった。観る者の想像力で補うような仕掛けは好きだ。観客がただ与えられたものを受け取るだけでなく自分から掴み取りにいくための道筋になるし、その没入によって満足感が高まる気がする。余計な想像をしないことが傷付かず上手く立ち回るための条件になっているような世の中で、想像する力を取り戻させるのが創作物の役割のひとつなんじゃないだろうか。少なくとも私はそう思っている。

 最初にヤダと思った登場人物たちが、終盤にはみんな好きになっている。人生を見せつけられているんだから愛着も沸く。なんにも解決してないけど少しだけ前に進んだようなラストはあっけなく感じて「これで終わり?」と思わないこともなかった。若い二人は多分まだ傷を舐め合っているだけだし、ちょっと登録者数が増えたところでYouTuberが生活の足しになるとも思えない。でもここでheronの『話をしよう』が流れてくる。

なにもかも分かり合えるなんてことはない

そこで終わりにしないで

明日になれば忘れてるなんてことはない

そんな簡単ならばわけはない

その涙にだってちゃんとわけがある

この苦しみにもちゃんとわけがある

だから話をしよう

heron 話をしよう

 ああ、そうだよな、全くその通りです、本当にそうです、と思いながら泣いていた。優しい声で何度も「話をしよう」と呼びかけてくるこの歌で物語は終わっていく。この2時間半色々あって、彼らはやっと「話をしよう」と言い合える関係になったのだ。スタートラインに立つだけでこんなにも大変だ、人間ってなんでこんなに面倒で複雑で愛おしいんだろう。そんな思いで胸がいっぱいになっている最中、アフターライブが始まった。

 例の動くセットのソファに座ってheronがギターの弾き語りをする。オープニングや事前映像で流れていた『僕の日記はそこで終わった』や『話をしよう』を生で聴けたのも良かったのだが、彼がこの舞台を何度か観て書いたという新曲がとても良くてそこでも泣いてしまった。メビウスのことを「同じ輪の中にいる」と表現していて、包み込むような優しさに眩暈がした。メビウスの輪を堂々巡りと捉えるか、同じ輪の中にいる(から大丈夫)と捉えるか。私は生きてることが好きなのに、世界があんまりむごいから「人類は滅んだほうがいい」などと思いがちで、これからそういう物語を書こうとしていた。でも多分変わると思った。人類愛を思い出させてくれてありがとう。呪いではなく祈りを描いていきたいな。

 舞台が終わったあと、そもそも段差のないステージからまったくどこも経由しないで役者さんたちが物販に立っていた。私はさっきまで見せつけられていた剥き出しの人間から役者さんへの切り替えできず、とても挙動不審なままステッカーだけ買って帰ってしまい後悔している。台本を買ってサインを貰えばよかったし、まともに話したかった。もっと言えば私はheronの古参ファンなので、主宰の本橋さんに「見つけてくれてありがとう」とマウントを取りたかった。それは無念だったけど、こんな素晴らしい舞台に友だちの音楽が使われて本当に嬉しかったし、ライブでも他のお客さんの感動が伝わってきて最高な気分だった。勇気を出して行ってよかった〜!これをきっかけにまた舞台観にいきます〜〜

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